早坂峠の秋(昭和40年10月15日)

昭和40年10月15日の岩手日報より。

盛岡と岩泉を結ぶ早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた。岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。

早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。

この地域の農家の主食は100%ヒエだったそうで、このことが、高血圧症の発生を0にしている所以ではないかと言うことが書かれている。

ヒエと言えば、貧困の象徴であったが、この時期になると、「健康」と言う観点でも語られるようになっていたようだ。

 

 

 

 


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