a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 2月 1956 紫波郡では天然氷切り出しの最盛期(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 紫波郡は天然氷の産地であったが、その積み出しに大忙しであった。 ただ、三陸地方が不漁であること、人造氷に押されて苦しかったようではある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 1月 1956 盛岡日活で「江戸一寸の虫」「沙羅の花の峠」公開(昭和31年1月30日) 昭和31年1月29日の岩手日報より。 盛岡日活で「江戸一寸の虫」と「沙羅の花の峠」を公開する。 「江戸一寸の虫」は昭和30年10月25日公開で、三国連太郎や山形勲が出演。 「沙羅の花の峠」は昭和30年10月12日公開で、南田洋子や宍戸錠が出演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1956 盛岡・内丸座で「白い橋」「子供の眼」封切(昭和31年1月29日) 昭和31年1月29日の岩手日報より。 盛岡の内丸座で松竹映画「白い橋」と「子供の眼」を封切するという。 いずれも東京での初公開は昭和31年1月15日。 「白い橋」は原作が石坂洋次郎で、佐田啓二や岸恵子の出演。 「子供の眼」は高峰秀子や高峰三枝子が出演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 1月 1956 盛岡市議会文教委員会「河南地区に小学校を新設しましょう」(昭和31年1月27日) 昭和31年1月29日の岩手日報より。 盛岡市議会文教常任委員会が1月27日に開かれた。 河南地区に小学校を新設する陳情が上がっており、これは昭和31年度は財源措置の見通しが立たず、昭和32年度から年次計画で建築するということでこれを採択したという。 その他の議題は以下の通り。 市内全小中学校に映写機… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 1月 1956 「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 この当時、風俗営業法では料飲店の営業時間は深夜11時までと決まっていたようだった。 警察も年末年始や花見のシーズンぐらいはとお目こぼししていたところが、この時期になると不景気風が吹き始めたせいか、時間を守らないのが常態化していた。 これではうるさくて近隣の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 1月 1956 岩手山の山頂なら仙台のテレビが見れるかも?(昭和31年1月19日) 昭和31年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市内にはアマチュア無線局は27局あり、東北一であったという。 受信しているだけの愛好家も合わせれば50人はいたのではないかと言われていた。 その盛岡ではアマチュア無線クラブがあったが、この年の目標は「4月に仙台で放送が始まるテレビを岩手山頂で受信しよう… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1956 盛岡日活で「顔役」「未成年」公開!(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡日活では「顔役」と「未成年」を公開する。 「顔役」(ボス)は昭和30年12月27日初公開で、出演は三橋達也、南田洋子など。 「未成年」は昭和30年10月18日初公開で、出演は長門裕之、清川虹子など。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1956 盛岡・中央ホールで大映「虚無僧変化」「帰って来た幽霊」封切!(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡で大映専門館となっていた中央ホールで「虚無僧変化」と「帰って来た幽霊」を封切する。 「虚無僧変化」は昭和30年12月21日初公開で、林成年、角梨枝子、黒川弥太郎などの出演の時代劇。 「帰って来た幽霊」は昭和30年12月14日初公開で、花菱アチャコ、浪花千栄子、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1956 盛岡・東宝第一劇場で「花嫁会議」「オテナの塔 後編」封切!(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡の東宝第一劇場では「花嫁会議」と「新諸国物語 オテナの塔 後編」を封切する。 「花嫁会議」は昭和31年1月14日公開で、柳家金語楼や雪村いずみの出演。 未来の日付となっているが、直営館なので早かったのだろうか。 「新諸国物語 オテナの塔 後編」は… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1956 盛岡・内丸座で「続・この世の花」「元禄美少年記」を封切!(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「続・この世の花」と「元禄美少年記」を封切する。 「続・この世の花」は昭和30年11月6日初公開の松竹映画で、川喜多雄二や淡路恵子が出演。 「元禄美少年記」は昭和30年12月21日初公開の松竹映画で、中村賀津雄が主演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1956 カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 この頃、オートバイにカップルで乗って、女性の方は横乗りで事故を起こすことが多かったようである。 そこで警察は取り締まりに乗り出すことにした。 警察は「捕まりたくなかったら女性もズボンをお召しになってまたがって乗ってください!」と。 ちなみに、どちらも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1956 松島トモ子が岩手県公会堂に来ます(昭和31年1月7日) 昭和31年1月6日の岩手日報より。 松島トモ子が岩手県公会堂で公演をするという。 この時松島トモ子は10歳。 子役として忙しい時期であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1956 石井バレエ・グループ(昭和31年1月6日) 昭和31年1月6日の河北新報より。 盛岡市菜園の石井バレー研究所では70名の少女たちがけいこに励んでいる。 先生の石井智子氏は二戸郡福岡町出身で、日本女子短大を卒業して東京のバレー界で活躍した、と書かれている。 お弟子さんは3つのグループに分かれ。一番けいこを積んだグループを「ハイクラス」と呼んでい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1956 盛岡市内の映画館プレイガイド(昭和31年1月6日) 昭和31年1月6日の岩手日報より。 盛岡市内の映画館の上映情報。 封切館だけではなく、シネマミソノや銀映座のような二番館の情報もある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1956 盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡警察署では、風俗営業法によるキャバレーの飲食時間を内偵していた。 風俗営業法では、キャバレーは11時が営業時間になっていたのである。 そして、1月6日23:30を期して、3班に分かれて盛岡市内の「ハレム」「フロリダ」「レンボー」を急襲して、証拠写真の撮影などを… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1956 紺屋町でDQNがバスに空気銃を撃ち込む(昭和31年1月5日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 1月5日18時20分頃、盛岡市紺屋町の田山家具店の前で、馬町車庫発青山町行きの中央バスに何者かが空気銃を撃ち込んだ。 元旦の頃にも同じようなことがあったようで警察は犯人を捜査することにした。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1956 昭和31年の盛岡市内映画館の正月映画(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の岩手日報より。 昭和31年の盛岡市内各映画館の正月映画の一覧。 盛岡にはこれだけ映画館があった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1956 岩手山麓にジャージー種が導入されて3年目 昭和31年元旦の河北新報より。 農林省は、昭和28年に岩手山麓を「集約酪農地域」に指定して、ジャージー種の乳牛を導入することとした。 その第1陣がニュージーランドから到着したのは12月のことで、最初は35頭、昭和29年3月までに259頭、昭和29年度には271頭が導入され、川口・巻堀・渋民・大更・田… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 12月 1955 盛岡中劇で「荒野の貴婦人」「ターザン巨象の襲撃」公開!(昭和30年12月28日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 盛岡中劇では「荒野の貴婦人」と「ターザン巨象の襲撃」を公開する。 「荒野の貴婦人」(原題:Strange Lady in Town)は1955年米ワーナーによる西部劇映画。日本での初公開は昭和30年8月13日。 「ターザン巨象の襲撃」(原題:Tarzan an… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 12月 1955 盛岡・中央ホールで大映「弾痕街」「十代の反抗」東京同時公開!(昭和30年12月28日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 盛岡の中央ホールでは大映映画「弾痕街」と「十代の反抗」を東京と同時公開する。 「弾痕街」はアクション映画で菅原謙二が主演。 「十代の反抗」は女子少年院もので、三宅邦子が主演。 大映は他社と違って専用の映画館を持たなかったので、中央ホールなどで封切… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 12月 1955 近く雫石に新スキー場!(昭和30年12月27日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 この時期、岩手でもスキーがポピュラーになっていたようであるが、雫石町七ッ森に新たにスキー場が完成するという。 場所としては田沢湖線(当時であれば橋場線)の南側であるが、現在田沢湖線の南側でスキー場というのは聞いたことがない。 田沢湖線の北側だと、雫石スキー場と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 12月 1955 いよいよ日赤の血液銀行が1月から開始します!(昭和30年12月27日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 本来であれば、昭和29年7月に岩手県内でも献血が始まっているはずだった。 それが、資金難で延び延びになっていたのだ。 準備にかかったこと自体が昭和29年秋であるという状況であった。 それが、資金がどうにかなって昭和31年1月から開始することができるというのであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 12月 1955 盛岡日活劇場では29日の開館セレモニーで「力道山物語 怒涛の男」「人生とんぼ返り」を封切してスターの挨拶もありますよ!(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 12月29日に開館が予定されている盛岡日活劇場では、「力道山物語 怒涛の男」「人生とんぼ返り」を封切りするという。 「力道山物語 怒涛の男」は昭和30年12月27日公開なので、盛岡での公開もほぼ同時。 「人生とんぼ返り」は新国劇の殺陣師・市川段平の半生を描いた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 12月 1955 盛岡市内の餅屋「今年は豊作なのでお正月の餅は普通米と引き換え無しで特別配給しますよ!」(昭和30年12月24日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 盛岡市内の餅屋は正月の餅作り大忙しである。 例年であれば、餅の配給は普通米から正月三が日分差し引いて配給するのだというが、この年は豊作だったので、三が日分差し引かなくても3日分「特別配給」するという。 この当時の米穀配給制度が垣間見えるニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 12月 1955 農村部の高校「うちは盛岡の学校の予備校じゃねえ!」(昭和30年12月24日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 西根町にある平舘高校では、1年生が退学して盛岡の有名校を再受験することに頭を悩ませていた。 昭和22年4月に定時制高校として開校、昭和24年に全日制になったのだが、毎年定員100名に対し、二次募集までして70~80名集めるので精一杯。 それも年度途中になると「… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 12月 1955 雫石で「黒焼き」「ラクダの脳みそ」を薬として売る祈祷師の女を逮捕(昭和30年12月23日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 雫石町の自宅で「婦人科肋膜の薬・黒焼き」として炭の粉を売ったり、「ラクダの脳を煮染めた水」として精神病の薬だとして農民の無知に付け込んで売っていた祈祷師の女を12月23日に逮捕した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 12月 1955 東宝第一劇場で「照る日くもる日」「密輸船」公開!年に1度の50円興行!(昭和30年12月21日) 昭和30年12月21日の岩手日報の広告欄より。 東宝第一劇場では年に1度の50円興行の日で「照る日くもる日」と「密輸船」塗公開。 「照るひ曇る日」は大佛次郎原作で、最初はマキノ映画で大正15年に初公開されたものが、昭和15年、昭和29年とリメイクされて来たものである。前編は昭和29年12月8日、後編… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 12月 1955 盛岡中劇では「怪奇黒猫組」「弥次喜多漫才道中 腰抜け一家の巻」!(昭和30年12月21日) 昭和30年12月21日の岩手日報の広告欄より。 盛岡中劇では「怪奇黒猫組」と「弥次喜多漫才道中 腰抜け一家の巻」を封切りする。 いずれも配給は東宝であるが、なぜか直営館の東宝第一劇場ではなく中劇での封切り。 「怪奇黒猫組」は高垣眸の少年小説が原作になるもので初公開は昭和30年5月31日。 「弥次喜多… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 12月 1955 盛岡映劇では東映「笛吹若武者」「花ごよみ八笑人」封切!(昭和30年12月21日) 昭和30年12月21日の岩手日報より。 盛岡映劇で東映映画「笛吹若武者」と「花ごよみ八笑人」を封切り公開。 いずれも12月4日の初公開で、「笛吹若武者」は新人だった大川橋蔵と美空ひばりが主演。 また、「花ごよみ八笑人」は堺駿二や増田キートン等が出演。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 12月 1955 12月29日から盛岡日活劇場が新築オープンします!(昭和30年12月20日) 昭和30年12月20日の岩手日報の広告欄より。 これまで日活の封切作品は盛岡映劇などで放映していたところ、昭和30年の年末を期して専用封切館がオープンすることになった。 … 続きを読む