a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 12月 1964 〽イイヅカでショッピング~(昭和39年12月24日) 昭和39年12月24日の岩手日報の広告欄より。 少し前の岩手県民ならラジオの〽イイヅカでショッピング~ イイヅカでショッピング~ で知られるファッションデパート・イイヅカの広告。 クリスマスの時期なので彼氏は彼女に何か買ってあげましょう、という広告。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 12月 1964 サンヤのクリスマス特別セール(昭和39年12月25日) 昭和39年12月24日の岩手日報より。 盛岡のサンヤでは、サンタ特別セールを行うという広告を出している。 後年の〽️サンヤ家具サロン〜 ? … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 22 12月 1964 大船渡で新聞少年にソバを振る舞う 昭和39年12月22日の岩手日報より。 大船渡料理飲食店組合長を務めるその店主は、50人の新聞少年に中華ソバをふるまったという。 見出しには「ソバで元気つけて 新聞配達少年励ます」となっているが、実際は中華そばつまりラーメンだったということになる。 当時は「ラーメン」なんて言い方はしなかったのだろう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 12月 1964 知らない間に結婚してた!? 昭和39年12月20日の岩手日報より。 大阪に住む59歳独身の会社員が、本籍地のある徳島県小松島市役所から戸籍抄本を取り寄せた。 すると、知らない間に妻がいて、子供3人いるということになっている!? どうやら、昭和24年10月14日に釜石市内の女性と結婚していた、ということになっているらしい。 その… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 11月 1964 日本一の消防村・矢巾村では女子消防団員もハシゴ乗りをこなす(昭和39年11月30日) 昭和30年11月30日の岩手日報より。 「岩手の消防を点検する」というシリーズ物の記事では、岩手県の消防力の後進性を嘆いている。 矢巾村では、この記事の書きぶりをそのまま借りると「農村古来の道徳観にマッチして若い団員たちにも全体主義的な考え方が強い。当世ふうのあまりにも開放的な若者たちにけんおを感ず… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 11月 1964 東北電力岩手支店の造形美は「直線と曲線の融合」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 中津川べりに建つ東北電力岩手支店の建物は昭和37年に建ったものであるというが、スパンドレルと呼ばれるアルミニューム合金で、記事の表現をそのまま借りれば「キリのマサ目を思わせるやわらかい線ときっちり並んだ窓ワクがいかにもすがすがしい感じを与える」と表現されている… 続きを読む
m県外・参考 26 11月 1964 岩手でも報じられた長嶋選手婚約(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 巨人軍の長嶋選手の婚約は、岩手でも報じられていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1964 重茂海岸にも「岩手川」(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 岩手川は重茂海岸のアワビ漁解禁に関して広告を打っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1964 お医者さん親善ラグビーで岩手ドクターズが関西ドクターズに敗れる(昭和39年11月1日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 お医者さんラガーは4年に1回、大会を行っていたのだそうで、その4年に1回が待ちきれず、岩手医大OBで組織される「岩手ドクターズ」と、「関西ドクターズ」が盛岡市上田の黄金ラグビー場で新全試合を行ったのだという。 結果は8-3で関西ドクターズの勝利。 このお医者さん… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 9月 1964 釜石にいた長寿日本一「長生きはいいもんだなす」(S39.9.11岩手東海新聞) 昭和39年(1964)9月11日の岩手東海新聞には、当時「日本一の長寿者」として釜石市内の男性・中村翁(116歳)が紹介されています。嘉永6年(1853年)生まれ、まさに幕末から明治・大正・昭和を生き抜いた人でした。 Screenshot 記事によると、中村翁の住む釜石市尾崎白浜地区は「長寿村」とし… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 9月 1964 釜石から東海製鉄に2300人が転出(s39.9.5岩手東海新聞) この時期、釜石から東海製鉄への転出が相次いでいた。 この時は2300人だったという。 これが釜石の「終わりの始まり」。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1964 釜石ガス「ガス炊飯器なら美味しく炊き上がりますよ!」(昭和39年9月1日) 昭和39年9月1日の岩手東海新聞より。 釜石ガスではガス炊飯器の広告をしている。 個人的には、このタイプの炊飯器はうっすら記憶にある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1964 仙岩峠の夏・相逢いの滝(昭和39年8月2日) 昭和39年8月2日の岩手日報より。 盛岡から秋田に行くには、国道46号線で行くことになるが、当時は仙岩トンネルなんて開通していないので、曲がりくねった峠道を越えるしかなかった。 … 続きを読む
備考※1 10 7月 1964 【参考】売血の「黄色い血」が問題に 昭和39年7月10日公開の中日ニュースより。 3月に発生したライシャワー米大使刺傷事件により、日本国内における売血が問題になった。 当時、売血は貧困層の生活手段となっており、売血のし過ぎによる「黄色い血」や、肝炎が問題になっていた。 https://www.youtube.com/watch?v=B… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 6月 1964 釜石で技能オリンピック(昭和39年6月25日) 昭和39年6月25日の岩手東海新聞より。 釜石職業訓練協会では「技能オリンピック」を開催するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 19 6月 1964 釜石・東殖デパート「今夏は太陽を肌で楽しみましょう!」(昭和39年6月19日) 昭和39年6月19日の岩手東海新聞より。 釜石の東殖デパートの広告が奮っている。 「今夏は太陽を肌で楽しみましょう!」… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 6月 1964 釜石の服地店では夏の大売出し(昭和39年6月18日) 昭和39年6月18日の岩手東海新聞より。 釜石市内の服時点では夏の大売出し。 ヤールあたりの価格だろうか?… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 6月 1964 釜石電報電話局「電話のない部落を解消するぞ!」(昭和39年6月15日) 昭和39年6月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局で予定していた、昭和39年度の電話架設計画は、農村公衆電話の7台の架設工事が全て完了した。 この年に架設された農村公衆電話は以下の通り。 大槌町和野 〃 種戸 〃 金沢安瀬沢 〃 大ヶ口 〃 臼沢 釜石市栗橋町大口 〃 〃 能舟木 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 6月 1964 釜石の洋品店では「夏のモード展」(昭和39年6月13日) 昭和39年6月13日の岩手東海新聞より。 釜石市内の洋品店では「夏のモード展」を開催。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 6月 1964 釜石で夏のおしゃれ市・プリント服地陳列会(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 釜石市内の呉服店では夏のおしゃれ市を開催する。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 6月 1964 釜石の家具店もオリンピックムード(昭和39年6月6日) 昭和39年6月6日の岩手東海新聞より。 釜石市内の家具店の広告もオリンピックムードになっている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 6月 1964 夏漁に備えて魚箱や巻網の準備(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 夏漁に備えて、魚箱や巻き網の準備に余念がなかった。 魚箱作りは、主婦の内職であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 6月 1964 ブラザーミシン釜石営業所では社員募集中(昭和39年6月2日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 広告欄では、ブラザーミシン釜石営業所が社員募集の広告を出している。 学歴が「旧制中学卒以上」と言う時代でもあったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1964 給食の牛乳に大腸菌が発見され保健所が厳重注意(昭和39年6月1日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 釜石市内で、学校の給食の中から大腸菌の汚点のついた牛乳が発見されたのだと言う。 このことを釜石保健所は重く見て、市内の保健所を集めて厳重注意を行うことにした。 そして、4月から5月にかけて行われた牛乳の調査の結果、6つの業者のうち、4つの業者から大腸菌が発見さ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 3月 1964 松尾鉱山の新しい住居表示(昭和39年3月20日) 岩手郡松尾村でも昭和39年4月1日から「住居表示に関する法律」(昭和37年5月10日法律第119号)に基づいた住居表示を行うようになるということで、村の広報まつお昭和39年3月20日号で広く周知することに。 この広報自体は「松尾鉱山資料館」で売っていたような気がする。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1964 釜石駅から「蛍の光」で東海製鉄へ33人が転出(S39.2.7岩手東海新聞) この年の2月1日、釜石から最初の東海製鉄への転出車が送られたが、今度は第2陣の33名が転出。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 釜石職安「遠野の皆さん!釜石に来て働いて下さい!」(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所では、労働力不足に頭を悩ませていた。 そこで、農村地帯である遠野の労働力に釜石に来てもらおう、というキャンペーンを張ることになった。 … 続きを読む