j生活

アメリカ赤十字青少年部から岩手の子供達にギフトボックス(S25.1.15岩手新報) l全県

アメリカ赤十字青少年部から岩手の子供達にギフトボックス(S25.1.15岩手新報)

昭和25年(1950年)1月15日付の岩手新報に、戦後の空気をよく伝える小さな国際ニュースが載っている。 アメリカの少年少女から贈られた 65個のギフトボックス が、米国赤十字社を通じて日本赤十字社本部に渡り、さらに岩手県支部へと届けられたという記事だ。 Screenshot この贈り物の原資となっ…
釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日付の岩手新報に掲載されたこの広告は、当時の釜石における味噌と醤油の小売店登録に関する挨拶文です。戦後の混乱期を経て、物資の流通を管理していた需給調整規則が改正されたことに伴い、改めて「指定店」として登録を受けた店主たちが連名で広告を出したものです。 文面からは、指定店としての誇り…
入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(S25.1.14岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日の岩手新報に掲載されたこの公告は、現代の私たちにとっては当たり前の存在である病院給食が、実はGHQ主導による医療改革の大きな転換点であったことを物語っています。 当時の日本では、入院患者の食事は家族が付き添って調理したり外部から持ち込んだりする自炊制度が一般的でした。しかし、この…
川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報)

昭和25年1月12日付の新岩手日報には、戦後日本の混乱と庶民のたくましさを象徴するような、驚くべき光景が記録されています。その記事が伝えているのは、隠退蔵物資と呼ばれた旧日本軍などの横領物資が摘発され、市民に安く放出された際の異様なまでの熱狂です。隠退蔵物資は、本来ならば終戦直後に国民へ分配されるべ…
炊事や採暖にはスズキ式ストーブを!(昭和24年11月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

炊事や採暖にはスズキ式ストーブを!(昭和24年11月7日)

昭和24年11月7日の岩手新報より。 炊事にも使用できるという「スズキ式ストーブ」の広告が出ている。 燃料は「亜炭でも何でも完全燃焼します」とある。 亜炭は、石炭化度の低い、石炭としては質の低いものではあったが、製鉄用などとは違い、家庭用にはこの程度でも十分で重宝されたのだという。   &…
葛巻町で産業祭(昭和24年11月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

葛巻町で産業祭(昭和24年11月3日)

昭和24年11月3日の岩手新報より。 葛巻町では、秋の収穫を祝って11月1日から3日まで葛巻小学校で産業祭が開催され、雨の中を多くの人出で賑わったと言う。 ところで、葛巻町と言うのは馬淵川の源流域にあるので、二戸や一戸と同じ二戸郡にありそうなものであるが、実は、久慈や野田から塩を運ぶ野田街道の宿場町…
ブドーの実もたわわに揺れる(昭和24年9月1日) j生活

ブドーの実もたわわに揺れる(昭和24年9月1日)

昭和24年9月1日の岩手新報より。 「九月のこよみ」という、9月の予定を列挙した記事。 どこのブドー園かは不明であるが、ブドー(記事原文ママ)の実もたわわに揺れて実りの秋を迎えようとしている。 二百十日にはキッティ台風(記事原文ママ)が来て農家の厄日となりそうだ・・・と書いている。 そして、「サンマ…
県営第2回盛岡競馬 a盛岡・岩手郡・紫波郡

県営第2回盛岡競馬

県営第2回盛岡競馬は、昭和24年6月30日午前11日から黄金競馬場で開催された。 総売り上げは79万円であったという。 第1競馬 速歩(丁3級)2400m 単46、複21・25 ポーラン(6′25″2) ビイガ ホシヒメ 第2競馬 かけ歩(丁級)800m 単33、複24・42 サワダ(1′5″1) …
盛岡でお釈迦様の生誕を祝う花まつり(S24.5.9新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡でお釈迦様の生誕を祝う花まつり(S24.5.9新岩手日報)

昭和二十四年五月八日、盛岡では一月遅れのお釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」が開かれた。 Screenshot 主催は盛岡市仏教会で、市内の寺院が協力して行われる年中行事として戦後も受け継がれていた。この日の岩手県公会堂には、なんと一〇〇〇名ものお稚児さんが集まったという。白い装束に花冠をつけた子ども…
半陰陽の女子医大生が盛岡に来て誘拐騒ぎ(S24.5.8新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

半陰陽の女子医大生が盛岡に来て誘拐騒ぎ(S24.5.8新岩手日報)

昭和二十四年五月八日の新岩手日報には、少し不穏な記事が載っていた。当時、全国では「半陰陽(インターセックス)」と呼ばれた女子医大生が、女子医専の学生を誘拐するという事件が話題になっていたらしい。戦後間もない混乱期ということもあって、性に関する理解が浅い時代であり、センセーショナルな扱われ方をしていた…