a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 3月 1954 ラジオ岩手で教育二法案に関する討論会で激論(昭和29年3月11日) 昭和29年3月12日の岩手日報より。 この当時、学校教員が政治的なデモに参加し、教育が政治色を帯びたものになることが問題になっていた。 日教組は令和となった今以上になお政治色が強く、京都では旭丘中学問題というのがこの時点でなお解決していない状態であった。 それで、国会では教員の政治介入を禁じる「教育… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11 1月 1954 一関市内の電器店「素晴らしい新型ラジオ入荷!」(昭和29年1月15日) 昭和29年1月15日の岩手日日より。 一関市内の電器店では5球ラジオの入荷を報じている。 まだまだテレビが岩手にはなかった時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 「ラジオ岩手」が近く試験放送(S28.12.1岩手日報) この年の12月末に本放送の開始を予定していラジオ岩手が、4日にでも試験放送を開始するという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 9月 1953 岩手日日ではあらゆる印刷の御用命も承ります!(昭和28年9月8日) 昭和28年9月8日の岩手日日より。 一関の岩手日日では印刷業もやっていたらしい。 これはどこの地方新聞も一緒のよう。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 野間宏の考える「仮名遣いと当用漢字」(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 なぜか、作家の野間宏の記事が載っている。 仮名遣いと当用漢字に関してである。 ちなみに、野間宏自身は兵庫県出身で、関西生寺版として活躍していた小説家であり、岩手とは関係ない。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 ラジオは一関市内の専門店で買いましょう!(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日の広告欄より。 ラジオ屋の広告が2件入っている。 GENERALというのは八欧電機で現在は富士通ゼネラル、マツダというのは東芝のラジオブランド、ナショナルは言わずと知れた松下電器である。 … 続きを読む
l全県 3 3月 1953 ローカルラジオ番組案内(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 岩手版の隅では、ラジオ番組の案内を掲示している。 ところが、岩手版であるにもかかわらず、JOIR(仙台放送局)の番組がメインになっており、JOQG(盛岡放送局)の番組はほとんどないに等しい。… 続きを読む
l全県 3 9月 1952 ラジオ番組案内(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 ラジオ番組案内は以下の通り。 NHKだけではなく、ラジオ仙台(現:TBC東北放送)、ラジオ東京(現:TBSラジオ)もある。 … 続きを読む
l全県 8 5月 1952 ラジオ番組表(昭和27年5月8日) 昭和27年5月8日の岩手新聞より。 5月8日のラジオ番組表が掲載されている。 JOQGとはNHK盛岡放送局のこと、JOKRとはTBSラジオのこと。 … 続きを読む
l全県 7 5月 1952 ラジオ番組表(昭和27年5月7日) 昭和27年5月7日の岩手新聞より。 ラジオ番組表は以下の通り。 「JORK」とは「JOKR」(現在のTBSラジオ)の誤植だろうか。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1952 休刊していた岩手新報が「岩手新聞」として復刊(昭和27年5月1日) 昭和27年5月1日の岩手新聞より。 …というか岩手新聞? それはどこの新聞? …と思うところであるが、岩手新報と同じマイクロフィルムのリールに入っていたので、これが4月1日に休刊した岩手新報の後継となるのだろう。 しかし、下の広告には「岩手新報からの復刊」というよりは、全く新しい「創刊」というニュア… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1952 岩手新報は印刷機器の更新のために休刊(昭和27年4月1日) 昭和27年4月1日の岩手新報より。 読者向けに「謹告」が出ている。 それは、輪転機などの印刷機器の更新のために、4月2日以降新聞の発行を休刊すると言うものである。 … 続きを読む
l全県 1 1月 1952 「完全独立の年」1952年の新年号(昭和27年1月1日) 昭和27年1月1日の岩手新報より。 昭和27年はサンフランシスコ講和条約が発行し独立を果たす年。 そんな喜びが紙面にも溢れていた。 … 続きを読む
l全県 2 7月 1951 「夕刊いわて」は1部3円!1ヶ月配達で70円!(昭和26年7月1日) 昭和26年7月1日の「夕刊いわて」より。 自社の社告で「夕刊いわて」は1部3円、1ヶ月で70円である旨。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 6月 1951 与の字橋・入道雲・女子高生(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 中の橋と上の橋の間にある与の字橋の向こうには入道雲が立っている。 そして遠足帰りの女子高生が渡る。 与の字橋の向こうにある女子校というと、盛岡二高(上の橋町)だろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 4月 1951 今晩のラジオ番組案内(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 隅っこには「今晩のラジオ」として番組案内が掲載されている。 「朝鮮の戦局はどうなるか」などと、まるで当記事執筆現在のウクライナ侵攻のような感覚で朝鮮戦争を解説していたようである。 「QG」とはNHK盛岡放送局のコールサイン(JOQG)。 … 続きを読む