a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 5日 1959 皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日) 昭和34年4月5日の河北新報より。 敗戦してからというもの、「日の丸」の国旗は日陰者のような存在であったそうな。 しかし、皇太子殿下の御成婚では盛岡市内の染物屋に商工会議所などから注文が舞い込み、街の家々に日の丸が翻るのだとか。 盛岡市内の商店主は、「この日の丸ブームは大正天皇の御大典の半分ぐらい、… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 4日 1959 一関では最高気温17.6℃(昭和34年4月4日) 昭和34年4月4月の岩手報知より。 この日は一関の最高気温は十六度七分と今年の最高を示した・・・のだというが、この記事の見出しは「最高気温17度6分」で、一体全体17.6℃なのか16.7℃なのか判然としない。 また、盛岡地方気象台では4月3日15時に「異常乾燥注意報」を発表したようである。 ともかく… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 1日 1959 花泉駅の4月の収入目標は250万円(昭和34年4月1日) 昭和34年4月4日の岩手報知より。 東北本線花泉駅の旅客・貨物の4月の収入目標は250万円であるという。 その1日目にあたる4月1日は、73,000円であったという。旅客数は1,106人であったという。 4月は入学式、観桜会、修学旅行があり目標は楽に突破するであろうとみられていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 1日 1959 大槌町須賀海岸は潮干狩りのシーズン(昭和34年4月1日) 昭和34年4月1日の読売新聞岩手版より。 大槌町の須賀海岸では潮干狩りのシーズンになっていた。 それで潮干狩り列車やバスの増発するほどであったという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 30日 1959 一関職安管内の北海道農夫出稼ぎ希望者は求人の半分以下の応募(昭和34年3月30日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 北海道季節農業労務者は一関公共職業安定所で150人の求人に対し、半分以下の70人しか集まらなかったという。 この70人は、4月2日と4日に北海道に向けて出発するという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 30日 1959 一関映劇は昼は洋画専門館、夜は成人映画館(昭和34年3月30日) 昭和34年3月31日の岩手報知より。 この時期、一関映画劇場では「哀愁物語」「正午に銃殺の鐘が鳴る」の洋画二本立てで上映していた。 しかしそれは昼の話。 夜は、成人映画を二本立てで上映していたようである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 30日 1959 一関保健所では不良ジュースをドシドシ押収(昭和34年3月30日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 春の行楽シーズンを控え、市内の商店にも多数の清涼飲料水が出回って来た。 一関保健所では、製造所・内容物・容器承認番号等を記載していない粗悪な清涼飲料水をドシドシ押収していった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 30日 1959 集団就職の第4陣が一ノ関駅を出発(昭和34年3月30日) 昭和34年3月31日の岩手報知より。 中学校を卒業して集団就職する若者の第4陣が、3月30日19時51分、臨時列車で一ノ関駅を出発した。 人数としては、一関職安管内で230名余り、水沢・千厩職安管内も合わせると600名余りとなったという。 これに先立って、14時から就職者を一関小学校の講堂に集め、菅… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 28日 1959 一関の夜間私立高校・関城工業高校が二次募集(昭和34年3月28日) 昭和34年3月28日の岩手報知より。 一関の私立夜間高校である関城工業高校が二次募集をかけている。 経営母体は一関学院なので、後年の一関商工高校、令和4年現在の一関学院高校となる。 同じ経営母体の一関商業高校と合併して「一関商工高校」となるのは昭和38年のこと。 この時点で、公立の一関工業高校は開校… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 28日 1959 一関市内各映画館の封切映画案内(昭和34年3月28日) 昭和34年3月28日の岩手報知より。 一関市内の各映画館のプレイガイドを掲載している。 この時期は6館あったらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 28日 1959 春の行楽シーズンに不定期急行「いわて」が運行します(昭和34年3月28日) 昭和34年3月28日の岩手報知より。 盛鉄局では、春の行楽シーズンである3月下旬~5月下旬に不定期急行の運転や客車の増結を行うという。 不定期急行「いわて」(上野~青森、常磐線経由)・・・・3/25~5/23まで運転。一ノ関への発着は下り青森行きが7:17着、7:26発。上り上野行きが11:22着、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 25日 1959 盛岡東映で「新吾十番勝負」「東京べらんめえ娘」封切(昭和34年3月25日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「新吾十番勝負」と「東京べらんめえ娘」を封切する。 いずれも初公開は昭和34年3月17日なので、盛岡での封切は1週間のタイムラグ。 「新吾十番勝負」は当時朝日新聞に連載中していた川口松太郎の小説を映画化したもので、主演は大川橋蔵。 「東京べらん… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 25日 1959 山田線のディーゼルカーは秋から運転予定(昭和34年3月25日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 宮古から盛岡に出る山田線をSLが牽引する「カラス列車」からディーゼルカーに切りかえてくれと、宮古市長などは国鉄東北支社長に陳情に行っていた。 そして3月25日、昭和28年~昭和33年の間衆議院議員を務めた地元選出の中井英太郎氏(右社)が語る所では、 「ディ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 25日 1959 一関を蠅や蚊のいない市にしよう(昭和34年3月25日) 昭和34年3月25日の岩手報知より。 一関市では、昭和34年度の一大事業として蠅や蚊のいない市のするため、各民区に衛生班の結成を奨励することになった。 衛生班を結成したら、以下のような活動を想定しているという。 清潔法の実施 衛生思想普及幻灯会・映画会の開催 衛生講演会の開催 生活改善・模範衛生地区… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 24日 1959 県教育会館で中卒就職者の激励会(昭和34年3月24日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 この年に中学校を卒業して社会に出る就職者の為に、3月24日13時から県教育会館で「就職者激励会」が行われた。 就職者700名、県職安課長、山本盛岡市長など来賓が多数列席した。 山本盛岡市長からは「立派な社会人になるよう修行してもらいたい」という激励のあいさ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 24日 1959 釜石で尺貫法の廃止で要らなくなったマスやハカリの葬式(昭和34年3月24日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 前年の昭和33年12月31日をもって、尺貫法が廃止されメートル法が用いられるようになった。 そこで、それまでの尺貫法の枡や秤は要らなくなったので、送り彼岸である3月24日、釜石市内の石応寺でそれら枡や秤の葬式が行われ、これをメートル法のPRの機会と釜石市の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 24日 1959 滝沢村女性怪死体事件(S34.3.24) 滝沢村の空き家で顔と手足が焼けただれた女性の怪死体が発見される。 結局、犯人どころか被害者の身元すら判明しないまま昭和49年3月24日に時効を迎えたというあまりに奇怪な事件。 https://www.youtube.com/watch?v=WAiyreWbqpg … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 19日 1959 岩手県南バス一関営業所にエアサスペンションの新鋭バス(昭和34年3月19日) 昭和34年3月20日の岩手報知より。 岩手県南バスでは、最新型エアサスペンション(空気ばね)付きの新鋭バス11台を購入し、一関営業所に配車となった。 そして19日12時半から小中学校の児童生徒や観光協会関係者を招いて試乗会を行った。 「動揺が少なく、スピードが出れば出るほど乗り心地が満点であった」と… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 12日 1959 一関の飲食店「昔を思い出し2合入タンポでお安く飲まれます」(昭和34年3月12日) 昭和34年3月12日の岩手報知の広告欄より。 一関市内の飲食店で広告を出している。 いわく「昔を思い出し二合入タンポに御通し付で安くのまれます」 酒タンポとは? 二重構造となった金属製のコップで、外側のコップにお湯を入れることで手軽に熱燗が楽しめるというもののようである。 また、女中さ… 続きを読む
l全県 3月 4日 1959 警察が自らグロ書籍!?『岩手の重要犯罪』に批判(昭和34年3月4日) 昭和34年2月25日、岩手県警察本部から『岩手の重要犯罪』という書籍が出版された。 https://twitter.com/bunko_kai/status/1296353280625217543 見ての通りの本である。 表紙を開いて早々、目に入るのはこの写真。 当然のように批判が集まることになった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 25日 1959 盛岡東映で「警視庁物語 顔のない女」「唄しぐれ千両旅」封切!(昭和34年2月25日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版の広告欄より。 盛岡東映では「警視庁物語 顔のない女」と「唄しぐれ千両旅」を封切する。 「警視庁物語 顔のない女」は昭和34年2月18日初公開で、「警視庁物語」シリーズの9作目。 「唄しぐれ千両旅」もまた昭和34年2月18日初公開で、里見浩太朗が主演。 「歌謡股旅… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 24日 1959 初めての公認予備校「竜沢予備校」が開校(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 昭和28年ごろから、「竜沢学習研究会」が盛岡市内の浪人生を相手に授業をしていた。 それを、父兄や生徒の要望を入れ、県公認の「竜沢予備校」として2月24日に開校の運びとなったものである。 この時点で生徒は大学受験組が6名、高校受験組が200名いた。 3月の新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 24日 1959 盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ… 続きを読む
j東磐井郡 2月 23日 1959 東山町の長坂中学校では修学旅行の旅費を稼ぐためにかくし芸大会(昭和34年2月23日) 昭和34年2月23日の河北新報岩手版より。 東山町の長坂中学校では、毎年5月に東京・日光方面に湯修学旅行に行くのが常であった。 しかし、旅費は1人当たり4千円、服やカバンを揃えると6~7千円は必要であり、この負担に耐えられない1割ぐらいの生徒は、修学旅行に参加できなかった。 そんなまず牛居生徒達でも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 7日 1959 盛岡市内の映画案内(昭和34年2月7日) 昭和34年2月7日の河北新報より。 盛岡市内の映画封切案内が出ている。 この当時すでに「SY内丸」という表記が出ている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 7日 1959 3月から花輪線に「やまびこ」より新型のディーゼルカー(昭和34年2月7日) 昭和34年2月7日の河北新報より。 3月から花輪線に「上がトビ色、下が濃いアイ色で、緑のサテンのカーテンの付いた」ディーゼルカーがお目見えするという。 このことで、花輪線は朝夕の通勤帯を除き全部がディーゼルカーになるという。 この記事では、当時盛岡~福島を走っていたキハ55準急「やまび… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 2月 5日 1959 大船渡魚市場に久しぶりにマグロ水揚げ(昭和34年2月5日) 昭和34年2月7日の河北新報より。 大船渡魚市場では、2月5日に久しぶりにマグロの水揚げがあったという。 マグロを釣り上げたのは三陸村のはえ縄漁船で、八丈島近海で漁獲したという。 内訳としてはメバチマグロ1500本、メカジキマグロ60本で計22000キロ、金額にして150万円。 この時期の10キロ当… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 15日 1959 盛岡東映で「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」を公開!(昭和34年1月15日) 昭和34年1月15日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」を公開する。 初公開は昭和34年1月15日なので東京同時公開で、大石内蔵助役は片岡千恵蔵、堀部安兵衛役は大友柳太朗、大石主税は北大路欣也など、当時の東映スターが豪華出演していた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 15日 1959 一関日活では「紅の翼」「悲しみよこんにちは」を公開!(昭和34年1月15日) 昭和34年1月15日の岩手報知より。 一関日活では「紅の翼」と「悲しみよこんにちは」を公開する。 「紅の翼」は昭和33年12月28日公開で、こちらはほぼタイムラグなく初封切となっている。主演は石原裕次郎。 盛岡日活では1月4日からの公開だった。 「悲しみよこんにちは」(原題:Bonjour Tris… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 15日 1959 盛岡日活では「若い川の流れ」「赤いランプの終列車」を公開(昭和34年1月15日) 昭和34年1月15日の河北新報岩手版より。 盛岡日活では「若い川の流れ」「赤いランプの終列車」を公開する。 いずれもなので、盛岡でも同時の初公開となる。 「若い川の流れ」の初公開は昭和34年1月15日で、石原裕次郎や北原三枝が出演。 「赤いランプの終列車」は昭和33年11月28日の日活映画で、春日八… 続きを読む