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盛岡市呉服町の洋服店「秋冬洋服均一注文!」(昭和3年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市呉服町の洋服店「秋冬洋服均一注文!」(昭和3年9月4日)

昭和3年(1928年)9月4日の岩手日報には、盛岡市呉服町にあった洋品店「オゾザワ呉服町支店」の広告が掲載されている。「秋冬洋服均一注文(特価的薄利計画)」と題され、燕尾服(エンビ服)、モーニングコート、フロックコートといった礼装がずらりと並ぶ。 たとえば価格は、燕尾服が75円より95円、フロックコ…
陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日)

昭和初期、日本陸軍では毎年一度「陸軍特別大演習」と呼ばれる大規模な演習が行われていた。これは、複数の師団からなる数万人規模の部隊を動員し、仮想の敵軍同士に分かれて戦う本格的な戦闘演習であった。通常の訓練とは異なり、より実戦に近い規模と緊張感を持って行われるのが特徴で、演習には飛行部隊や高射砲部隊、電…
岩手無尽の広告(S3.9.4岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手無尽の広告(S3.9.4岩手日報)

昭和3年9月4日の岩手日報より、当時の「岩手無尽株式会社」(現在の北日本銀行の前身)による広告が掲載されています。 描かれているのは、自然豊かな山々に囲まれた中に佇む立派な木造建築の本店社屋。大きな三角屋根と、正面に丸窓を備えた印象的な建物で、手前には人々の姿も見えます。堂々たるその姿からは、地方の…
盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(S3.9.4岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(S3.9.4岩手日報)

昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡の映画館「紀念館」では、日活映画『続水戸黄門』が上映されていた。 本作『続水戸黄門』は、1938年(昭和3年)4月15日に初公開された時代劇映画で、監督は仁科熊彦。主演の水戸光圀公には山本嘉一が扮している。前作『水戸黄門』の好評を受けて制作された続編で、勧善懲悪…
札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報)

札幌の地にある岩手県出身者の学生寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」が、岩手県内の太田村で映画会を開催したという記事が昭和3年(1928年)9月4日の『岩手日報』に掲載されている。 現在でこそ、太田村周辺――盛岡市盛南地区は都市的に開発され、大型商業施設や住宅地が広がる地域となっているが、昭和初期において…
歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(S3.9.3岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(S3.9.3岩手日報)

昭和3年9月3日の岩手日報より。 翌9月4日から二日間にわたって施行される歩騎連合演習に備え、歩兵第31連隊の油川大隊と機関銃隊あわせて総勢543名が、臨時列車で盛岡に到着した。到着時刻は午後1時半である。 本部は新田町の片倉製糸場に置かれ、兵員たちは新田町・片原・厨川村の一部の民家に分宿する形がと…
ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報)

昭和3年(1928年)9月2日付『岩手日報』は、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)の菊池賢次郎教授が、3年にわたるドイツ留学から帰国したことを伝えています。菊池教授は、家畜病理学の研究を目的に渡欧し、現地での実地研究と視察を重ねて帰国。帰途にはフランス、さらには南北アメリカにも立ち寄り、国際的な…
黄金競馬場で秋競馬(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

黄金競馬場で秋競馬(S3.9.2岩手日報)

昭和3年9月、盛岡市の黄金競馬場では秋の競馬が開催され、曇天ながら雨に降られることのない穏やかな天候のもと、一日が静かに過ぎていった。 現在の岩手大学工学部周辺にあたるこの場所には、かつて「黄金競馬場」という馬場が存在し、昭和初期には競馬が年に数度行われていたという。新聞報道によれば、この日の秋競馬…
岩鷲寮寮生の桜山神社参拝(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩鷲寮寮生の桜山神社参拝(S3.9.2岩手日報)

昭和3年9月2日の岩手日報によると、北海道で学ぶ岩手県出身の学生たちが暮らす寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」の寮生が、盛岡市内の桜山神社を参拝した。 これは、夏季休暇を利用して帰郷中の寮生が行ったもので、一行はそろって神社に赴き、拝殿の前で丁重に参拝する様子が報じられている。 写真には、整列した学生た…
岩手師範対日詰の野球試合(S3.9.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手師範対日詰の野球試合(S3.9.1岩手日報)

昭和3年9月1日付の岩手日報には、岩手師範学校と日詰チームとの野球試合の結果が掲載されている。 試合は8月29日の午後4時から、紫波郡日詰町(現在の紫波町)にあった日詰小学校の校庭にて行われた。岩手師範が先攻、地元・日詰チームが後攻というかたちで始まり、結果は5対3で岩手師範が勝利した。 日詰側は町…
農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 「豊穣を語る案山子」と題された写真記事が掲載されている。写真には、たわわに実った稲穂が風に揺れ、その中にぽつねんと立つ案山子の姿が見える。背景には霞むように並ぶ家々や林があり、初秋の田園の空気が感じられる。 場所は「盛岡農学校」とされており、当時の校舎は盛岡市菜園に…
岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日)

この日の紙面では、今晩盛岡の岩手県公会堂第一ホールにて開催される「音楽と舞踊の夕べ」の案内が掲載されている。午後7時開演、主催は岩手日報社。 出演は以下の通り: セロ(チェロ):高勇吉氏 アルト独唱:齋藤靜子夫人 バイオリン:高玉枝嬢 舞踊:ドイツの舞姫・ヘティー・ウツケル嬢(高氏新夫人) この時期…
盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(S2.4.22岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(S2.4.22岩手日報)

昭和2年4月22日の岩手日報より。 盛岡の映画館・内丸座では、この日から豪華な四本立て上映が行われた。戦争の英雄譚から西部劇、捕物、歴史劇まで揃ったそのラインナップは、まさに昭和初期の映画興行の活気を象徴するものであった。 『広瀬中佐』は松竹キネマ蒲田撮影所で製作され、大正15年(1926年)6月2…
盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報)

昭和2年(1927年)3月、岩手県の最高学府として知られた盛岡高等農林学校で卒業式が行われた。『岩手日報』紙上には、教員と卒業生たちの記念写真が掲載され、厳かな式典の様子が伝えられている。 この学校は、旧制時代における農林系の専門教育機関であり、農政技術者や教員、研究者など多くの人材を世に送り出して…
女子師範学校の卒業生が岩手日報社を見学(S2.3.16岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

女子師範学校の卒業生が岩手日報社を見学(S2.3.16岩手日報)

昭和2年3月16日の岩手日報より。 当時、盛岡市内丸にあった岩手女子師範学校の卒業生たちが、岩手日報社を見学したときの一枚である。引率は堀江・新藤の両教諭、訪問は午後3時に実施された。 この日、見学に訪れたのは卒業生70余名。一行は整然と社内に入り、新聞制作の現場を興味深く見学した。写真には、袴姿の…
一方井事件(S2.1.29) a盛岡・岩手郡・紫波郡

一方井事件(S2.1.29)

昭和2年(1927年)1月29日、岩手県岩手郡一方井村(現岩手町一方井)で発生した火災により男性が焼死しました。当初は事故死と判断されましたが、石油の臭いや頭部の裂傷から他殺の可能性が浮上しました。その後、この事件は天理教を背景にした複数の不審死を伴う猟奇的な犯罪へと発展しました。 火災後、昭和2年…
盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報)

昭和2年の年明け早々、盛岡では流行性感冒(いわゆる流感)が急速に拡大し、市内の医療機関が慌ただしさを増していた。市民の間でも不安が広がり、新聞紙上では予防と対策の重要性が呼びかけられている。 この流感について、当時の岩手病院内科部長は次のように語っている。 「死亡率は非常に低いが、悪性で注意を要する…
盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(S2.1.9岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(S2.1.9岩手日報)

昭和2年1月、岩手日報は「盛岡~宮古間の冬季郵便逓送を自動車で継続すべく、逓信局と交渉中である」と報じた。実はこの区間、すでに大正14年からは「盛宮自動車」による郵便輸送が始まっていたが、冬場は例年通り積雪のため運休し、郵便物は駄馬によって雪道を越えて運ばれていたという。 この「雪道」とは、すなわち…
盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(S2.1.9岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(S2.1.9岩手日報)

大正天皇の崩御にともない、昭和元年が始まったのは1926年12月25日。いわゆる「諒闇(りょうあん)」の中に幕を開けた新時代でしたが、その静かな幕開けのなかでも、盛岡市内ではすでに24人の新生児が誕生していたことが、昭和2年1月9日付の『岩手日報』で報じられています。 その24人のうち、12月26日…
入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報より。 この日の盛岡駅は、朝から見送り客でごった返していた。向かう先は、弘前の歩兵連隊。現役兵として入営する若者たちを見送るため、家族や友人たちがホームに詰めかけていた。 写真に写るのはその一幕。列車の窓越しに帽子を振る者、最後の言葉を交わそうとする者、それをただ黙って見つ…
盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日)

昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと…
内丸座で「カラボタン」「ロイドの初恋」公開! a盛岡・岩手郡・紫波郡

内丸座で「カラボタン」「ロイドの初恋」公開!

昭和2年1月7日の岩手日報より。 この日から盛岡の内丸座では「カラボタン」「ロイドの初恋」など複数作品の公開が始まった。 「カラボタン」は1926年(大正15年)8月30日に松竹キネマ蒲田撮影所で製作された無声映画で、監督は野村芳亭。主演は諸口十九と筑波雪子。脚本は野村芳亭と村上徳三郎、原作は柴田端…
貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報)

昭和2年1月8日の岩手日報に、盛岡駅構内で発生した痛ましい鉄道事故が報じられています。 事故が起きたのは、盛岡駅の北側に位置する貨物列車の入換線でのことでした。まだ19歳という若さの連結手が、10両編成の貨車に飛び乗ろうとした際、厳寒の気候が災いし、足を滑らせて線路上に転倒してしまいました。不運なこ…
盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡刑務所の元旦は?(昭和2年1月2日)

昭和2年1月2日の岩手日報では、盛岡刑務所まで取材に行ってその様子を伝えている。 盛岡刑務所では、諒闇の中でも1月3日まで特別な処遇をし、教誨室に集まって教誨師から説諭があったという。 警務当事者のコメントでは「一同謹慎の意を示し悲愁の意を呈していた」とのこと。  …
昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日)

昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 …
盛岡・内丸座で「蜘蛛」「腕鳴り肉躍る」「母よ恋し」「讐討乙女椿」初春特別大公開!(S元.12.31岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「蜘蛛」「腕鳴り肉躍る」「母よ恋し」「讐討乙女椿」初春特別大公開!(S元.12.31岩手日報)

大正天皇の崩御により、その翌日である昭和元年12月26日から5日間の歌舞音曲の禁止が警察から発令された。 昭和元年12月31日の岩手日報より。 大正天皇の崩御に伴って禁じられていた歌舞音曲の禁止がこの日ようやく解かれ、盛岡の内丸座ではすぐさま正月映画の特別興行が始まった。上映されたのは邦画と洋画の取…
諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で…
大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(S元.12.29岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大正天皇崩御の喪中は岩手日報主催・講演の催しは自粛します!(S元.12.29岩手日報)

昭和元年12月29日の『岩手日報』紙上に、「社告」として一件の告知が掲載されている。これは、大正天皇崩御にともなう「第1期喪中(50日間)」の期間中、岩手日報社が主催・後援する催しについての方針を読者に示すものであった。 社告によれば、「喪中五十日間に本社主催又は後援の催しものを一切御遠慮申上げる事…
諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(S元.12.28岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇の中、盛岡・中の橋通りに食堂がオープン(S元.12.28岩手日報)

昭和元年12月28日付の『岩手日報』には、盛岡の中の橋通りに開業したばかりの「カフェー大安」の広告が掲載されている。これによると、もともとは「大安」という店舗の一部として「食堂部」が営業していたが、このたびその食堂部のみを独立させ、「カフェー大安」として開店する運びとなったようである。 広告には、以…