釜石鉱山~釜石製鉄所の鉱石輸送は昭和40年3月に社線から国鉄に切り替え予定(昭和40年1月16日)

昭和40年1月16日の岩手日報より。

これまで、釜石鉱山から釜石製鉄所に運ぶ鉄鉱石は、国鉄の陸中大橋駅付近から釜石駅前の製鉄所まで、国鉄と並行して「社線」という専用線で輸送していた。

この「社線」、釜石市内の小佐野や甲子といった市街地の道路の真ん中を走っていたので、自動車が増えるにつれ邪魔でしょうがなかった。

それで、市民からは社線撤去の要望が出ていたのである。

それで、昭和33年には釜石市内で市民大会が開かれ「社線撤去促進協議会」という集まりまでできる状況であった。
ちなみに、この協議会の会長は、後に釜石市長となる浜川才治郎である。

いずれ、この問題は鉄鉱石を国鉄で運ぶ、つまり釜石製鉄所と国鉄を結ぶ引き込み線さえ開通すればすぐにできることであり、それが着手されたのである。

これは3月末までに完成する見通しであった。

また、運びだし側である日鉄釜石鉱山では、陸中大橋駅構内に積みだし設備が完成していた。

これで、釜石市内の交通に混乱をもたらしていた社線の撤去の準備が整ったということになる。

 

 

 

 

 


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