a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 16日 1964 盛鉄局「年末年始の帰省は臨時列車が空いてますよ!着席券も発売しますよ!」(昭和39年12月16日) 昭和39年12月16日の岩手日報より。 盛鉄局はすでに年末年始のダイヤを発表しており、臨時列車の利用を呼び掛けていた。 旅行者が案外臨時列車の存在を知らないために定期列車ばかり混んでいるということを憂慮していた。 また、盛鉄局管内では1枚50円で「着席券」を販売することとした。 着席券を販売する列車… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1964 重茂海岸にも「岩手川」(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 岩手川は重茂海岸のアワビ漁解禁に関して広告を打っている。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 11日 1964 岩手トヨペット釜石営業所「新型コロナ発売!」(昭和39年9月11日) 昭和39年9月11日の岩手東海新聞より。 岩手トヨペット釜石営業所では、新型コロナの発表試乗会を釜石・遠野・宮古で行うと言う。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 1日 1964 広くなった宮古駅前広場(S39.9.1岩手東海新聞) 宮古駅前広場は、土地収容の問題で長いこと裁判沙汰になっていたようだ。 しかしそれが解決し、広くなったという。 駅前には県北バスが群れをなしている。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6月 2日 1964 宮古海上保安署は新庁舎建築中(昭和39年6月2日) 昭和39年6月2日の岩手東海新聞より。 宮古海上保安署は、それまで宮古海運局の2階を間借りをしていたものであるが、海事振興会が中心となって、宮古・下閉伊地区の船主や漁協に協力を求めて、全額地元負担で新しい庁舎を建設することになったのである。 それで、宮古市鍬ヶ崎の県有地をに、総工費250万円、木造モ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11月 30日 1963 宮古港に初冬の風物詩ウミネコが舞う(昭和39年11月30日) 昭和39年11月30日の岩手日報より。 宮古港ではサンマ漁も終わり、めっきり寂しくなってしまったが、今度は宮古魚市場の岸壁では、餌を求めうみねこが乱舞していると言う。 このうみねこは、この界隈の初冬の風物詩であったと言う。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 10日 1963 山田派出所に新しい交通標識の教材(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 山田町の宮古警察署山田派出所には、新しい交通標識の見本用教材が届いた。 これで、町民に交通標識を知ってもらおうと言うものである。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 6日 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 1日 1963 山田町に県下初の「まごころ銀行」 昭和38年4月3日の岩手日報より。 山田町では4月1日から社会福祉協議会により「まごころ銀行」が店開きをしたのだという。 これは町役場内の社協事務局に本店を置き、豊間根・大沢・船越・織笠に支店が設けられ、口座は「心」「技術」「労力」「金品」「血液」の5口座に分かれるという。 開店した「まごころ銀行」… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 3日 1962 大船渡・釜石・宮古でスズキ・スズライトの巡回健康診断をします!(昭和37年7月3日) 昭和37年7月3日の岩手東海新聞より。 盛岡の藤健自動車が、大船渡・宮古・釜石でスズライトの巡回健康診断をするという。 スズライトはスズキ自動車の軽自動車。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1962 盛鉄局が東京〜八幡平の直通列車を計画(S37.1.5岩手日報) 盛岡鉄道管理局は、八幡平から東京に直通する列車や、陸中海岸国立公園と十和田湖を結ぶ観光列車を計画しているという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1962 1962年をリードするプリンス自動車は岩手プリンスで! 昭和37年元旦の岩手日報の広告欄より。 「スカイライン」などで知られるプリンス自動車が大胆にも一面広告である。 この時点で、盛岡だけではなく一関、大船渡、釜石、宮古、福岡(二戸)、久慈に販売店があったようである。 そして盛岡ではほかのメーカーのように菜園や大沢川原といった下ノ橋の北側ではなく南仙北で… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 6日 1961 学力テスト拒否で岩手県教組九戸支部の役員数名が逮捕され抗議集会(昭和36年12月6日) 昭和36年12月7日のデーリー東北より。 この時期、岩手県教員組合(岩教組)では学力テストを拒否闘争、いわゆる「学テ闘争」を展開していた。 これを、地方公務員法違反として捜査していた岩手県警本部は、12月6日の午前7時に、宮古警察署などを動員して、学テを拒否した宮古支部長や九戸支部長など12名を逮捕… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 22日 1961 宮古・釜石から上野に直通するディーゼル急行「陸中」が運転開始(昭和36年7月22日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 岩手県沿岸地方の住民が待ち望んだ上野行の急行「陸中」号が運転を開始した。 22日の朝7:10に上野を出発した「みやぎの」号は仙台を12:52に出発、15:27に花巻で「陸中」を切り離す。 釜石線内では2両編成の「陸中」号は、釜石駅に17:13に到着した。 釜… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 26日 1961 宮古で消防団のポンプ車が出動したが、酔っ払い運転で横転し5人負傷(昭和36年4月26日) 昭和36年4月26日の岩手東海新聞より。 この4月26日に日付が変わった0:50頃のこと。 宮古の鍬ケ崎で火事が発生した。 そこで、消防団のポンプ車が出動することになったが、なにしろ深夜なので消防団員は既に晩酌で酔って寝ている。 心地よい眠りを起こされて出動させられたのだ。 酔っ払い運転にはなるが、… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 4日 1961 津軽石川の川開きは大漁(昭和36年1月4日) 昭和36年1月6日の岩手東海新聞より。 宮古の正月の風物詩である津軽石川の川開きは、1月4日に行われた。 全国から、2000人の観光客が集まったと言う。 また、河原に特設された「鮭汁」「はらっ子うどん」の売店に飛び込んで舌鼓を打つ観光客も多かった。 中には、鮭取りの上手な犬を連れて川に入るものもいた… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 8日 1960 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 宮古一の「悪路」と言われていた宮古市役所〜岩手銀行宮古支店の前の道路がコンクリート舗装されることになったというニュース。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 3日 1960 第1回陸中海岸縦断釜石〜宮古駅伝(昭和35年5月3日) 昭和35年5月3日の岩手東海新聞より。 この日、第1回陸中海岸縦断釜石〜宮古駅伝が開催された。 スタートは釜石ビル前であり、13チームが参加したという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 2日 1960 山田町合併5周年(昭和35年5月1日) 昭和35年5月1日の岩手東海新聞より。 山田町は昭和30年に昭和の大合併で山田町・織笠村・大沢村・船越村・豊間根村の1町4村を合併して発足した。 それで、5月1〜3日に祝賀会が開催された。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 11日 1960 東北大「山田町は赤皿貝の養殖に適してますよ!」(昭和35年1月11日) 昭和35年1月11日の岩手日報より。 下閉伊郡山田町は、東北大学生物学教室に依頼し、山田湾の赤皿貝の養殖について調査を行っていた。 その結果。養殖に有望な敵地であるという結果を得ることができた。 それまで、赤皿貝の養殖というと青森県の西平内海岸で透析して付着させる、会の耳に穴をあけてビニールの紐に吊… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1959 山田線にディーゼルカー導入で「カラス列車」追放へ(昭和34年12月1日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 それまで、盛岡~宮古を結ぶ山田線といえば急勾配やトンネルをC58や8620といった蒸気機関車が喘ぎながら、機関士も客も煙で真っ黒になりながら移動するのが当たり前の「カラス列車」だった。 このような中、12月1日、山田線の盛岡~釜石にディーゼルカーは導入されること… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1959 昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) 昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 21日 1959 大槌町吉里吉里と山田町に映画館が開館(昭和34年8月21日) 昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 山田町三日町には「国際劇場」がオープンする。 鉄筋コンクリート平屋建てで収容人数300人。 シネマスコープと冷暖房を完備している。 配給系統は東宝と東映。 大槌町吉里吉里では「吉里吉里文化劇場」を開館した。 木造モルタルで330平米の平屋建て。 シネマスコー… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 22日 1959 釜石線・山田線のディーゼルカーは環状化で(昭和34年5月22日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石選挙区から選出の石川県議(自民党)は、盛岡鉄道管理局を訪れ「ディーゼルカーを早期運行してほしい。遅くとも5月末から」と要請した。 盛鉄局によれば、「宮古市の利用債引き受けが可能であれば、釜石始発は花巻経由で盛岡へ、盛岡始発は山田線経由で釜石泊まりになるよ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 25日 1959 山田線のディーゼルカーは秋から運転予定(昭和34年3月25日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 宮古から盛岡に出る山田線をSLが牽引する「カラス列車」からディーゼルカーに切りかえてくれと、宮古市長などは国鉄東北支社長に陳情に行っていた。 そして3月25日、昭和28年~昭和33年の間衆議院議員を務めた地元選出の中井英太郎氏(右社)が語る所では、 「ディ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 17日 1958 鈴木善幸の選挙広告 昭和33年5月22日の第28回衆議院選挙に先立ち、5月17日の岩手日報に掲載された鈴木善幸の選挙広告。 当時の選挙区は、氏の出身地である下閉伊郡山田町も含めた岩手県の北半分が岩手1区であった。 鈴木善幸の初当選は、意外なことに昭和23年に社会党からの当選となっているのである。 当時はアイオン台風から… 続きを読む