a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 8日 1946 日詰の秋祭りが10年ぶりに復活(昭和21年9月8日) 昭和21年9月8日の新岩手日報より。 日詰の秋祭りは10年ぶりに復活したのだと言う。 そして、さんさ踊り獅子舞や手踊りなどをにぎやかに繰り出したが、中でも人気があったのは鍛冶町各組から出た5つの樽神輿であったと言う。 紺の匂いも昔懐かしく、お揃いのハッピとねじりハチマキとわらじ姿でわっしょいわっしょ… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 8月 28日 1946 赤痢予防に蠅討伐 昭和21年8月28日の岩手新報(岩手日報とは別)に、本当にそういう見出しで書いているのである。 気仙郡上有住村では、赤痢の蔓延に4千人の村民が悩まされていた。 それは薬剤不足による蠅の蔓延によるものである。 あまりの恐怖から、一家が食事をするときにまで蚊帳の中でするという始末。 隣の世田米町でも状況… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 28日 1946 花巻町の水道料値上げ 昭和21年8月28日の岩手新報(岩手日報とは別)の記事より。 稗貫郡花巻町では水道料金を値上げするという。 専用栓 1戸5人まで 5円→8円 1人増すごとに 15銭→35銭 支柱1戸 50銭→75銭 浴槽 50銭→75銭 牛馬1頭 50銭→75銭 共同栓 1戸5人まで 3円50銭→3円80銭 1人に… 続きを読む
m県外・参考 7月 1日 1946 人気の「こどもしんぶん」(S21.7.1新岩手日報) この時期、新岩手日報では「こどもしんぶん」を発行していたようだ。 食糧難にあえぐ時期でも、このようなエクストラな消費をできるところはしていた、ということのようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 1日 1946 酒1升のために米3升の配給を辞退した人はいる?(S21.7.1新岩手日報) 読者からの投稿欄。 この時代は配給なしには生きられない時代であったが、「酒1勝の配給のためには米3升を辞退しなければいけない」ということになっていたようだが、それを実行した人はいたのだろうか?という花巻の人の問い。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 12日 1946 盛岡にはびこる偽のヤミ米摘発隊(昭和21年6月12日) 昭和21年7月1日の岩手日報より。 開運橋通りのある家に3人の男がやってきて「岩手地方世話部のものだが・・」と言う。 地方世話部というのは県庁に属し、軍人の恩給や復員に関する役所であった。 まだ復員していなかった長男の話でも聞けるのか?と思ったら「ヤミ米に関して調べたいから倉庫を見せてくれ」という。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 15日 1945 新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 12日 1945 上閉伊郡栗橋村では割当量の234%の松根油生産!(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 4~6月の第1期の松根油生産において、県下で最も優秀な成績をあげたのは上閉伊郡栗橋村で、割当量の実に23割4分の生産を達成したという。 これは、責任者が滅敵の闘魂を燃やして2里(8km)の道を、未明から夜の8時まで何があっても帰宅せずに奮闘したからであるという。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 7月 12日 1945 二戸郡福岡では松根油生産死守に「七人の侍」(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 石油の採れない日本では、「ガソリンの一滴は血の一滴」で、木炭ガスで自動車を動かし、松根油で飛行機を飛ばそうとしていた。 この状況であるにもかかわらず、二戸郡福岡町の松根油生産状況は芳しくない状況であった。 そこで、福岡町農業会長は二戸国民動員署にこの実情を訴え、… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 10日 1945 代用食、代用醤油のレシピ(昭和20年7月10日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 前年の11月に東京から疎開してきた書道家は毛筆をあっさり捨てて、宮古翼壮松根油工場で働いているという。 その奥さんは、日々の食事のことを常に考えていた。 この際、嗜好本位を捨てて栄養本位で考えないといけない。 道端の草には食べられない草より食べられる草の方が多い… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1945 西磐井郡の学童の山菜採取成績(昭和20年7月8日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 西磐井郡の各国民学校の山菜採取状況は以下の通りであったという。 一関国民学校 303貫 油島国民学校 411貫 花泉国民学校 181貫 金沢国民学校 805貫 老松国民学校 175貫 弥栄国民学校 291貫 萩荘国民学校 201貫 厳美国民学校 1011貫 山目… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 6日 1945 水沢では灯火管制の反則36件(昭和20年7月6日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 水沢警察署では、水沢町内の灯火管制の状況を点検したら、36件の反則があった。 電球に直接覆いを掛けているもの 片側だけ遮光しているもの 全く遮蔽をせずに雨戸だけ閉めているもの このために電球40個を押収した。 反則者は疎開者が多かったという。 言い訳としては「資… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1945 昆布増産の最前線は学童たち(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 当時、大槌湾は「養殖昆布の先進地」であると認識されていたようである。 その大槌湾では子供たちが小舟が沈みかけるほど大量に昆布を収穫していたという。 大槌漁協割り当ては5,957貫であったが、6月30日の時点でそれを達成し、これまで使わなかった穴布(あなめ)まで採取… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1945 宝くじのルーツは戦時中の「勝札」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 盛岡煙草販売組合では、「7月攻勢」の目標に、①アルミ貨回収、②勝札売り捌き を決定した。 ①アルミ貨回収というのは、当時の10銭以下の小銭がアルミニウムでできていたところ、戦闘機の製造にアルミニウムが不足していたので貨幣は錫で製造することとし、アルミニウムの小銭は… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 29日 1945 釜石憲兵分隊「灯火管制を守らなかったり、裏山に逃げ回ったり、何たる不心得!」(昭和20年6月29日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 6月29日夜、釜石に敵機の偵察があったのだという。 ところが、その時に灯火管制を守らず注意された家は20戸、始末書を取られたのが16戸あったという。 中には「暑い」と言って雨戸を開放して消灯しており、いざという時に思わず点灯してしまうという家もあったという。 そう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1945 釜石鉱山では鶴嘴片手に無休の正月 〽️海の男の艦隊勤務 月月火水木金金 休みなく働くことを称揚した軍歌「月月火水木金金」は、本来は戦争の激化により休みがなくなっていく海軍の状況を自嘲的に「これじゃ月月火水木金金だよ」と誰かがこぼしたのを真に受けて作詞されたものであると言われている。 昭和20年の釜石鉱山の正月は、その「月月火水木金金… 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 東北配電より電灯用電球の配給に関するお知らせ(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 当時は電気事業は「東北配電」であった。 そして電球も配給制だったようである。 その旨のお知らせ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡工機部で働く21歳女性の発明(S19.8.3新岩手日報) 盛岡工機部(のちの国鉄盛岡工場)で働く21歳の女性が、ワイヤー曲げの機械を発明したという。 これで、手作業が大幅に自動化されたのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1944 決戦時の食糧事情に鑑み、野生のトコロ芋でパンを作りましょう(昭和19年8月2日) 昭和19年8月3日の岩手日報より。 8月2日、盛岡市で婦人常会が開かれたが、その席上で、営団理事長が「現下の食糧事情について」と講演を行ったという。 記事では「営団」とだけ書いているものの、平成16年(2004年)まで存続した「営団地下鉄」ではないようで、おそらくは食糧管理法(昭和17年2月21日法… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1944 盛岡婦人常会で「お盆も決戦型に」と決議(昭和19年8月2日) 昭和19年8月3日の岩手日報より。 盛岡市の8月婦人常会が、8月2日に市役所で開かれた。 婦人隣組常会には時々班からも出席してもらいます。 常会で相談した事はどの程度実践されているか、次の常会で反省しあうことにしましょう。 これに対し「ハイ実行いたします」で可決したという。 盂蘭盆行事に関しては、 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1944 蜀黍(コーリャン)からで糖蜜を作れば岩手でも砂糖は自給できる!(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 かつて、東北には「東北開発株式会社」という国策企業があった。 これは、昭和8年の三陸大津波や昭和9年の大冷害など、東北地方を襲った災害や飢饉に対し、国が東北地方の開発の重要性に鑑み昭和11年に「東北興業株式会社」として創設したものである。 だから、国先企業とはいえ… 続きを読む
j東磐井郡 8月 1日 1944 東磐井郡の大日本婦人会員が傷痍軍人に蕨・ぜんまいを贈る(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 東磐井郡下の大原・興田・折壁・奥玉・大津保・田河津・猿沢・長坂・舞川・門崎・渋民の各村の大日本婦人会支部員は、ワラビやゼンマイを採取しこれを乾燥したものが150貫(562.5kg)に達したので、これを傷痍軍人の為に送ることにした。 &n… 続きを読む
l全県 8月 1日 1944 岩手県協和会が朝鮮半島出身労働者を表彰(S19.8.1新岩手日報) 岩手県協和会は、半島出身労働者を表彰した。 このことからも、朝鮮人がどこで多く働いていたかが分かろうというもの。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 1日 1943 釜石鉱山鉄道の従業員募集(昭和18年12月1日) 昭和18年12月1日の新岩手日報より。 釜石鉱山鉄道では、従業員を募集している。 職務内容は、運転士・車掌など。 募集は、県内各地の国民職業指導所にて。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1943 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日) 昭和18年4月17日の新岩手日報より。 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式が、4月16日の午前11時15分に日赤岩手支部の行動において行われた。 まずは、外地に旅立つ書紀や婦長を先頭に白衣の天使たちがさっそうと入場した。 そして、岩手県内政部長の訓示などが行われた。 これに先立って、護国神社いや八幡… 続きを読む
l全県 4月 15日 1943 大政翼賛会岩手県支部「花見シーズン!花に浮かれるな!不要不急の旅行をやめよ!」(S18.4.15新岩手日報) 花見シーズンを前に、大政翼賛会岩手県支部は「花に浮かれるな!不要不急の旅行をやめよ!」と御触れを出す。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 7日 1943 小岩井牧場に遊ぶ春駒(昭和18年4月7日) 昭和18年4月8日の岩手日報より。 4月7日は愛馬の日であり、馬に関する記事が多くみられる。 時局がら、軍馬関係の記事が多くみられるが、小岩井農場に関する呑気な写真記事も。 … 続きを読む
l全県 4月 6日 1943 牛は粗食だが菌力で肥っている!だから人間も…(昭和18年4月6日) 昭和18年4月6日の岩手日報より。 広告欄には「牛は粗食だが肥っている」と、イースト菌の広告を打っている。 今考えれば滅茶苦茶だが、この戦時下にあっては一定の説得力があったのだろう。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 1日 1943 萩荘村の凍み豆腐が前線へ(昭和18年4月1日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 西磐井郡萩荘村の凍豆腐は、県内で唯一の軍需凍豆腐として前線に送られることになった。 3月29日には、製品検査が行われたが、その成績も極めて良好で近いうちに発送することになったのだと言う。 … 続きを読む