a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 20日 1951 盛岡劇場でエノケンが公演(昭和26年5月20日) 昭和26年5月19日の「夕刊いわて」の広告欄より。 「東京よりエノケン来盛!」というコピーで榎本健一が盛岡で講演を行うことを知らせている。 場所は盛岡劇場であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1951 盛岡市内の時計店「5月6日よりサンマータイムですよ!」(昭和26年5月6日) 昭和26年5月5日の「夕刊いわて」より。 GHQの意向で、日本ではサマータイムが取り入れられていたが、当時は「サンマータイム」と言われていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 28日 1951 岡晴夫が岩手県公会堂に来ます!!!(昭和26年4月28日) 昭和26年4月27日の「夕刊いわて」より。 昭和20年代を代表する歌手である岡晴夫が盛岡に来るという。 スケジュールは4月28日から2日間、岩手県公会堂にて。 岡晴夫の人気は非常なもので、大阪では夜の公演が終わると、翌日の昼の公演を待つ客の列が宿まで延びていた等の伝説がある。 しかし、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 27日 1951 岩手病院から精神分裂症患者が飛び降り自殺(昭和26年4月27日) 昭和26年4月27日の「夕刊いわて」より。 盛岡市の岩手医大病院の6階から飛び降り自殺があった。 それは水沢から精神分裂症で入院中の東北配電に勤務する男性で、付き添いの妻や甥が便所に行っている間のことであったという。 4人の子宝に恵まれ幸せに暮らしていたところ、不眠を訴えるようになり「舌を噛めば眠れ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 14日 1951 盛岡市民に5月1日から結核検査をしますよ!(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 結核予防法が近く実施される(実際は4月1日の時点で試行されている)ので、盛岡市では乳幼児を除く約10万の市民に、5月1日からツベルクリン反応やレントゲン検査で結核検査を行うという。 実施区域計画の設定に協力した病院は盛岡市内を代表する大病院で、以下の通り。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 11日 1951 興産無尽肴町支店が開店(昭和26年4月11日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 興産無尽の肴町支店が11日に開店するという。 興産無尽は後の北日本相互銀行で、現在は北日本銀行。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 4日 1951 ミシンが3千円でお手元に!(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 盛岡市仁王小路(本町通)のミシン販売会社の広告が出ている。 3千円というのは昭和26年だと平均月収に比べてどうだったんだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 4日 1951 盛岡・中央ホールで「黒水仙」上映中!(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 盛岡・中央ホールでは「黒水仙」を上映していた。 「黒水仙」(原題:Black Narcissus)は昭和24年のイギリス映画で、日本での初公開は昭和26年3月17日なので、さほどのタイムラグはない。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 4日 1951 今晩のラジオ番組案内(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 隅っこには「今晩のラジオ」として番組案内が掲載されている。 「朝鮮の戦局はどうなるか」などと、まるで当記事執筆現在のウクライナ侵攻のような感覚で朝鮮戦争を解説していたようである。 「QG」とはNHK盛岡放送局のコールサイン(JOQG)。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1951 盛岡・本町通「川清」の広告に見る衣料品の物価(昭和26年4月1日) 昭和26年4月1日の「夕刊いわて」の広告欄より。 盛岡市本町通の衣料品デパート「川清」の広告欄から、当時の衣料品の物価を見ることができるのではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1951 自由党から共産党まで県議が呉越同舟で釣り(昭和26年4月1日) 昭和26年4月1日の「夕刊いわて」より。 この年の4月1日は日曜日。 日ごろは舌戦をたたかわせている各党の県議も呉越同舟で船に乗って釣りとしゃれこんでいる。 民主党(自民党になる前)の最高委員長や自由党の幹事長、社会党議員や共産党議員まで仲良く釣りを楽しんでいるようだった。 これは高松の池かどこか?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1951 盛岡・国劇で「ママは大学一年生」公開します!(昭和26年4月1日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡の洋画専門館・国民映画劇場では翌4月1日より米映画「ママは大学一年生」(原題:Mother is a Freshman)を公開。 1949年公開のアメリカ映画で、日本初公開は昭和25年9月26日。 主演はロレッタ・ヤング他。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 31日 1951 盛岡・第一劇場で「熱砂の白蘭」公開!(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡の第一劇場では「熱砂の白蘭」を公開する。 「熱砂の白蘭」は昭和26年3月24日公開の東宝映画で、満州からの引揚げがテーマの重い作品。 小暮実千代、池辺良、山村聡などが出演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 31日 1951 刑務所製品の靴や家具は安価でお勧め(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 刑務所内の作業場の労働力は安価であることから、家具や靴は盛岡市内で一番安く安サラリーマンにはお勧めだという記事。 ただし、革の割り当てが少なく「お客さん歓迎」とはいかないようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 31日 1951 大通は「新興繁華街」だった(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事の23回目は大通。 当時は、大通は「新興の繁華街」であり、老舗は何といっても川徳や松屋の二大デパートのある肴町であった。 大通の看板は、中劇・東宝第一劇場・中央ホールの映画館が集まっていることであり、この大通と中の橋通り… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1951 列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 27日 1951 公衆電話に紙幣以外を入れる不心得者 昭和26年3月27日の「夕刊いわて」より。 2月における盛岡市内の使用回数は2,703回で、個々のボックスだと以下のようになっていたという。 【多い順】 内丸 96回 駅前 90回 夕顔瀬 61回 【少ない順】 青山町 26回 これに対し、収入は1,881円77銭で、821円が不足しているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 25日 1951 盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。 終戦から6… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 24日 1951 電気通信省岩手電気通信部「回線待ちの皆さん!共同電話はどうですか!」(昭和26年3月24日) 昭和26年3月24日の「夕刊いわて」より。 電話の架設待ちは、盛岡市内だけでも3300件に登る状況であった。 しかし電通省岩手電気通信部管内の割り当ては80回線のみ。 そこで「多数共同電話」の希望調査を行うことにした。 これは1つの電話番号を3~10人で使用するというもので、普通であれば架設に4万円… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 21日 1951 「岩手川」は一升370円(昭和26年3月21日) 昭和26年3月21日の「夕刊いわて」より。 後年「岩手川」で知られる浜藤酒造店が広告を出している。 「雄渾」という酒は一升370円だと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 18日 1951 岩手公園の動物園で写生会(昭和26年3月18日) 昭和26年3月18日の「夕刊いわて」より。 盛岡市は、動物愛護週間の行事として、岩手公園の動物園に子供たちを呼んで写生会を行った。 見出しは「鹿はテレました」。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 17日 1951 盛岡繁盛記:肴町 昭和26年3月17日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事で、10回目は肴町。 今でこそアーケード街になっているが、当時はもちろん無い。 この記事の時点では、肴町は1丁目と2丁目に分かれていたのだという。 この後の記事の書きぶりでは、中の橋通りに面した方が1丁目で、奥の方が2丁… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 14日 1951 盛岡から公務で出張上京中に野球見てたら自動車が当たっちゃった 昭和26年3月14日の読売新聞(本紙)より。 盛岡市内の公務員が、公務出張で上京したついでに後楽園の松竹-大映戦を見に行ったのだという。 そうしたところ動物病院設置資金募集のためのくじをやっていたのだという。 400円程度の入場料で1500ドルの英国車・ヒルマンミンクスが当選するというので満場の観客… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 13日 1951 山田線の山岸駅が実質的開業へ(昭和26年3月13日) 昭和26年3月13日の「夕刊いわて」より。 大正12年に山田線が上米内まで開業してからというもの、山岸にも駅を解説してほしいという要望は持ち上がっていた。 これが昭和25年12月に山岸中学校の正門向かいに簡易停車場として上下2列車が停車することになった。 そして、年が開けて昭和26年1月からは上下各… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 11日 1951 盛岡・シネマミソノでストリップショウ(昭和26年3月11日) 昭和26年3月13日の「夕刊いわて」より。 3月11日から2日間の日程で「東京芸術公社」という大仰な団体所属の折田チヨ一行が盛岡市生姜町のシネマミソノでストリップの公演を行ったのだという。 東京から来たストリッパーは舞台から客席に下りて吸い掛けのタバコを観客のオッサンに吸わせようとすると「オラいらね… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 8日 1951 盛岡・桜山更生市場の土地問題 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 桜山神社周辺の「東大通り」のあたりは、戦後の引揚者による更生市場となっていた。 盛岡市では、これを新たにコンクリート建てのデパートにする案を持っていた。 それで、地主に用地買収交渉をしていたが、25年11月の時点で地主側はそれに代わる土地を要求、盛岡市側もそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 8日 1951 盛岡市長選挙に南部家の末裔が立候補?(昭和26年3月8日) 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 この日が、夕刊いわての創刊号であったが、トップ記事は盛岡市長選挙。 なんと、南部家の末裔が立候補するのではないかと言う記事。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 8日 1951 盛岡の本町に老舗は一つもなかった(昭和26年3月8日) 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 盛岡の各商店街を取材する囲み記事で、まず出たのは本町。 この当時、老舗と呼べる店は1つもなかったのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 2日 1951 今晩のラジオ番組表(昭和26年2月2日) 昭和26年2月2日の岩手新報より。 夕方のラジオ番組について案内がある。 「QG」とは、NHK盛岡放送局のことで、コール西がJO QGであるため。 … 続きを読む