e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 26日 1961 釜石・錦館で「別れて生きるときも」「夕日に赤い俺の顔」「明日に向かって突走れ」公開(昭和36年4月26日) 昭和36年4月26日の岩手東海新聞より。 釜石の大渡3丁目で「東北最大の映画館」と言われた錦館では「別れて生きるときも」「夕日に赤い俺の顔」「明日に向かって突走れ」を3本立てで公開する。 「別れて生きるときも」は昭和36年4月4日の東宝映画で、司葉子や高島忠夫が出演。 「夕陽に俺の赤い顔」は昭和36… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 28日 1960 釜石ロータリークラブが第3母子寮にテレビを寄贈(昭和35年12月28日) 昭和36年1月6日の岩手東海新聞より。 釜石ロータリークラブでは、釜石市野田にある第三母子寮に14インチのテレビを贈ったのだと言う。 テレビを玄関脇に備え付け、大人の時間と子供の時間に分けて放映していると言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 13日 1960 山口の自転車「スマートレデー」は13,000円!(昭和35年10月13日) 昭和35年10月13日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自転車店では、自転車の広告を出している。 その名も「スマートレデー」。 13,000円であるという。 … 続きを読む
事件・犯罪・司法 10月 12日 1960 【参考】社会党浅沼稲次郎委員長刺殺事件(昭和35年10月12日) 日比谷公会堂で右翼少年に刺される。 https://youtu.be/J1nntK2HnfU… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 12日 1960 釜石・第一劇場で「トップ屋を殺せ」「不知火検校」を公開(昭和35年10月12日) 昭和35年10月11日の岩手東海新聞より。 釜石・第一劇場で「トップ屋を殺せ」「不知火検校」を公開する。 「トップ屋を殺せ」は、昭和35年9月8日初公開の新東宝映画で、原作は石原慎太郎。出演は天地茂・永井智雄など。 「不知火検校」は、昭和35年9月1日初公開の大映映画で、主演は勝新太郎。  … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 12日 1960 釜石・シネマセンターで「太陽の墓場」「サラリーマン目白三平 亭主のため息ためいきの巻」公開(昭和35年10月12日) 昭和35年10月11日の岩手東海新聞より。 釜石・シネマセンターで「太陽の墓場」「サラリーマン目白三平 亭主のため息ためいきの巻」を公開する。 「太陽の墓場」は、昭和35年8月9日初公開の松竹映画で、炎加世子・津川雅彦・伴淳三郎などが出演。 「サラリーマン目白三平 亭主のため息ためいきの巻」は、昭和… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 11日 1960 釜石・錦館で「やくざ先生」「大空の野郎ども」公開(昭和35年10月12日) 昭和35年10月11日の岩手東海新聞より。 釜石の錦館では、「やくざ先生」「大空の野郎ども」を公開する。 「やくざ先生」は、昭和35年9月21日初公開の日活映画で、主演は石原裕次郎。 「大空の野郎ども」は、昭和35年8月21にち初公開の東宝映画で、佐藤允・夏木陽介・白川由美などが出演。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 23日 1960 大槌で恒例の馬市開催(S35.9.23岩手東海新聞) 大槌町では馬市が恒例であったという。 トラクターが発達する前は、農耕には欠かせない動力であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 23日 1960 釜石高校は県内一の老朽校舎(S35.9.23岩手東海新聞) 釜石高校の校舎は戦時中に建てられ、県内一の老朽校舎であったという。 それで高校を2つにしてはどうかという案も浮上していた。 (結局、その後釜石北高が開港するわけだが)… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 22日 1960 釜石・錦館で「南海の狼火」「男対男」を上映(S35.9.22岩手東海新聞) 釜石・錦館では「南海の狼火」「男対男」を公開する。 「南海の狼火」は昭和35年9月3日公開の日活作品。 出演は小林旭・宍戸錠・浅丘ルリ子・堀恭子など。 「男対男」は昭和35年8月14日初公開の東宝作品。 出演は三船敏郎・池部良・志村喬・加山雄三・白川由美など。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 22日 1960 ポリオ禍は釜石にも(S35.9.22岩手東海新聞) 昭和35年は全国的にポリオで子供たちが苦しんだ年であった。 釜石でもその惨状を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 21日 1960 釜石市長が訪欧に旅立つ(S35.9.21岩手東海新聞) イスラエルのテルアビブで開催されるという国際市長会議に、日本の市長代表で釜石市の鈴木東民市長が行くことになったという。 それで釜石駅で盛大にお見送り。 ディーゼルカーは準急色のキハ55だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 21日 1960 釜石で中国文化産業展(S35.9.21岩手東海新聞) 釜石で、中国文化産業展が開催された。 観客の中には「中国の社会主義の発展には目を見張るものがある」と言わしめる者まであり盛況だったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 12日 1960 釜石・錦館で前進座公演(昭和35年9月12日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石の錦館では前進座30周年を記念した特別公演を行う。 前売り券は、指定席が600円、普通前売り券で400円であると言う。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 8日 1960 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 宮古一の「悪路」と言われていた宮古市役所〜岩手銀行宮古支店の前の道路がコンクリート舗装されることになったというニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1960 バクダン作りのおじさん(昭和35年9月7日) 昭和35年9月7日の岩手東海新聞より。 この時期、「残暑風物」と言うシリーズものの写真記事を掲載していたようである。 今回は、「バクダン」作りのおじさん。 バクダンというのは「ポンせんべい」のことである。 このバクダン作り、子供たちにとっては、一種の「見もの」だったようである。 爆発音とともに白い煙… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1960 釜石・錦館で「流血の谷」東京同時封切(昭和35年9月7日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石の錦館では「流血の谷」を東京と同時に封切りする。 「流血の谷」(原題:Devil’s Doorway )は、昭和25年のアメリカMGM制作の映画で、この時期には非常に珍しく、インディアンの側から描いた西部劇。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1960 釜石・錦館で「流血の谷」公開(S35.9.7岩手東海新聞) 9月7日から釜石・錦館で「流血の谷」を公開するという。 日本での初公開は昭和35年9月4日であるというので、割とすぐに公開されたことになる。 やはりこの当時の釜石の勢いだったのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 6日 1960 釜石・国際劇場で「十代の夏」を公開(昭和35年9月6日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石・国際劇場では、「十代の夏」を上映する。 「十代の夏」(原題:Blue jeans)は、昭和33年のフランス映画。日本での初公開は昭和34年であると言う。 声に引き続き、ナイトショーとして総天然色ヌード映画大会を行うのだと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 6日 1960 東北電力釜石営業所の休電日(昭和35年9月9日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 東北電力釜石営業所によれば、9月の休電日は以下の通り。 9月9日 9時〜16時:五ノ橋以西、中妻、小川、小佐野、嬉石、松原、平田、唐丹 また、9月23日の定期休電日は取りやめの予定であると言う。 そして、この時に限り街方(釜石市中心部)の休電日はないと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 6日 1960 残暑を告げる釜石の花売り(昭和35年9月6日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石も既に残暑となっていた。 この写真記事では「夜が虫屋なら昼は花売り」と言っている。 夏から秋にかけては、ソテツやオモトがよく売れるのだとか。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 6日 1960 釜石・国際劇場でヌード映画大会(昭和35年9月6日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場ではナイトショーでヌード映画大会をやるのだという。 また、同時にフランス映画「十代の夏」(原題:Blue Jeans)も上映するという。 「十代の夏」は昭和33年製作、日本での初公開は翌昭和34年であることは分かっている。 現在ではジャック・ロジ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1960 釜石・第一劇場で「地獄」「俺の涙は甘くない」を公開!(昭和35年9月8日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石の第一劇場では9月8日から「地獄」と「俺の涙は甘くない」を公開する。 「地獄」は昭和35年7月30日公開の新東宝映画で、天池茂が主演。 「俺の涙は甘くない」は昭和35年7月31日公開の大映映画で本郷功次郎や友田輝が出演。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1960 釜石港から南洋へのマグロ延縄船が出港(昭和35年9月5日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 9月3日のサンマ漁解禁で、サンマ船は北洋にむけて出港して行った。 残るはマグロ漁船で、9月5日には南洋にむけて出発して行った。 サンマ船とは違い、出港時はテープが飛び交う「別れの風景」。 それもそのはずで、南洋でのマグロ漁は早くて1航海数週間、長ければ3ヶ月以… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1960 釜石港ではブリが予想外の大漁(昭和35年9月5日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石の琴海では定置網でブリが捕れるようになってきた。 9月5日の朝は、釜石港にブリが3000尾、22トンが水揚げされた。 現金にして300万円にもなるという。 夏漁が不漁だっただけに、期待が持てるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1960 釜石・国際劇場では「悲愁」「ひと夏の情事」を公開!(昭和35年9月5日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場では「悲愁」と「ひと夏の情事」を公開する。 「悲愁」(原題:Beloved Infidel)は昭和34年米20世紀フォックス制作で、日本での初公開は昭和35年4月27日。 「ひと夏の情事」(原題:Une Fille pour L'ete)は昭和3… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1960 釜石青果市場の市況(S35.9.5岩手東海新聞) 釜石青果市場の市況は、以下のようになっていた。 きゅうりは栗林から、大根やキャベツは遠野から届いていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1960 釜石市只越町「らばうる」(昭和35年9月5日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 広告欄に「喫茶とお食事 らばうる」という広告が出ている。 個人的には、子供の頃(昭和50年代後半)「らばうる」と言えば橋上市場にあり、ミニカーなどおもちゃが売っていた記憶がある。 そして食堂の機能も確かにあったような気がする。 それと同じ店かどう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1960 釜石に巡礼者(昭和35年9月5日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 一発写真記事で「一人の巡礼者が釜石を訪れた」と言うので、天神町で撮影したのだという。 天神町と言えば釜石市役所の山側の、現在であれば国道45号線鳥谷坂トンネルの入り口となるが、この当時はまだ開通していない。 パンを買って木陰で休んでいるところを撮ったのだという… 続きを読む