a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 1月 1940 スケートリンクの乙女(昭和15年1月19日) 昭和15年1月19日の岩手日報より。 「溌剌北国の乙女 リンク所見」とだけ見出しを売っている写真が載っている。 実に楽しそうな顔の少女たちである。 スケートリンクは高松の池だろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1940 米内総理就任を祝し、岩手県知事が銘酒「岩手川」を贈る(昭和15年1月16日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 米内光政の勝利大臣就任を祝し、雪沢岩手県知事は銘酒「岩手川」の四斗樽1本を贈ることとした。 1月16日16:10の仙北町発列車で送られることとなった。 確かに「岩手川」の工場は仙北町である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1940 米内総理親任式のタイミングで盛岡市民旗行列大会(昭和15年1月16日) 昭和15年1月17日の岩手日報より。 総理大臣就任を受諾した米内光政の親任式は1月16日に行われることとなった。 このタイミングで郷里・盛岡市では岩手公園広場で市民旗行列大会が行われた。 この日の朝の最低気温は-16.3℃。 それでも岩手公園は日の丸で埋め尽くされることになった。 親任式の始まった午… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1940 青年学校は義務化するけど、盛岡市内では1校に統合します(昭和15年1月15日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 この時期「青年学校」という教育機関があった。 これは、尋常小学校を卒業して働いている青年を対象とした教育機関である。 これが、昭和14年の青年学校令の改正により、義務教育化されることになった。 この時点で、盛岡市内の青年学校は以下の場所にあった。 盛岡市内10の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1940 米内光政総理就任を祝して八幡町の住民が盛岡市内を提灯行列(昭和15年1月15日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 第38代目の総理大臣を生んだ盛岡市民の喜びは言うまでもなく、1月15日の夜に提灯行列が繰り広げられた。 午後6時半に盛岡八幡宮の境内に300名余りが集まり、八幡町~生姜町~肴町~中の橋~桜山神社~大手先~本町~鍛治町~紺屋町~呉服町~六日町~穀町~鉈屋町~八幡宮… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1940 岩手県から3人目の総理大臣に、米内光政生家の近隣住民も盛岡弁で喜びを語る(昭和15年1月15日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 何しろ岩手から3人目の首相が選出されたことに地元は大歓喜である。 そもそも、前任の首相・阿部信行のミッションが日中戦争の収拾であり、それがうまくいないなかったということは周知の事実だったようである。 そして後任は同じ陸軍の畑俊六陸相がなるのだろう。 「銃後民衆の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1940 菜園の町内会はインテリ家庭が多い(昭和15年1月14日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 記事の表現をそのまま借りると「盛岡市の中心に四百六十戸のインテリ家庭を扼する菜園親和町会」なのだそうで、令和4年現在、川徳デパートのあるあたりはインテリ家庭が住んでいたようである。 その菜園親和町会は1月14日午後4時から多賀会館で開かれ、町内の有力者60名が出… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1940 燃料代の高騰で盛岡市内の銭湯の休業が相次ぐ(昭和15年1月14日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 盛岡市内の銭湯は、燃料代の高騰で休業が相次いでいたのだという。 「自宅に風呂があるのが当たり前」という時代ではない。 風呂に入りたければ銭湯に行くというのが当たり前の時代だった。 盛岡市の中心部である菜園には460戸の家があったが、「南部浴場」が休業していたので… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 8月 1939 盛岡・城南小学校で日独伊親善図書展覧会(昭和14年8月11日) 昭和14年8月11日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市立城南小学校で「日独伊親善図書展覧会」を行うという。 公演しているのは外務省・文部省・陸軍省・海軍省・ドイツ大使館・イタリア大使館。 完全に国策行事であった。 時代相としては、ベルリンで日独伊三国同盟が調印される前年となる。 しかし昭和12年の時点… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 8月 1939 米内内閣の政務次官・鶴見祐輔が来県し対米情勢について語る(昭和14年8月10日) 昭和14年8月11日の岩手日報より。 米内内閣で内閣政務次官となった鶴見祐輔代議士は、岩手県選挙粛清委員会のため盛岡に来ていた。 そして水沢と一関にも立ち寄ってあわただしく帰京したが、岩手日報の記者に対米問題について語っていた。 米国の通商条約破棄(日米通商航海条約)はあまりに突然の通牒で、アメリカ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 7月 1939 盛岡署に捕まった大物スリ「夏は仕事にもってこいですよ!」(昭和14年7月21日) 昭和14年7月23日の岩手日報より。 この時期、盛岡警察署ではスリのお縄が相次いでいたようで、7月21日午後に、岩手公園で行動の不審な青年を捕えたら、懐中から蟇口が3つも出てきた。 この男は函館生まれの25歳の男で、スリの前科5犯というしたたか者だった。 3月中旬から盛岡市内でスリを働いていたといい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 7月 1939 内丸松竹座で「新女性問答」「初旅東海道」公開! 昭和14年7月20日の岩手日報の広告欄より。 松竹内丸座では「新女性問答」「初旅東海道」を公開するという。 「新女性問答」は松竹大船の製作で監督は佐々木康、主演は桑野通子。 初公開は昭和14年6月1日であったから、盛岡での公開は1か月半強の遅れ。 「初旅東海道」もまた松竹大船で、坂東好太郎、北見礼子… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 7月 1939 県庁職員がトップを切り盛岡高等工業学校の校地整備奉仕作業 昭和14年7月20日の岩手日報より。 この年、戦時中の技術力確保を目的として全国に7校の高等工業学校が開校した。 (室蘭、盛岡、多賀、大阪、新居浜、宇部、久留米) そのうちの1校である盛岡高等工業学校は最初は盛岡夜間中学校(現:杜陵高校)の敷地に仮開校した。 本校舎を上田(現在の岩手大学工学部)に設… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 自称坊主が自費出版「生きる力」を刑務所官舎で押し売りして御用(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 7月18日の午前中、盛岡少年刑務所の官舎で、ヘルメットに法衣姿の自称坊主が、「生きる力」という自費出版を押し売りして歩き、官舎の主婦たちはそれぞれの旦那である所の刑務所看守に連絡してすぐに御用になったという。 この自称坊主は高知県幡多郡出身の男で、盛岡少年刑務所… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 北福岡~荒屋新町、沼宮内~葛巻の省営バス設備工事を仙鉄局長が視察(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 仙台鉄道局長と自動車課長は、7月18日午後に盛岡駅に到着し、建設中の省営バス(国鉄バス)の設備を視察する。 予定としては19日に沼宮内~葛巻間、21日に北福岡~荒屋新町間。 道路工事は県が行っており、自動車駅や車庫の工事は盛岡保線区で行っており、11月4日の竣工… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1939 岩手中学を卒業した6人が大陸開発に張り切る(S14.7.2新岩手日報) この時期、大陸への「進出」が盛んに行われていたが、岩手中学を卒業した6人もハルビンで頑張ることにした、というニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1939 盛岡八幡宮の朝詣会が10周年(S14.7.2新岩手日報) 盛岡八幡宮には「朝詣会」というのがあったようで、河南地区にある杜陵・大慈寺・城南・仙北の各小学校の児童や岩手殖産銀行といった県内有力企業が祝賀会に駆けつける。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 松屋デパートで日本人形講習会(S14.7.1岩手日報) 盛岡・松屋デパートで7月5〜7日に、日本人形講習会を行うという。 愛国婦人会も後援として参加していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 JOQG盛岡放送局で岩手山麓から野鳥・イタチ・狸の声を放送(S14.7.1岩手日報) 当時のラジオでは、各地の野生動物の声を放送することがよくあったようだが、今度はJOQG盛岡放送局が岩手山麓から野鳥・イタチ・たぬきの声を放送するという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 川徳も松屋も夏物大売り出し(S14.7.1新岩手日報) この時期、まだ夏は始まったばっかりであり、川徳と松屋の二大百貨店も夏物大売り出しで忙しかったようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 盛岡から東京までの130里を自転車で踏破しよう(S14.7.1新岩手日報) 盛岡から東京までの130里を自転車で踏破して、明治天皇の東北巡幸の足跡をたどるという気宇壮大なツアーが開催されるという。 7月18日に三日間かけて東京に到着して、帰りは2日で済ませているようだが、これは列車か何かで帰ると言うことをだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 8月 1938 覆面座談会:盛岡市内の女中の労働環境について(昭和13年8月12日) 昭和13年8月12日の岩手日報より。 盛岡市内の金持ちの家では女中を欲しがっているが、盛岡職業紹介所では女中の応募がまるでない。 これは職業紹介所の無能ではないか??? 職業紹介所長いわく、「そんなのは逆恨みだ。むしろ雇用してる方が待遇が悪いのを反省しろ!」 データとしては以下の通り。(昭和12年7… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1938 JOQGラジオ盛岡放送局が開局 昭和13年8月7日、NHK盛岡放送局が開局した。 ただし当時は「NHK」という呼び方は一般的ではなく、JOQGというコールサインが一般的だったようである。 午前6時、「8月7日の朝が爽やかに明けました。皆さんおはようございます」のアナウンサーの第一声で放送が始まった。 午前10時からはスタジオで職員… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1938 盛岡警察署「物資統制令とはいうけど何が禁制品だって?」 昭和13年8月7日の岩手日報より。 当時の盛岡市における「物価のお目付け役」は、盛岡警察署経済保安係主任であったという。 物資統制新法令で取り締まりの対象は増えたものの、警察官にはどれが禁制品なのかさっぱりわからない。 それで、禁制品の見本を取り寄せて警察署内で鑑定会を行うことになった。 集められた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1938 日中戦争の長期化による燃料節約のため、盛岡の盆火は中止します 昭和13年8月7日の岩手日報より。 盛岡ではお盆になると、各戸で焚火供養をしていた。 しかし日中戦争の長期化により、盛岡市内各町内会では燃料節約の国策に沿う観点から毎年行ってきた盆火を中止する旨申し合せた。 ただし、町内会によっては各戸で行っていたものを1か所にまとめて行う、あるいはは初盆を迎える家… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 8月 1938 「暁の超特急」吉岡隆徳が盛岡で講習会 昭和13年8月7日の岩手日報より。 「暁の超特急」として短距離競技でベルリンオリンピックにも出場した吉岡隆徳が8月6日に盛岡に来て、岩手県体育協会主催で盛岡高等女学校を会場に4日間にわたって講習会を行うという。 冒頭、吉岡は「百見は一聞に如かず、私の申し上げること、やることをただ聞いたり見たりして帰… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 4月 1938 盛岡陸軍病院は李王妃方子女王の傷病兵慰問に備え準備万端(S13.4.25新岩手日報) この当時の女性皇族の大きな仕事として「傷痍軍人の顕彰」「傷病兵慰問」があった。 梨本宮の第1王女であり李王垠の妃となった方子女王は、盛岡陸軍病院に慰問することとなり、その準備に大忙しだった。・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1938 銃後の盛岡市民もお花見(S13.4.22岩手日報) 盛岡もお花見のシーズンになっていたが「銃後」などという言葉が付いている。 日中戦争が始まった時期だった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日) 昭和13年4月20日の岩手日報より。 厚生省は、岩手県を通じて「戦時疾病に備え花柳病予防の診療所を設置するように」と、盛岡市に要請してきたのだという。 これに対し、盛岡市では内丸の診療所を拡張設備することで対応することにしたようである。 そこで、診療所の裏手の県経済部長官舎を明け渡してほしいと県に交… 続きを読む