a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 28日 1930 盛岡・内丸座で「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」公開!(昭和5年3月28日) 昭和5年3月28日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」を公開する。 「ダンスガールの悲哀」は昭和4年11月1日初公開の松竹映画。 「支那街の夜」は大正14年9月18日初公開の松竹映画。 「伊勢音頭」は昭和4年7月13日初公開の… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 3月 28日 1930 花巻電鉄でボギー車運転のため交換停留場の有効長延長工事(昭和5年3月28日) 昭和5年3月28日の岩手日報より。 花巻電鉄では春の湯治シーズンに合わせて、3両連結のボギー車を運行するべく交換停留場の有効長延長工事に着手したという。 4月中旬までには完成の見込みであるという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 3月 27日 1930 八戸線が全通し久慈で開通式を盛大に挙行(昭和5年3月27日) 昭和5年3月28日の岩手日報より。 八戸線の陸中八木~久慈間が3月27日に開通し、これでいよいよ八戸線は全通した。 久慈小学校では、岩手県側と青森県側の主だった人が出席して全通を喜んだ。 岩手県側 知事代理 県内務部長 第3旅団長 盛岡連隊区司令官 工兵第8大隊長 盛岡地方裁判所長 盛岡地方検事局検… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 5日 1930 星チェーンストア岩手・青森県連合大会を開催します(昭和5年3月5日) 昭和5年3月1日の岩手日報の広告欄より。 来る3月5日に、岩手県公会堂で岩手・青森県連合星チェーンストア大会を開催するという。 この「星チェーンストア」こそは星製薬による日本で初めてのチェーンストアであり、その創業者星一は、SF作家星新一の父親でもある。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1930 トラホームは「虎眼」?(昭和5年3月4日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 水沢町では3月4日に壮丁者(徴兵年齢に達した者)にトラホームの検診を行うという。 ところで見出しには「虎眼」。 Googleで検索する限りでは、トラホームを「虎眼」とするのは一般的ではないようだ。 そして昭和5年は午年であったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1930 商品陳列所に雛人形(S5.3.2岩手日報) 現在のもりおか歴史文化館のあたりには、かつて「商品陳列所」があった。 現在の岩手県工業技術センターとなる。 ここに雛祭りの雛人形が展示されたというニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1930 盛岡市内の各中等学校の志願者減る(S5.3.2岩手日報) 盛岡中学校(現:盛岡一高)など盛岡市内の各中等学校では、志願者減となっていたようだ。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 1日 1930 西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報) 県内では海軍志願兵徴募検査が行われていたが、西磐井郡老松村(現:一関市花泉町)から少年航空兵が出たことを報じている。 … 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 岩手県の新生児死亡率の高さは昭和初期からの悩みだった(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 記事の見出しには「産婆を置いて嬰児の死を防ぐ 本県の死亡ベラボーに高率なので 社会課の対応策成る」とある。 具体的な数字は書いていないが、とにかく他府県に比べ「ベラボーに高率」だったらしい。 これに対し、岩手県社会課は以下のような対策を考えた。 産婆設置の普及。特に… 続きを読む
m県外・参考 3月 1日 1930 函館で不敬事件発生。内容は極秘(S5.3.1岩手日報) 函館で不敬事件が発生し船員が拘束されたことを岩手日報でも報じている。 ただし、その不敬罪の内容は秘密であった。 そんな「報道の自由」のない時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 岩手県会議員選挙に盛岡地方裁判所検事局は峻烈な取り調べをしていた。 果ては入院していたという医師やレントゲン写真まで調べ、それを報じたという医療情報のプライバシーなど影も形もなかった時代。 … 続きを読む
m県外・参考 3月 1日 1930 原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(昭和5年3月1日) 大正10年11月4日、時の総理大臣であった盛岡出身の原敬は、大塚駅転轍手の中岡艮一の凶刃により暗殺された。 そして中岡には無期懲役の判決が下された。 それから9年。 昭和5年3月1日の岩手日報には、その中岡艮一の家族のその後が掲載されている。 「無期懲役」と言いながら、出所が近いというのだ。 51歳… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡・紀年館では日活「修羅城」「父」公開(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この日の夜から、紀年館で日活映画「修羅城」「父」を公開するのだという。 ちなみに紀年館とは、大正4年11月23日開館の盛岡における最初の常設映画館で、肴町~八幡宮の通りにあったらしい。 ともあれ「修羅城」は昭和4年10月1日公開で大河内伝次郎などが出演、「父」は昭和… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 1日 1930 宮古ではカツオ漁船が全滅の危機(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 令和の今でこそ宮古港はサンマなどで知られるが、この当時の記事の書きぶりによれば「宮古港漁業家が唯一の生命とする鰹漁」とある。 カツオというと高知や枕崎など、南の方の魚というイメージが強いが、実際に水揚げ日本一の漁港は気仙沼港であったり、県内でも今なお岩手日報で大船渡… 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この年から、海軍では少年航空兵を募集することになった。 横須賀鎮守府管内では40名の枠であったが、岩手県内だけでも相当の数の志願者があることを報じている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がおり、当時の陸軍の根拠地である観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)に「伊東飛行場」という飛行場を個人で持っていたという。 (詳細は以下のブログにも詳しい) この伊東氏が、市内中心部の仁王・内丸・日影門・本町の10~18歳の少年1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡の八幡町遊郭では娼妓にアンケート取って改革します!(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 盛岡の遊郭である八幡町の貸座敷組合では、80名いた娼妓にアンケートを取り、以下のような改革を行うこととなった。 勘定書はこれまで番頭が持っていたものを仲居に持たせ、娼妓の手当を増す。 1時間制を採用し、1時間1円50銭とする。 盛岡警察署長も「遊興を猛烈に誘う結果に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 28日 1930 内丸通りで絵を描く人(昭和5年2月28日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 「季節を描く人」として内丸通りで絵を描いている人を撮影している。 この当時、当然道路は舗装されているわけではない。 現在では県庁やら市役所やら県警本部やらでコンクリートしかない内丸界隈も、当時は季節を感じるほどに自然があったのだろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 28日 1930 水沢区裁判所で猫を失火罪で訴える珍無類な裁判(昭和5年2月28日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 失火罪で水沢区検事局から20円の罰金の略式命令を受けた33歳の女がいた。 しかし、その女は「責任は猫にあるんです」と猫を訴えることにした。 この裁判が2月28日に行われ、「猫が失火をなしたとの理由は認められない」と、結局罰金20円を言い渡されスゴスゴ退廷したという。… 続きを読む
備考※1 10月 24日 1929 【参考】世界恐慌・ブラックサーズデー 昭和4年10月24日、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落。 「ブラックサーズデー」。 https://www.youtube.com/watch?v=UMm_Y2N9Soo… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 6日 1929 盛岡には失業者が300人以上(昭和4年9月6日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 盛岡市職業紹介所における、8月中の求職状況は、男68名、女17名の85名の求職に対し、就職したのは男30名、女11名の41名に過ぎなかったと言う。 男は珍しく店員や行員の就職が多く、女は大抵が女中であった。 これでも、1月から求職をしていながら、いまだに職業がないも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1929 岩手公園の南部中尉の愛馬の銅像が怪我しました(S4.9.5岩手日報) 岩手公園にある南部利祥中尉の愛馬の銅像が「怪我をした」というので修復作業。 ちなみに、銅像は昭和19年に金属類回収令で「出征」してしまい、現存せず台座のみ残っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1929 立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報) 立川飛行場所属の陸軍機が、弘前から帰る途中に厨川村の高圧電線に触れて雫石川の河原に不時着と。 この当時の厨川村で、雫石川の河川敷ということは、現在のイオン盛岡のあたりだろうか。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 5日 1929 「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。 そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。 原始共産主義的な形態の村。 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支… 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 4日 1929 苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(昭和4年9月4日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月4日の明け方、黒沢尻駅に到着した盛岡行きの貨物列車の連結に、17歳から18歳の青年がいたので、黒沢尻駅員がそれを派出所に連れて行った。 そこで調べたところでは、沿岸は田老村の出身の18歳の青年であったと言う。 苦学するために上京したものの、理想と現実とはあまりに… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 3日 1929 川井村でトラックから酔っ払いが飛び降りて圧死(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月3日のこと。小国村の早池峰神社の祭典の参詣者を満載したトラックが、江繋村との村境付近で、乗っていた34歳の酔っ払いが飛び降りた。 そうしたところ、次の車に滑り込む形になってしまい、ついには死亡してしまった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1929 仙北町裏田んぼでイナゴ取り(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 1枚切りの写真記事ではあるのだが、盛岡市仙北町うらの田んぼで稲をとっている風景である。 「仙北町裏田圃」とはどのあたりになるだろうか。 現在国道4号線が走っている東仙北あたりになるのか、はたまた線路沿いあるいは線路から西の西仙北になるかだろうか。 &n… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1929 釜石で横行する船舶部品泥棒(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 改修のため須賀海岸に引き上げてあった漁船が、シャフト等の機械が何者かに窃取されていた。 実は、この手の漁船の部品の盗難は昭和2年ごろから頻繁に行われていたようで、このように引き上げてある漁船はほとんどがその盗難にかかっていたと言う程であった。 ひどいものになると、鋭… 続きを読む
m県外・参考 9月 3日 1929 「一寸法師歌劇団」が来朝(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 身長わずか2尺3寸(約70cm)〜2尺9寸(約100cm)と言うモダーンな歌劇団の男女一行が9月3日に来朝したと言う。 この時代らしく「モボ」「モガ」揃いだと記事には書いてある。 団長は55歳で、その他は20代であったと言う。 どこの国から来たと言う事は書いていない… 続きを読む