a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 15日 1945 新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 12日 1945 盛岡・国劇で市川團十郎・市川鶴之助一座が特別興行!(昭和20年8月12日) 昭和20年8月10日の岩手日報より。 盛岡の国劇(のちの国民映画劇場と同じ場所?)で、市川團十郎と市川鶴之助一座の歌舞伎興行を行うという。 あちこちで空襲がある中、一般市民も歌舞伎興行を開催し、それを見に行く余裕があったのかどうかは分からないが、このような記録はあるということで。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 10日 1945 盛岡駅「乗車券発行制限で定期券の購入が増えたのはいいんですけど…」(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の新岩手日報より。 盛岡駅の統制官は言う。 「最近、乗車券の発行制限の強化で定期券の購入がやたら増えたのですが、その定期券購入所だって登録した役所とか病院に限ってますが、その申請書を出していないところが、特に盛岡に多いので支給申請してください。 これまでは申請が無くても特別に発行… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 10日 1945 今週の映画は「最後の帰郷」(大映)、「愛と誓ひ」(東宝)(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の岩手日報より。 この時期になると映画配給はどこの映画会社で製作するにかかわらず「紅系」「白系」に分けて行われるようになったようである。 この記事を書いている令和3年年末の時点で、どちらがどっちかは判然としていないが。とにかく2本ずつの映画配給ということには変わりなかったようであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 16日 1945 宮城千賀子一座が盛岡・国劇に来ます(昭和20年7月16日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 宮城千賀子の一座が7月16~17日に盛岡の国劇で公演を行うという。 この時期、宮城千賀子は出産して映画から退いていたが、自ら「劇団なでしこ」を旗揚げして各地を巡業していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 12日 1945 地下壕で執務する盛岡管理部(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 「警報下の地下壕で執務する盛岡管理部」とだけキャプションがあるが、どこの会社やら省庁やら判然としないが、「盛岡管理部」という呼称を明確に使用していたのは仙台鉄道局ではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1945 夏至も過ぎ、田植えはほぼ終了(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日。 夏至も過ぎ、田植えもほとんど終了してお百姓さんありがとうという写真記事が掲載されている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1945 宝くじのルーツは戦時中の「勝札」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 盛岡煙草販売組合では、「7月攻勢」の目標に、①アルミ貨回収、②勝札売り捌き を決定した。 ①アルミ貨回収というのは、当時の10銭以下の小銭がアルミニウムでできていたところ、戦闘機の製造にアルミニウムが不足していたので貨幣は錫で製造することとし、アルミニウムの小銭は… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 10日 1945 盛岡空襲 昭和20年3月10日、東京大空襲と同じ日に盛岡でも空襲があった。 翌3月11日の岩手日報では、裏面のトップでそれほど大きい扱いではないが、「本県に醜翼をあらわし盲爆を落とし、あわてふためきながら海上に脱去した」と、あくまで敵を醜悪に表現することにこれ努めたている。 「それでも市民は戦った」と、被害状… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡工機部で働く21歳女性の発明(S19.8.3新岩手日報) 盛岡工機部(のちの国鉄盛岡工場)で働く21歳の女性が、ワイヤー曲げの機械を発明したという。 これで、手作業が大幅に自動化されたのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡市内映画案内(昭和19年8月3日) 昭和19年8月3日の岩手日報より。 盛岡市内の映画情報として7館の上映情報が載っている。 また、前後にはない映画館として「長町日活館」「生姜町日活館」がある。 長町とは材木町から上田に向かう途中のあたり、生姜町とはホットライン肴町の真ん中あたりから八幡宮へ向かうあたり。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡・第一映画劇場で「都会の奔流」上映(昭和19年8月3日) 昭和19年8月2日の岩手日報より。 昭和15年6月13日初公開の松竹映画「都会の奔流」が第一映画劇場で公開。 主演は佐分利信。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡・国劇で「鞍馬天狗 薩摩の密使」公開(昭和19年8月3日) 昭和19年8月2日の岩手日報より。 盛岡・国民映画劇場で日活「鞍馬天狗 薩摩の密使」を公開する。 嵐寛寿郎が主演で、初公開は昭和16年7月14日と、3年以上が経過している。 これが盛岡での初公開かどうかは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡中劇と松竹内丸座で「小太刀を使う女」封切(昭和19年8月3日) 昭和19年8月2日の岩手日報より。 大映の「小太刀を使う女」が盛岡中劇と内丸松竹座で8月3日に封切されることとなった。 水谷八重子(初代)と月丘夢路のダブル主演で、東京での初公開も同じ8月3日。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1944 決戦時の食糧事情に鑑み、野生のトコロ芋でパンを作りましょう(昭和19年8月2日) 昭和19年8月3日の岩手日報より。 8月2日、盛岡市で婦人常会が開かれたが、その席上で、営団理事長が「現下の食糧事情について」と講演を行ったという。 記事では「営団」とだけ書いているものの、平成16年(2004年)まで存続した「営団地下鉄」ではないようで、おそらくは食糧管理法(昭和17年2月21日法… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1944 盛岡婦人常会で「お盆も決戦型に」と決議(昭和19年8月2日) 昭和19年8月3日の岩手日報より。 盛岡市の8月婦人常会が、8月2日に市役所で開かれた。 婦人隣組常会には時々班からも出席してもらいます。 常会で相談した事はどの程度実践されているか、次の常会で反省しあうことにしましょう。 これに対し「ハイ実行いたします」で可決したという。 盂蘭盆行事に関しては、 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1944 蜀黍(コーリャン)からで糖蜜を作れば岩手でも砂糖は自給できる!(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 かつて、東北には「東北開発株式会社」という国策企業があった。 これは、昭和8年の三陸大津波や昭和9年の大冷害など、東北地方を襲った災害や飢饉に対し、国が東北地方の開発の重要性に鑑み昭和11年に「東北興業株式会社」として創設したものである。 だから、国先企業とはいえ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1944 目指せ海軍少年兵!仁王国民学校では猛訓練(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 8月下旬に行われる海軍少年兵の採用試験に向け、盛岡市内の高等科のある小学校では猛訓練が繰り広げられていた。 仁王国民学校では4月から下準備を開始し、7月中旬からは学科の終了後に訓練を行うようになっていた。 盛岡国民学校でも、8月1日~3日、8月8日~11日を海軍少… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 31日 1944 盛岡国民学校から予科練に入った5名が母校を訪れる(昭和19年7月31日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 この時期、尋常小学校や高等小学校は「国民学校」に名を変えており、下の橋のたもとにある盛岡高等小学校は昭和15年に「盛岡国民学校」に名前を変えていた。 この盛岡国民学校を卒業し海軍予科練習生となっていた5名が、7月31日に母校に里帰りしたのだ。 今でいえば「ホームカ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 2日 1943 川徳デパートで皇軍感謝の華道展(昭和18年12月2日) 昭和18年12月2日の新岩手日報より。 昭和16年12月8日の真珠湾攻撃で始まった大東亜戦争も、これで3年目。 川徳デパートでは、その皇軍感謝と銘打った華道展を行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1943 盛岡・肴町の熊長が赤松3000石を献納(S18.12.1新岩手日報) 戦時美談。 盛岡・肴町の熊長が軍に赤松の立木を3000石献納したと当局を感激させている。 ちなみに熊長は令和5年現在でも盛業中。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1943 ⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営する早稲田大学学徒(S18.12.1新岩手日報) この年の10月21日、東京の明治神宮では学徒出陣壮行式が行われた。 岩手日報でも、早稲田大学の学生が郷土の連隊に入隊したということが報じられているが、「⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営した早稲田大学学徒が八幡宮にお参り」とは行っても、この当時県内で市制していた市(盛岡・釜石・宮古)で軍隊も八幡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1943 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日) 昭和18年4月17日の新岩手日報より。 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式が、4月16日の午前11時15分に日赤岩手支部の行動において行われた。 まずは、外地に旅立つ書紀や婦長を先頭に白衣の天使たちがさっそうと入場した。 そして、岩手県内政部長の訓示などが行われた。 これに先立って、護国神社いや八幡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 15日 1943 盛岡中劇・国劇で「家」「くもとちゅうりっぷ」を公開(昭和18年4月15日) 昭和18年4月15日の新岩手日報より。 盛岡中劇・国劇で「家」「くもとちゅうりっぷ」を公開する。 いずれも昭和18年4月15日の松竹作品。 「家」の出演は小杉勇・小沢栄太郎・風見章子など。 「くもとちゅうりっぷ」はアニメーション映画。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 8日 1943 盛岡中劇・国劇で「敵機空襲」、内丸座・第一で「エノケンの兵六夢物語」公開(昭和18年4月8日) 昭和18年4月8日の岩手日報より。 盛岡の中央映画劇場と国民劇場では「敵機空襲」を公開する。 「敵機空襲」は松竹が昭和18年4月1日に初公開。田中絹代や上原謙が出演。 また、内丸座や第一映画劇場では「エノケンの兵六夢物語」を公開する。 こちらは東宝配給で昭和18年4月1日に初公開。主演は表題通り榎本… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 7日 1943 小岩井牧場に遊ぶ春駒(昭和18年4月7日) 昭和18年4月8日の岩手日報より。 4月7日は愛馬の日であり、馬に関する記事が多くみられる。 時局がら、軍馬関係の記事が多くみられるが、小岩井農場に関する呑気な写真記事も。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 7日 1943 悪質なデマで米の供出を阻んだ村長を逮捕(昭和18年4月7日) 昭和18年4月8日の岩手日報より。 岩手県警察部特高課では、悪質なデマで米の供出を阻んだとして、4月7日に以下の3名を逮捕したという。 以下の表現は記事中の表現ママ。 岩手郡某村長 東磐井郡某村長 和賀郡谷内村某 … 続きを読む