a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 11月 1949 盛岡で町内会対抗野球(昭和24年11月3日) 昭和24年11月4日の岩手新報より。 盛岡市内では、町内会対抗の野球が開催されたようである。 また、水沢競馬では、大穴が出たようで、そのことも報じられている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 11月 1949 葛巻町で産業祭(昭和24年11月3日) 昭和24年11月3日の岩手新報より。 葛巻町では、秋の収穫を祝って11月1日から3日まで葛巻小学校で産業祭が開催され、雨の中を多くの人出で賑わったと言う。 ところで、葛巻町と言うのは馬淵川の源流域にあるので、二戸や一戸と同じ二戸郡にありそうなものであるが、実は、久慈や野田から塩を運ぶ野田街道の宿場町… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 11月 1949 シーボルトの遺品が盛岡で発見される(昭和24年11月3日) 昭和24年11月3日の岩手新報より。 高野長英の没後100年祭が出身地の水沢で繰り広げられていたようだが、盛岡ではその高野長英の師であるシーボルトの遺品が発見されたのだという。 それにしてもでかいカバンだ・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1949 岩手山が雪化粧(昭和24年10月31日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 10月31日、盛岡は1.6℃まで気温が下がり、岩手山は雪化粧に見舞われた。 写真はおそらく滝沢かそこら辺の牧場ではないかと考えられる。 見出しでは「零下一度六」と書いているが、気象庁のホームページによれば、盛岡の1949年10月31日の最低気温は1.6℃。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1949 盛岡・川徳で「五大産地銘仙の会」開催!(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 盛岡の川徳デパートで「五大産地銘仙の会」を開催する。 銘仙の五大産地とは、八王子・伊勢崎・足利・秩父・村山(武蔵村山)のことらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 9月 1949 国鉄が機構改革するなら盛岡にも鉄道局を!(昭和24年9月23日) 昭和24年9月23日の岩手新報より。 公共企業体となった日本国有鉄道は、機構改革に乗り出すという。 仙台鉄道局盛岡管理部は廃止が伝えられている。 しかし岩手県は広いのだ。 むしろ鉄道局を設置してほしいと、盛岡市長や市議会議長が連名で鉄道局設置の陳情を国鉄に送った。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 9月 1949 金田一京助「岩手大学の学長なんて絶対やりません」(昭和24年9月10日) 昭和24年9月10日の岩手新報より。 9月1日に岩手大学は開校したものの、学長就任問題というのがあったようである。 開校時点では、旧盛岡高等農林学校の鈴木校長が「事務取扱」として学長の業務を行っていた。 しかし、複数名の候補がおり、それぞれについて紛糾しており文部省としても誰にするか決めかねていたよ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 9月 1949 意見広告「盛岡と三陸を結ぶバスの早期復活を!」(S24.9.8岩手新報) 前年の秋、アイオン台風で閉伊街道(国道106号線)が寸断され、バス路線も休止になっていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 9月 1949 国鉄の首切り計画でサンドイッチマン現る(昭和24年7月9日) 昭和24年7月9日の岩手新報より。 国鉄は人員削減計画を発表し、それは盛岡管理部でも例外ではなかった。 東京では総裁が殺されたか自殺したか、謎の死を遂げている。 そんな中、盛岡工事事務所の組合分会員は、盛岡市内にサンドイッチマンを繰り出し、前年昭和23年にアイオン台風で崩壊した山田線の路盤の写真を大… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1949 キティ台風の暴風の中、岩手大学の開校式(昭和24年9月1日) 昭和24年9月2日の岩手新報より。 学制改革により盛岡高等農業学校や盛岡高等工業学校、岩手師範学校などが合併して「岩手大学」が発足した。 9月1日の開校式典は、キティ台風による暴風の中で開かれた。 しかし、534名の新入生は定刻の8時半には登校していたという。 新入生はそれぞれの学部で専門課程につい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 8月 1949 国警県本部に60人乗りの出動車(昭和24年8月9日) 昭和24年8月9日の岩手新報より。 国家地方警察岩手県本部に、8月7日仙台管区本部から60人乗りの出動車が配置された。 これは時速80kmで現場に急行するためのもので、全面と後面に昇降口があり、サイレンや投光器も装備しているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1949 風車で発電機を回せば無灯部落に光明が!(昭和24年8月3日) 昭和24年8月3日の岩手新報より。 どこかの金属加工会社の社長が、水車や風車を使った発電機を開発し、それを厨川小学校で披露するという。 これは、元中島飛行機の技師が考案したもので、水車は落差二尺(60cm)程度で1/2馬力の出力があり、風車はプロペラの大小によって発電用と動力用に分かれており、ラジオ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 7月 1949 岩手の女性ナンバー1決まる(S24.7.19岩手新報) 「岩手の女性ナンバーワン」というミスコンテストがあったようで、そのナンバー1に決まったのは、東北毛繊で働く女性であったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1949 盛岡・東宝第一劇場で「ジャコ万と鉄」封切り!(昭和24年7月18日) 昭和24年7月17日の岩手新報より。 盛岡の東宝第一劇場では「ジャコ万と鉄」封切りする。 「ジャコ万と鉄」は、昭和24年7月11日初公開の東宝映画で、出演は三船敏郎・月形龍之介・浜田百合子など。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 7月 1949 東北本線・盛岡~厨川間で通信線切断事件(昭和24年7月17日) 行政整理による盛岡管理部管内2052名の首切りが発表され、東京の国鉄本社でも下山総裁が謎の死を遂げた。 そのような中、7月17日に日が変わった深夜2時45分ごろ。 盛岡駅にはそろそろ上野行きの上り216レが到着する頃だ。 隣の厨川駅に216レが出たかどうか確認しよう。 この写真は天昌寺のあたりらしい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 7月 1949 盛岡・東宝第一劇場で「エノケン・大河内の旅姿人気男」封切!(昭和24年7月11日) 昭和24年7月10日の岩手新報より。 盛岡の東宝第一劇場では、「エノケン・大河内旅姿人気男」を封切する。 同作品は、昭和24年7月5日が初公開で、出演は榎本健一・大河内傳次郎など。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 7月 1949 お盆に向け提灯の売れ行きは上々(昭和24年7月10日) 昭和24年7月10日の岩手新報より。 お盆に向け盛岡市内の仏具店では、提灯の売れ行きが好調であるという。 この時期にお盆の準備ということは、新盆だったということだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 7月 1949 盛岡市内の肉屋「ロールハム100匁330円、ベーコン320円!」(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報より。 盛岡市内の肉屋の加工製品の価格。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 7月 1949 盛岡・城南小学校ではプールで水泳練習(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報より。 盛岡の城南小学校では、水難事故防止のためにプールで水泳教室を開催したという。 この時期にすでにプールがあるとはさすが盛岡の中心部の城南小学校である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 7月 1949 岩手興産無尽の増資新株式募集(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報より。 岩手興産無尽は、増資新株式を募集している。 岩手興産無尽とは後年の北日本銀行のこと。 昭和26年に「相互銀行法」が制定される前、相互銀行は「無尽」だったのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 7月 1949 盛岡・東宝第一劇場で「グッドバイ」公開(昭和24年7月4日) 昭和24年7月3日の岩手新報より。 翌7月4日には、盛岡の東宝第一劇場で「グッドバイ」を封切りすると言う。 「グッドバイ」は、言わずと知れた太宰治の未完の遺作であり、これを東宝が映画化することとしたのである。 初公開は昭和24年6月28日で、出演は高嶺秀子・若原雅夫・霧立のぼる等。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 7月 1949 イワテ特製胃散「何処でも評判!評判だ」(昭和24年7月3日) 昭和24年7月3日の岩手新報より。 岩手県製薬という製薬会社があったようで、9日分が50円、15日分んが80円であったという。 これが月給に比べてどのくらい妥当だったかは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1949 国鉄労組盛岡支部「断固職場を死守せよ!」(昭和24年7月2日) 吉田首相の行政整理の方針に基づき、盛岡管内でも2052人の首切りが発表されることになった。 それで、国鉄労組盛岡支部の本部には「断固職場を死守せよ」と、2日の朝から組合旗が掲げられることになった。 闘争本部では、整理発表の当日の20時30分に本部指令を出し、傘下35分会に闘争指令を発した。 これに対… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1949 国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日、14時から吉田首相は官邸で会見を行った。 「行政整理はあくまで断行する」 つまり、国鉄の人員整理はあくまでも予定通り行うということを断言した。 当時、岩手県内の国鉄路線は仙台鉄道局盛岡管理部によって管轄されていた。 盛鉄管内の定員は業務員7,019名、養成中の者316名、無給職員… 続きを読む