a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 戦前期の松屋デパートのフロア構成? 昭和13年4月20日の岩手日報の広告より。 「戦捷お花見大売出し」という松屋デパートの広告なのだが、この時期だと戦時協力色を打ち出さないと娯楽も商売もやりにくかったのだろうか。 また、松屋デパートの各階の案内?と思われる意匠となっている。 地下ではモロゾフのチョコレートなんて売ってたんだね。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 3月 1938 盛岡~日詰のバスを木炭自動車に改造 昭和13年3月7日の岩手日報より。 日中戦争も泥沼化の様相を呈し「ガソリンの一滴は血の一滴」の時代になっていた。 それで東京市のバスの半分はすでに木炭バスに改造され、盛岡~日詰のバスを経営する盛岡市内丸の佐藤自動車店でも、1台を木炭自動車に改造する計画であるという。 また、繋温泉に行くバスも木炭車に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 6月 1937 北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文 昭和12年6月10日の岩手日報より。 当時、県知事は官選であり、内務省の官僚であったから、数年で別の任地に転出するのが普通であった。 現在でいう県警察本部長のようなものであると考えれば丁度いいだろう。 そのような中でも、第18代石黒英彦知事は、昭和6年12月18日に奈良県知事から転任し、以降昭和12… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 6月 1937 盛岡・衆楽座で松竹映画「浪華悲歌」封切! 昭和12年6月10日の岩手日報より。 盛岡の衆楽座で松竹映画「浪華悲歌」を封切。 監督は溝口健二で主演は山田五十鈴。 Wikipedia日本語版の独立項目となっており、キネマ旬報でも昭和12年の映画ベストテンに入っている。 ちなみに、衆楽座は後年、洋画専門館「国民劇場」(国劇)となって… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 6月 1937 貧しい傷痍軍人に対し授産の養鶏講習 昭和12年6月9日の岩手日報より。 支那事変で戦争が発生すれば傷痍軍人が発生する。 傷痍軍人を一生職もなく遊ばせておくほどの国力は日本にはなかった。 だから何かをして働いてもらわないといけない。 それで、盛岡連隊区司令部職業補導部では、名誉の戦傷を受け貧困に陥っている家庭の為に、6月15日~21日に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 6月 1937 「雫石アネコ」の田植えを見物に行こう 昭和12年6月10日の岩手日報より。 見出しは「色とりどり雫石名物 美しの早乙女が泥田に描く詩情」。 令和になった今でも道の駅の名前になっているなど、雫石町の観光資源となっている「雫石あねっこ」であるが、それは戦前からだったようである。 岩手日報社により、雫石アネコの見物団が組織され、川口村長、盛岡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 5月 1937 盛岡~日詰のバスは佐藤自動車(昭和12年5月28日) 昭和12年5月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手県交通の前身の一つである岩手中央バスは、国家総動員法に基づいて制定された陸運統制令(昭和15年1月31日勅令第37号)によって、盛岡周辺の小規模なバス事業者が統合されて成立したものである。 いわゆる「戦時統合」「戦時合併」として知られているものだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 5月 1937 第32回目の海軍記念日 岩手では(昭和12年5月27日) 5月27日の海軍記念日は、日露の戦役で日本海海戦に勝利したことを記念して制定された。 第32回の記念日となる昭和12年のこの日は、岩手県内で以下のことが行われた。 盛岡市内各小学校でZ旗の掲揚。 Z旗は前日に盛岡海軍部・岩手艦橋会から寄贈されたもの。 岩手県公会堂では講演会と映画会。 講演講師は盛岡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 5月 1937 松尾鉱山の文盲鉱夫と盛岡の悪い女 盛岡区裁判所で行われた裁判より。 山形県の山中で生まれ、あまりに僻地であることから3か月しか学校へ行かずに字が読めず、九州の炭鉱などで鉱夫として働いていた。 生母と生き別れになっていたが、その生母が盛岡にいることが分かり盛岡へ行き、松尾鉱山で働くようになった。 ところが鉱夫仲間の時計を盗んで盛岡市内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 5月 1937 海軍記念日には盛岡市内各小学校でZ旗を掲揚します(S12.5.19岩手日報) 5月27日は海軍記念日。 それで、盛岡市内各小学校ではその日に海軍のZ旗を掲揚するという手筈になっていた。 ちなみに、なぜ「Z旗」なのかというと、Zはアルファベットの一番最後で「この戦いに敗れたら後はない」という意味合いなのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1937 岩手公園で岩手医専の運動会(S12.5.18岩手日報) 岩手公園で岩手医専(現:岩手医科大学)の運動会が行われたという。 中等校リレーというのは、これは岩手中学のことだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1937 盛岡電燈のラヂオ大売出し!(昭和12年5月18日) 昭和12年5月18日の岩手日報より。 盛岡電燈ではラジオを大売出ししている。 4球ラジオで37〜38円であると言う。 ちなみに盛岡でラジオの放送が始まるのは翌昭和13年8月なので、この当時は仙台放送局で聴こえるものを聴いていたのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1937 大阪文楽の人形浄瑠璃が盛岡劇場に来ます!(昭和12年5月18日) 昭和12年5月18日の岩手日報より。 6月5日に、盛岡劇場で人形浄瑠璃が行われるという。 これは、函館公演が予定されており、その途中に盛岡に寄るのだという。 浄瑠璃なら道具もかなり嵩張るので貨物列車で運んだのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 5月 1937 本日不在事件(昭和12年5月16日) 「ガールズちゃんねる」に、心霊スポット関係のスレッドがある。 そこに、盛岡出身と思しき方の書き込みがあった。 北夕顔瀬町の殺人事件があった場所が、小学生の肝試しスポットとなっているのだという。 まあ元気があって何よりですこと・・・ という気もしないではないが、殺人事件があると、このように心霊スポット… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 5月 1937 盛岡農学校の寄宿舎で火災 原因は生徒のタバコ 5月15日朝8:05頃の朝礼中、紫波郡見前村の盛岡農学校の寄宿舎で火を噴いているのを教頭が発見した。 直ちに教員・生徒総動員で消火に努め、9時ごろ鎮火した。 寄宿舎の隣には15,000円相当の蚕種があったが、それは無事であったという。 原因は寄宿舎にが行っている二戸郡出身の生徒の煙草の不始末で、朝に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 11月 1936 盛岡・内丸座で「男性対女性」「薔薇はなぜ紅い」「お化け花嫁」を公開(昭和11年11月5日) 昭和11年11月5日の岩手日報より。 盛岡・内丸座で「男性対女性」「薔薇はなぜ紅い」「お化け花嫁」を公開する。 「男性対女性」は、昭和11年8月29日公開の松竹映画で、出演は佐分利信・上原謙・田中絹代など。 「薔薇はなぜ紅い」(原題:So Red The Rose)は、昭和10年の米パラマウント映画… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 11月 1936 ハーレー・ダビットソンの正しき国産化は「陸王」!(昭和11年11月3日) 昭和11年11月3日の岩手日報より。 盛岡市穀町の藤健モーターサイクルが、陸王について広告を出している。 何でも「ハーレー・ダビットソンの正しき国産化」なのだそうな。 ちなみに穀町とは現在の盛岡市南大通。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1936 川徳でトンビやマントなど防寒用具大売出し!(昭和11年11月1日) 昭和11年11月1日の岩手日報より。 川徳では防寒用具の大売出しを行うという、 トンビやマントなどというのが時代である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1936 岩手県内主要企業の株価(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 この当時の岩手県内の主要な企業の株価が並んでいる。 当時の金融機関は「盛岡銀行」「九十銀行」「岩手無尽」の時代。 また、川口荷札(現:川口印刷)也岩手軽便鉄道などもある。 ちなみに、盛岡の小人町通りとは盛岡バスセンターとわんこそば東屋本店の間の通り。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1936 川徳は肴町、松屋は中ノ橋(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 盛岡では2大百貨店となっていた川徳は中元セール、松屋は夏物一掃セールを行なっていた。 ところで、この両店、現在のホットライン肴町を挟んで向かい側に位置していたのだが、川徳は「肴町」、松屋は「中ノ橋」と表現している。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1936 警察練習所のお台所拝見(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 盛岡警察署の西隣にあったという警察練習所の食事風景であるという。 盛岡警察署の西隣というと、現在の岩手県警察本部のあるあたりだろうか。 現在、岩手県警察学校は青山にある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1936 ヂャイアント号自動三輪車は盛岡・テルイモータースで!(昭和11年5月6日) 昭和11年5月6日の岩手日報より。 今なおWikipediaに単独項目が立っているオート3輪「ヂャイアント」の広告。 盛岡では四ツ家にあるテルイモータースという販売店が総代理店になっていた模様。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 5月 1936 岩手公園や高松の池は行楽日和(S11.5.4岩手日報) この当時は「ゴールデンウィーク」など無かっただろうし何より憲法記念日などというものも無かったはずで、それでも行楽日和だったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 5月 1936 盛岡・松屋デパートでは花見を当て込んで大売り出し(昭和11年5月3日) 昭和11年5月3日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは花見を見込んで弁当や衣料品の大売り出し。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 5月 1936 盛岡・川徳「土日は大売り出し!」(昭和11年5月2日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 川徳デパートでは土日に大売り出しをするという。 ちなみにこの当時、5月3日は憲法記念日という訳ではなかった。 また、5月5日の「こどもの日」もまた昭和23年に制定されているので、ゴールデンウィークというのは戦前にはない。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1936 盛岡観光祭1日目の様子(昭和11年5月1日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 当時は、桜の季節に「 盛岡観光祭」が行われていたようで、その時の様子が写真記事となっている。 ちなみに、気象庁のホームページ気象庁のホームページによれば、桜の開花の観測は昭和28年から開始されているようであるが、昭和20年代だと開花は4月の下旬ごろだ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1936 李承喜の撮影会にカメラマン200名(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 朝鮮半島出身のダンサー・李承喜の撮影会が岩手県公会堂で行われ、盛岡内外から200名のカメラマンが集まった。 中には、唐たけし写場やライト写真館など、戦後なお有名な写真館からも来たようである。 その様子を、記事では「甘きに集まる蟻のように」と表現している。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1936 有名ダンサー・崔承喜が来盛(昭和11年5月1日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 5月1日の1時過ぎ、有名なダンサーである崔承喜が、この日の夜に岩手県公会堂で行われる新作舞踏会に出演のため、一行9人を引き連れて盛岡駅に降り立った。 そして岩手日報本社に訪れ、「5尺4寸(162cm)の長躯」で挨拶をしたという。 いわく「盛岡には7年前に石井(漠?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1936 紫波郡古舘女子青年学校で農業労働(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 紫波郡の古舘女子青年学校では、果樹園で施肥や薬剤散布の作業をおこなった… という写真記事。 … 続きを読む