e釜石・遠野・上閉伊郡 8 7月 1965 岩手ホンダ販売釜石支店「オートバイの王様ドリーム450!」(S40.7.8岩手東海新聞) 広告欄より。 岩手ホンダ販売釜石支店が「オートバイの王様ドリーム450」と広告を出している。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1965 釜石タクシーは運転手募集(S40.7.2岩手東海新聞) 釜石タクシーでは運転手を募集していた。 月給29,000円で賞与は2回であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1965 盛鉄局各駅に釜石みなとまつりのポスター(S40.7.2岩手東海新聞) 釜石みなとまつりのポスターを東北本線・釜石線・山田線の各駅の待合室にあって、宣伝にこれ努めていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1965 釜石・大槌のサバ・オットセイ漁の成果(昭和40年7月2日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石や大槌のサバ・オットセイ漁の成果について振り返った記事を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 ボーナス商戦で釜石の空に何本もたなびくアドバルーン(S40.7.1岩手東海新聞) ボーナスやお中元で釜石市内の商店街は、アドバルーンを上げて待ち構えていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 釜石製鉄所で異動のあった3課長はみな東大卒(S40.7.1岩手東海新聞) 釜石製鉄所で人事異動があり、秘書課長兼人事課長(39歳)、整員課長(37歳)、労働課長心得(35歳)はみな東大卒だった。 そして顔写真入りで紹介された時代。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 釜石製鉄所構内で安全パレード(昭和40年7月1日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の構内では、雷雨の中を作業安全パレードが行われたようである。 どうも手前のマイクロバスは、県南バスから借りてきたような色にも思えるが、ナンバーが白なので自家用だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 釜石魚市場でイカの樽詰め出荷始まる(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石魚市場で、イカの樽詰め出荷が始まったことを報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 釜石・丸光デパートが全館落成記念セール!(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石の丸光デパートが全館落成記念セールを行うという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 参院選は棄権しないで投票しましょう!(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石県税事務所では、来る7月4日の参議院議員選挙に向け、釜石市内や大槌町内で、棄権しないで投票するよう呼びかける宣伝を行ったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 3月 1965 釜石に丸光デパートの出現で商店街は微妙な表情(昭和40年3月5日) 昭和40年3月5日の岩手東海新聞より。 釜石に、仙台を本店とする丸光デパートが出現し、既存の商店街は微妙な表情になっている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 3月 1965 大槌町赤浜にオットセイ研究所(昭和40年3月4日) 昭和40年3月4日の岩手東海新聞より。 大槌町赤浜にオットセイ研究所が完成した。 これは、大槌町の予算で建設し、水産庁東海区水産研究所に貸し与えたもの。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1965 釜石市の失対事業で呑んべ横丁も舗装へ(昭和40年3月3日) 昭和40年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石市は、失対事業として、各地の道路舗装することにした。 その中には、製鉄所の近くののんべ横丁も入っていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1965 ぼくも、わたしも東殖の学用品!(昭和40年3月3日) 昭和40年3月3日の岩手東海新聞より。 新入学の季節に向け、釜石の東殖百貨店でもセーるに余念がなかった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1965 「釜鉄タワー」の建設始まる(昭和40年3月2日) 昭和40年3月2日の岩手東海新聞より。 当時の釜石のシンボルと言えば、釜石製鉄所の5本煙突であったが、その他に、転炉を建設するために駅前にタワーを建設することになったのである。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 3月 1965 釜石・大平公民館が近日完成(昭和40年3月1日) 昭和40年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石の大平公民館が3月7日に竣工するという。 大平というと、釜石駅の南側の釜石大観音がある方だが、こちらの方にも社宅が並んでいたらしい。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 3月 1965 テレビ・ラジオ番組案内(昭和40年3月1日) 昭和40年3月1日の岩手日報より。 岩手東海新聞のテレビ・ラジオ欄は以下のようになっており、なおかつラジオの方がまだ主だった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 1月 1965 釜石鉱山~釜石製鉄所の鉱石輸送は昭和40年3月に社線から国鉄に切り替え予定(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 これまで、釜石鉱山から釜石製鉄所に運ぶ鉄鉱石は、国鉄の陸中大橋駅付近から釜石駅前の製鉄所まで、国鉄と並行して「社線」という専用線で輸送していた。 この「社線」、釜石市内の小佐野や甲子といった市街地の道路の真ん中を走っていたので、自動車が増えるにつれ邪魔でしょうが… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1965 釜石選出の3県議が語る未来予想図(S40.1.1岩手東海新聞) 昭和40年1月1日付の岩手東海新聞に掲載された新春座談会は、当時の釜石が抱えていた熱気と課題を鮮明に映し出しています。出席者は社会党の栗沢勇治氏、自民党の川端広平氏、そして同じく社会党の菊池伝助氏という、当時の釜石選出の岩手県議会議員三名です。この顔合わせは、党派を超えて釜石の未来をいかに切り拓くか… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1965 昭和40年元旦の抱負(S40.1.1岩手東海新聞) 昭和40年の元旦、岩手東海新聞の紙面を飾ったのは1965年希望の鼓動という力強い言葉と火花散る工場の熱気でした。一面のトップを飾るこの写真は釜石製鉄所の作業風景であり、まさに鉄の街の新聞である岩手東海新聞らしさが鮮明に表れています。この頃、岩手沿岸部が抱いていた壮大なビジョンが三陸ベルト地帯構想です… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 12月 1964 知らない間に結婚してた!? 昭和39年12月20日の岩手日報より。 大阪に住む59歳独身の会社員が、本籍地のある徳島県小松島市役所から戸籍抄本を取り寄せた。 すると、知らない間に妻がいて、子供3人いるということになっている!? どうやら、昭和24年10月14日に釜石市内の女性と結婚していた、ということになっているらしい。 その… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 12月 1964 釜石に丸光デパート開店(昭和39年12月20日) 昭和39年12月20日の岩手日報の広告欄より。 昭和の頃、釜石でデパートといえば丸光だった。 個人的にも、何回も家族連れで行った覚えがある。 平成になってから「東北ニチイ」になったあげく、結局平成14年(2002年)に閉店している。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 12月 1964 盛鉄局「年末年始の帰省は臨時列車が空いてますよ!着席券も発売しますよ!」(昭和39年12月16日) 昭和39年12月16日の岩手日報より。 盛鉄局はすでに年末年始のダイヤを発表しており、臨時列車の利用を呼び掛けていた。 旅行者が案外臨時列車の存在を知らないために定期列車ばかり混んでいるということを憂慮していた。 また、盛鉄局管内では1枚50円で「着席券」を販売することとした。 着席券を販売する列車… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 12月 1964 大槌町では新巻鮭の最盛期(昭和39年12月2日) 昭和39年12月2日の岩手日報より。 南部鼻曲がり鮭で知られる大槌町では、新年に向けて新巻鮭の最盛期となっていた。 … 続きを読む