c久慈・九戸郡 5月 5日 1949 久慈でヤギの四つ子、川井で月の輪のないクマ(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 こどもの日を記念して、動物ネタを2つ。 1つは、久慈にヤギの四つ子が生まれたと言うこと。 もう一つは、川井村門馬まで月の輪のないツキノワグマがいたと言うこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 子供の日に「一日盛岡駅長」や「一日岩手県知事」(S24.5.5新岩手日報) こどもの日は、いろいろな行事が開催され、県内の各官公庁でも、1日駅長や1日知事等の催しが開催された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 盛岡・松屋デパートの屋上に児童遊園ができました!(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡の2大デパートの一角を占めていた肴町の松屋デパートが、屋上に児童遊園を開設したという🏬 子供の日を期して、気合が入っていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1949 男女同権で女だけのお花見(昭和24年5月3日) 昭和24年5月4日の新岩手日報より。 憲法が改正されて2年目の憲法記念日を記念する記事。 新憲法で男女同権となり、「女だけの花見」が開かれたのだとう。 それほどまでに、「女は家にいろ」という肝炎が強かったと言うことだろうか。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 5月 3日 1949 金田一京助「ナニャドヤラはヘブライ語ではなく方言」(昭和24年5月3日) 昭和24年5月3日の新岩手日報より。 青森県の新郷村から岩手県の二戸郡にかけて、盆踊りで「ナニャドヤラ」(新聞の文中では「ニヤニヤトヤラー」)が歌われるが、これはヘブライ語由来ではなく、方言が添加したものであると言う金田一京助の学説を紹介した。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 5月 1日 1949 桜咲き誇る県南の名勝(S24.5.1新岩手日報) 県南の桜の名所は、この時が桜のシーズンだったようである。 北上の展勝地や、平泉中尊寺などはそのようだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 17日 1949 「ミシン税絶対反対」で婦人団体が盛岡市役所に押し掛ける(昭和24年3月17日) 昭和24年3月18日の岩手新報より。 盛岡市では、4月から新財源として「ミシン税」を導入しようとしていた。 しかし、盛岡市の婦人団体は、こぞって反対しており、盛岡市議会の予算議会の17日には、女性市議の案内で、女性団体が小泉多三郎市長に陳情する等のことがあった。 また、午後には「民主婦人協議会」と言… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 15日 1949 お魚の配給は岩手水産に登録を!(昭和24年3月15日) 昭和24年3月15日の岩手新報より。 広告欄には、お魚の配給を登録するよう広告がだされている。 内陸であれば鮮度の怪しいような赤身魚でも重宝されただろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 4日 1949 盛岡税務署「税金滞納したら容赦なく公売します!」(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 税金を滞納すると、このよう容赦なく公売広告にかけられたようである。 … 続きを読む
m県外・参考 3月 4日 1949 東京でアメリカの子供が「ヒナマツリ」を堪能(昭和24年3月4日) 昭和24年3月4日の岩手新報より。 東京・渋谷区で、アメリカの子供達がひな祭りを堪能したというニュースが岩手でも報じられた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1949 盛岡・杜陵小学校で学芸会(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 ひな祭りに先立ち、盛岡の杜陵小学校では学芸会が開催されたと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 15日 1949 岩手県で初めての成人式(昭和24年1月15日) 平成10年の「ハッピーマンデー法」まで、成人の日は1月15日と決まっていた。 これは、昭和23年7月10日に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」によるものである。 この法律が定められて初めての岩手県内の成人式はどうであったか、昭和24年1月16日の岩手日報から紐解いてみたい。 祝日法施行後初の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 26日 1948 仙台からの水害御見舞い広告(昭和23年9月26日) 昭和23年9月26日の岩手新報より。 アイオン台風で水害を被った岩手県内の事業所に対し、仙台の会社が水害御見舞い広告。 昔から医者の世界はこうした付き合いが大切だったのだろうか。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 19日 1948 アイオン台風の被害に遭った宮古に宮城県渡波港から救援米が届く(昭和23年9月19日) 昭和23年9月22日の岩手新報より。 アイオン台風の被害に遭った宮古に、宮城県渡波港から救援の米が届いた。… 続きを読む
j東磐井郡 9月 18日 1948 あまりの財政難に東磐井地方事務所では借金してまで自費で出張(昭和23年9月18日) 昭和23年9月18日の岩手新報より。 岩手県の財政難は申告であった。 千厩の東磐井地方事務所では、予算の支給遅延で各課員がやむなく自腹で出張し、中には借金してまで行くものもいたという。 生産されるのは数ヶ月後で、生活に追われる課員の中には出張を忌避して行政に支障が生じる事態すら危惧され、対策が急がれ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1948 昭和23年の「ミス盛岡」は国立病院勤務の20歳 昭和23年9月16日の岩手新報より。 ミス盛岡に選ばれたのは、国立盛岡病院に勤務する佐藤京子さんという20歳の女性。 北平(北京)日本第二高等女学校から盛岡家政学園を経て、国立盛岡病院に勤務しているのだという。 準ミス以下他の女性がサザエさんヘアであるのに対し、佐藤さんはシンプルなデコ出しで、令和の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 16日 1948 釜石製鉄所の工員募集!(昭和23年9月16日) 昭和23年9月16日の岩手新報より。 釜石製鉄所では行員を募集している。 当時は財閥解体前なので「日本製鉄」。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1948 盛岡八幡宮の大祭の賑わい(昭和23年9月15日) 昭和23年9月16日の岩手新報より。 恒例の盛岡八幡宮の大祭が開催され、2日目の9月15日も8万人の人出でにぎわったという。 そして4台の山車が市内を練り歩き、八幡宮の近くの馬検場から自動車12台が思い思いの飾りで更新するという。 ちなみに自動車祭については以下のページ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 14日 1948 盛岡市内のダンスホールは盛況(昭和23年7月14日) 昭和23年7月14日の岩手新報より。 「この暑いのにダンスホールは満員・・・」と冒頭から記事は呆れてみせている。 この当時、エアコンなど無かったので屋内はさぞ暑かっただろうと思われる。 「上衣を脱いだダンデーと白野ワンピース、ツーピースの御婦人方」が集まって踊っていた。 これが昭和23年の若者たちの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1948 松尾鉱山で従業員募集。月収は1,600~6,000円(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手県と松尾鉱山では松尾鉱山の従業員を募集している。 月収は1,600円~6,000円。 どんな職種なら1,600円で、どんな職種なら6,000円だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1948 岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手医大では予科の補欠募集をしている。 昭和23年に学制改革する前の昭和22年に岩手医専は「岩手医科大学」としてギリギリ旧制医科大学となっている。 旧制の医大なので、中等学校を卒業したらまず「予科」に入ることになる。 たとえば旧制高校の無かった北海道では… 続きを読む
l全県 5月 18日 1948 政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報より。 政府では「事務標準化」「生活安定」と目標として人員整理をすることとなった。 岩手県職員の定員は3,706名であったところ、このような定員整理を見越して、退職者を補充しない自然淘汰の形をとっており、この時点で3,065名になっており、特に人員整理を行わない方針であ… 続きを読む
m県外・参考 12月 3日 1947 アメリカの産児調節相談所(昭和22年12月3日) 昭和22年12月3日の新岩手日報より。 広告欄には「アメリカの産児調節相談所」の広告。 別に盛岡など岩手県内に来る訳ではなく、東京の代理店的な所が新岩手日報に広告を出していたというもの。 内容はペッサリーの使い方なので、女性側の避妊方法ということのようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 3日 1947 沼宮内で北岩手古衣商同業組合の交換会(昭和22年12月3日) 昭和22年12月3日の新岩手日報より。 沼宮内で北岩手古衣商同業組合の交換会を開催するという。 古着に根強い需要があったということだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 2日 1947 県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) 昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1947 引き揚げ者援護のために歌謡コンクールやダンスパーテー(昭和22年12月1日) 昭和22年12月1日の新岩手日報より。 戦争が終わり、満州や朝鮮にいた人は引き揚げてきたわけだが、その経済的な貧窮は社会問題となっていた。 このために「角田屋事件」という誘拐事件まで起きたほどである。 これを憂慮してから、引揚者援護のために歌謡舞踊コンクールや大ダンスパーティーを開催すると言う事だっ… 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 24日 1947 和賀地区衣料品登録店立候補者名簿(昭和22年9月24日) 昭和22年9月24日の新岩手日報より。 和賀地区(北上周辺)の衣料品登録店立候補者名簿であるという。 立候補というからには投票などがあったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1947 岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) 昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。 … 続きを読む
l全県 9月 2日 1947 ドラム缶風呂は1,180円(S22.9.2新岩手日報) 広告欄より。 ドラム缶風呂が売っていて、1,180円であったという。 ちなみに、昭和22年当時の東京都職員の平均給与が3,542円であった時代。… 続きを読む
l全県 9月 2日 1947 タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!(昭和22年9月2日) 昭和22年9月2日の新岩手日報より。 広告欄には「タッタ1週間で美男美女になれる!男女必携ゴールド美顔器!」と出ている。 どのようにして使うのかは不明。 … 続きを読む