a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 24日 1951 盛岡市営球場で東急対毎日、西鉄対大映の試合をします!(昭和26年6月24日) 昭和26年6月22日の「夕刊いわて」より。 盛岡市営球場でプロ野球の試合。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 21日 1951 盛岡に17歳の麗人タクシー運ちゃん登場(昭和26年6月21日) 昭和26年6月21日の「夕刊いわて」より。 盛岡の杜陵タクシーに、17歳の女の子が運転手としてデビューするという。 当時は盛岡最大の歓楽街であった八幡町の小料理屋の一人娘でケイ子ちゃんと言ったという。(本名は別) 岩手女子高校ではバレーボール部や水泳部で活躍するほど活発な少女であった。 運転免許を取… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 20日 1951 5歳当時の松島トモ子が岩手県公会堂で出演していた(昭和26年6月20日) 昭和26年6月21日の「夕刊いわて」より。 6月20日、岩手県公会堂では石井漠の門下の子供達がバレエの公演をした。 この中に「天才豆バレリーナ」として5歳のころの松島トモ子がいたのである。 ライオンに噛まれるかれこれ35年前の話。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 17日 1951 盛岡で電気料金値上げ反対署名運動(昭和26年6月17日) 昭和26年6月17日の「夕刊いわて」より。 電気料金値上げ反対の署名が盛岡市内の目抜き通りで行われた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 17日 1951 女子プロ野球団「マルキンシスターズ」が市内で行列(昭和26年6月17日) 昭和26年6月17日の「夕刊いわて」より。 盛岡に来た女子野球野球団「マルキン・シスターズ」は、薄いグレーのジャンパーと白いユニホームで盛岡市内を行進した。 その後、盛鉄球場で地元名士軍などと試合したが、その試合結果は書いていない。 夕刊誌だったので、入稿時間に間に合わなかったのだろうか。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 16日 1951 「婦人の職場を明るくしましょう」と叫んでいる県庁のお膝元にブラック企業(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 この時期、県では「婦人の生活を明るくしましょう」と女性の働く職場の労働環境の向上を各職場に呼びかけていた。 そんな最中に、極めつけのブラック企業が県庁の中にあったのである。 それは県職員生活協同組合。 組合長以下7人の職員がいて、うち5人は女性。 その5人… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 16日 1951 女子師範の跡地が花壇に(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 県庁前にあった岩手女子師範学校は、学制改革で岩手大学(上田)に統合され、跡地は荒れ地になっていたが、県職員によって花畑になっているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 16日 1951 知的障害のある浮浪者が精神病院に入っただけでニュースになった時代(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 見出しには「海デ象をヲトッテイタヨ 脳足りんの坊や青年精神病院入り」と書いてある。 どういうことかというと、この年の初めに浮浪者とおぼしき青年が盛岡駅前の派出所でお世話になっていた。 凍傷しているので、岩手医大に収容して手当をしていたが、名前を聞いてもまる… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 16日 1951 マルキン女子野球団来たる!(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」の広告欄より。 岩手新報社の後援で行われるという女子プロ野球の盛岡での試合は、夕刊いわてでも盛んに広告されていた。 また、チームのスポンサーであったマルキン醤油は小豆島の醤油メーカーで、現在でも盛業中である。 「マルキン醤油記念館」というのもあるようだが、女子プロ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 15日 1951 保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内!(昭和26年6月15日) 昭和26年6月15日の「夕刊いわて」より。 広告欄には、「保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内」が掲載されている。 「冷菓」とはアイスキャンデーを指しているようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 入梅となりました!傘と雨具と履物は当店で!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 梅雨の時期に入り、雨具や傘の広告に余念がない盛岡市内の各店舗。 当時はコンビニで買うとかそういう時代ではなかった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 盛岡中劇で「暁の出航」ナイトショウで公開します!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 盛岡中劇で1949年(昭和24年)のイギリス映画「暁の出航」(原題:MORNING DEPARTURE)をナイトショーで公開するという。 日本初公開は昭和25年12月11日。 洋画であれば東京とのタイムラグは半年程度あるのはこの当時は当たり前だったようであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 与の字橋・入道雲・女子高生(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 中の橋と上の橋の間にある与の字橋の向こうには入道雲が立っている。 そして遠足帰りの女子高生が渡る。 与の字橋の向こうにある女子校というと、盛岡二高(上の橋町)だろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 女子プロ野球「マルキン・シスターズ」が盛岡に来ますよ!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 女子プロ野球の「マルキン・シスターズ」が、17日に盛岡に来るという。 そして盛岡駅の裏にあった盛鉄球場で、市内の名士による野球チーム「名士軍」と、マルキン醤油岩手支店のチームと試合をするのだという。 一行は、17日の朝9時半に盛岡に到着した後、10時から大… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 昭和26年のモラハラDV:馬場小路の男が餌差小路から盛岡駅前まで彼女を引きずり回し・・・ 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 「恋人に暴行 "約束破った"を足で蹴る」という見出しの記事となっている。 もちろん、この当時「モラハラ」「DV」なんて言葉は無い。 盛岡市警察署は馬場小路に住む23歳の菓子卸商の男を暴行容疑で書類送検した。 この男、新馬町(現在の松尾町)の19歳の女性と前… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 11日 1951 大手先の一戸肉店にコツを聞く 昭和26年6月11日の「夕刊いわて」より。 盛岡市大手先(現在の本町通。県民会館と岩手医大の間ぐらい)で20年来肉店を開いている一戸肉店に、商売のコツを聞いてみた。 狭い町では販路も決まっているのでサービスがすぐ利く。 穀物地帯の豚は脂肪が多い。 長く置くとガサガサになるので在庫量は一定量にしておく… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 9日 1951 盛岡市内各銭湯が共同広告「旧の5月5日は菖蒲湯です!」 昭和26年6月9日の「夕刊いわて」の広告欄より。 旧の5月5日は菖蒲湯です!と盛岡市内の各銭湯が共同で広告を出している。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 9日 1951 チャグチャグ馬コで晴れ着のお馬が通る 昭和26年6月9日の「夕刊いわて」より。 旧暦の端午の節句である6月9日、着飾った馬が市内を練り歩き、正午過ぎに終点である盛岡八幡宮に到着した。 QG(NHK盛岡放送局)では八幡宮の境内にマイクを持ち出して、9日の22時の全国ローカルニュースでも放送するという。 この年は田植えの最盛期にかち合い、い… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 3日 1951 チャグチャグ馬コは旧暦5月5日の6月9日に行われます! 昭和26年6月3日の「夕刊いわて」より。 この年のチャグチャグ馬ッコは、旧暦の5月5日である6月9日に行われる旨。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 22日 1951 釜石製鉄所の社宅が松倉に2棟増えます!(昭和34年5月22日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の会社側と労働組合は、厚生委員会を開いて社宅入居規則などについて話し合った。 昭和34年度に実施される予定なのは以下の通り。 松倉に5号アパート 2棟 水道設備増強 1式 ガス配管 674戸 上中島の水道専用栓 803戸 小川に寮を新設  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 21日 1951 開運橋のたもとで精神異常者が北上川に飛び込み大乱闘で救助(昭和26年5月21日) 昭和26年5月21日の「夕刊いわて」より。 この日の午前11時ごろ、開運橋の下流100メートルほどの盛岡駅側の岸から北上川に飛び込んだ男がいた。 それに続いてもう1人の男がこれを追って飛び込み、大騒ぎとなり、時折しも列車の到着時刻でもあったので、開運橋は人だかりができることになった。 結局、追われて… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 20日 1951 盛岡劇場でエノケンが公演(昭和26年5月20日) 昭和26年5月19日の「夕刊いわて」の広告欄より。 「東京よりエノケン来盛!」というコピーで榎本健一が盛岡で講演を行うことを知らせている。 場所は盛岡劇場であった。 … 続きを読む
l全県 5月 16日 1951 春は家出のシーズン!多いのは若いツバメとの駆け落ち(昭和26年5月16日) 昭和26年5月16日の「夕刊いわて」より。 4~5月は家出人が多く、この年は5月15日までで149人が家出していたという。 以下のような実例があったという。 西磐井郡某村の役場書記の女性(21)。 同僚の男性(21)が妻帯者であるのを知りながら恋仲になり妊娠。 噂が出始めたので、2人で手に手を取って… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1951 盛岡市内の時計店「5月6日よりサンマータイムですよ!」(昭和26年5月6日) 昭和26年5月5日の「夕刊いわて」より。 GHQの意向で、日本ではサマータイムが取り入れられていたが、当時は「サンマータイム」と言われていた。… 続きを読む
j生活 5月 5日 1951 サンマー・タイムが始まりますよ! 昭和26年5月5日の夕刊いわてより。 どうも夕刊いわては、翌日付の夕刊を出していたようで(当時の夕刊であれば普通?)、5月5日付の記事に「あすからサンマ―・タイム」と、「5日午後12時から始まる」と書いている。 当時の「サンマー・タイム」は、5月の第一土曜日の夜12時(6日午前0時)から、9月の第二… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 28日 1951 岡晴夫が岩手県公会堂に来ます!!!(昭和26年4月28日) 昭和26年4月27日の「夕刊いわて」より。 昭和20年代を代表する歌手である岡晴夫が盛岡に来るという。 スケジュールは4月28日から2日間、岩手県公会堂にて。 岡晴夫の人気は非常なもので、大阪では夜の公演が終わると、翌日の昼の公演を待つ客の列が宿まで延びていた等の伝説がある。 しかし、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 27日 1951 岩手病院から精神分裂症患者が飛び降り自殺(昭和26年4月27日) 昭和26年4月27日の「夕刊いわて」より。 盛岡市の岩手医大病院の6階から飛び降り自殺があった。 それは水沢から精神分裂症で入院中の東北配電に勤務する男性で、付き添いの妻や甥が便所に行っている間のことであったという。 4人の子宝に恵まれ幸せに暮らしていたところ、不眠を訴えるようになり「舌を噛めば眠れ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 14日 1951 盛岡市民に5月1日から結核検査をしますよ!(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 結核予防法が近く実施される(実際は4月1日の時点で試行されている)ので、盛岡市では乳幼児を除く約10万の市民に、5月1日からツベルクリン反応やレントゲン検査で結核検査を行うという。 実施区域計画の設定に協力した病院は盛岡市内を代表する大病院で、以下の通り。… 続きを読む
m県外・参考 4月 14日 1951 輸出向けの「清酒の缶詰」(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 岩手で清酒の話題というので岩手川?酔仙?と思ったら神戸の灘だという。 まあ岩手県内のローカル新聞に掲載された話題ということでお許しいただきまして・・・ ともかくも灘では、輸出向けに「清酒の缶詰」を製造するという。 これまで技術的に不可能だったのは、缶の内部… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 11日 1951 興産無尽肴町支店が開店(昭和26年4月11日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 興産無尽の肴町支店が11日に開店するという。 興産無尽は後の北日本相互銀行で、現在は北日本銀行。 … 続きを読む