i社会

盛岡の八幡町遊郭では娼妓にアンケート取って改革します!(S5.3.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の八幡町遊郭では娼妓にアンケート取って改革します!(S5.3.1岩手日報)

昭和5年3月1日の岩手日報には、盛岡市八幡町の貸座敷組合(遊郭)において、時代に即した改革が実施されることが報じられている。 記事によれば、貸座敷組合では、当時約80名にのぼる娼妓に対しアンケートを実施。その結果を踏まえて、以下のような改革案が採用された。 勘定書は仲居に持たせることとし、娼妓の手当…
達曽部村でパワー系池沼が父を殴り殺す(S5.1.25) e釜石・遠野・上閉伊郡

達曽部村でパワー系池沼が父を殴り殺す(S5.1.25)

昭和5年1月25日、岩手県上閉伊郡達曾部村(現・遠野市宮守町達曽部)で、37歳の男性が父親を殺害する事件が発生しました。この男性は精神薄弱とされ、普段から短気で、父親(当時67歳)との関係が悪く、しばしば口論が絶えませんでした。 事件当日、彼の7歳の息子が祖父に豆を求めましたが、祖父が「腹が減ったん…
花巻の抱酌婦殺し(S4.11.27) f花巻・稗貫郡

花巻の抱酌婦殺し(S4.11.27)

昭和4年11月27日、岩手県稗貫郡花巻町四日町(現・花巻市四日町)の料理屋「蔦屋」で、女将と抱酌婦が絞殺される事件が発生しました。現場は、東北本線花巻駅から東に位置し、国道から東へ約1丁ほど入った住宅街の中にありました。この日、深夜12時頃に若い男の客が来店し、抱酌婦とともに2階で酒を飲んだ後、階下…
山田町の兄殺し(S4.9.30) d宮古・下閉伊郡

山田町の兄殺し(S4.9.30)

昭和4年春頃、岩手県下閉伊郡山田町飯岡で、一家の長男(当時34歳)が継母(当時43歳)と不倫関係を持ち、家庭内に深刻な対立が生じました。父親(当時61歳)はこの関係を知って憤慨し、家庭内では争いが絶えなくなりました。次男(当時25歳)は家庭の平穏を取り戻すため、長男に出稼ぎを提案し、昭和4年9月20…
花巻で最初の朝鮮人の小学生(S4.9.6岩手日報) f花巻・稗貫郡

花巻で最初の朝鮮人の小学生(S4.9.6岩手日報)

昭和4年9月、花巻小学校に初めて朝鮮人の児童が入学したことが、当日の岩手日報に報じられている。 記事によれば、この児童は花巻町に居住していた家庭の子で、学齢に達したため正式に小学校へ編入された。学務課の指導により、学校側も円滑な受け入れに努めたという。 当時、地方における朝鮮人児童の就学例は非常に稀…
立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報)

昭和4年9月5日の岩手日報に掲載されたニュースによれば、立川飛行場所属の陸軍機が厨川村の雫石川河畔に不時着するという事故が発生した。 この陸軍機は弘前から立川へ戻る途中だったが、厨川村上空で何らかの事情により飛行を続けることが困難となり、最終的には雫石川の高圧電線に接触。そのまま川の河原に不時着した…
川井と花巻で自動車事故(S4.9.5岩手日報) d宮古・下閉伊郡

川井と花巻で自動車事故(S4.9.5岩手日報)

昭和4年(1929年)9月3日、小国村で行われた早池峰神社の祭典に関連し、2件の自動車事故が報じられました。 ひとつは、小国村と江繋村の境界付近で発生した事故です。参詣者を満載したトラックに乗っていた34歳の男性が、酒に酔った勢いで走行中に突然車外へ飛び降りました。ちょうど後続していた車の進路に滑り…
苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(S4.9.5岩手日報) g北上・和賀郡

苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(S4.9.5岩手日報)

昭和4年9月4日の明け方、黒沢尻駅(現在の北上市)に到着した盛岡行きの貨物列車に、場違いな姿の若者が一人混じっていました。これに気づいた駅員は不審に思い、青年を派出所に引き渡しました。 調べてみると、この青年は沿岸・田老村(現在の宮古市田老地区)出身の18歳。東京へ出て苦学しようと志して上京したもの…
釜石で横行する船舶部品泥棒(S4.9.3岩手日報) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石で横行する船舶部品泥棒(S4.9.3岩手日報)

昭和4年9月3日の『岩手日報』より。 釜石市須賀海岸では、修繕のため陸揚げされていた漁船から、シャフトなどの機械部品が何者かによって盗まれるという事件が発生した。 実は、こうした漁船部品の盗難は、すでに昭和2年頃から相次いで発生していたという。とくに修理のために陸に引き上げてある漁船は、ほとんどが被…
震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) l全県

震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報)

昭和4年9月1日付の岩手日報には、「けふは二百十日、そして震災記念日」と題された記事が掲載されている。 9月1日といえば、関東大震災の発生日として広く記憶されている。1923年(大正12年)のこの日、首都圏を中心に未曾有の大地震が襲い、多数の死傷者と甚大な被害をもたらした。この出来事を契機に、9月1…
「軍馬の里」六原の毛皮商殺し(S4.1.4) h水沢・江刺・胆沢郡

「軍馬の里」六原の毛皮商殺し(S4.1.4)

昭和4年1月4日朝、岩手県胆沢郡水沢町(現・奥州市水沢区)に住む毛皮商の男性が、「毛皮を買いに行く」と言い残して相去村(現・北上市相去町)の六原方面(現・胆沢郡金ケ崎町六原)へ向かったまま行方不明となった。彼は出発前、家族に「良い仕入れ先を見つけた」と話し、購入予定の毛皮の種類と枚数を紙に記して示し…
平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが i一関・西磐井郡

平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが

昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では…
江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10)

昭和2年4月10日、岩手県江刺郡伊手村上浅倉(現在の奥州市江刺伊手字上浅倉)で、農夫がダイナマイトの爆発により右足を損傷し、破傷風を併発して死亡しました。この事件は、被害者(当時35歳)の義兄(当時44歳)が家庭内の冷遇や不和から殺意を抱き、計画的にダイナマイトを仕掛けた結果発生したものです。 義兄…
山陰大震災に岩手県内でも義捐金募集(S2.3.15岩手日報) l全県

山陰大震災に岩手県内でも義捐金募集(S2.3.15岩手日報)

昭和2年3月7日に発生した「山陰大震災」——現在でいう「北丹後地震」に対し、岩手県内でも義捐金を募る動きが広がった。 同月15日付の『岩手日報』には、被災地支援のための義捐金募集広告が大きく掲載されている。 「亡くし難き眷族を失ひ、愛児を喪ひ、親夫に別れ、住む家なく食ふに飢え、寒さと飢と恐怖と戦ひ……
一方井事件(S2.1.29) a盛岡・岩手郡・紫波郡

一方井事件(S2.1.29)

昭和2年(1927年)1月29日、岩手県岩手郡一方井村(現岩手町一方井)で発生した火災により男性が焼死しました。当初は事故死と判断されましたが、石油の臭いや頭部の裂傷から他殺の可能性が浮上しました。その後、この事件は天理教を背景にした複数の不審死を伴う猟奇的な犯罪へと発展しました。 火災後、昭和2年…
警察電話も寸断されるような暴風雪(S2.1.9岩手日報) l全県

警察電話も寸断されるような暴風雪(S2.1.9岩手日報)

昭和2年1月8日、岩手県内は冬型の気圧配置の影響で猛烈な暴風雪に見舞われた。各地で家屋の倒壊や倒木、電線の切断が相次ぎ、交通や通信に甚大な影響を及ぼした。 なかでも深刻だったのは、県内の警察電話が全面的に不通となってしまったことである。記事によれば、「復旧までには十日を要す」との見通しが出されており…
貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報に、盛岡駅構内で発生した痛ましい鉄道事故が報じられています。 事故が起きたのは、盛岡駅の北側に位置する貨物列車の入換線でのことでした。まだ19歳という若さの連結手が、10両編成の貨車に飛び乗ろうとした際、厳寒の気候が災いし、足を滑らせて線路上に転倒してしまいました。不運なこ…
刑務所の看守が生活苦から身投げを図る i一関・西磐井郡

刑務所の看守が生活苦から身投げを図る

昭和2年1月7日の岩手日報より。 宮城刑務所一関支所の37歳の看守は、1月5日夜に突然家出して一関区裁判所の裏の大川に身投げしたが、水深が浅く巡査に引き上げられ究明措置を取られたのだという。 家族は妻の他に3人の子供があり、その妻は4人目を妊娠中であったという。 自殺を企図した原因は、生活苦と神経衰…
盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日)

昭和2年1月2日の岩手日報では、盛岡刑務所まで取材に行ってその様子を伝えている。 盛岡刑務所では、諒闇の中でも1月3日まで特別な処遇をし、教誨室に集まって教誨師から説諭があったという。 警務当事者のコメントでは「一同謹慎の意を示し悲愁の意を呈していた」とのこと。  …
大正天皇崩御に伴う廃朝中は刑務所も労役免除(S元.12.26岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大正天皇崩御に伴う廃朝中は刑務所も労役免除(S元.12.26岩手日報)

昭和元年12月25日、盛岡にあった宮城刑務所盛岡支所では、大正天皇崩御の報を受けて、午前10時より所内の囚人を一堂に集め、皇居に向かって遥拝式が行われた。刑務所の中であっても、国家的な喪の空気は厳粛に共有されていた。 このとき所内では、「廃朝中」につき囚人の労役が免除された。廃朝中とは、天皇が崩御し…