b二戸・二戸郡 4月 20日 1958 福岡町上斗米に警察署長も注目の防犯組織 昭和33年4月20日の読売新聞岩手版では、二戸郡福岡町上斗米に伝わる防犯組織について紹介している。 それは「上斗米青年淬砺会」というのだそうで、なんと藩政時代から伝わるのだという。 男子は中学卒業とともに入会 40歳で定年 その定年前でも、戸主となれば上部組織の「報徳会」入りし、「捕縄」を持つことが… 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 ラジオ岩手の番組表(昭和33年4月19日) 昭和33年4月19日のラジオ岩手の番組表は以下の通りであった。 ちなみに昭和47年に単位がKCからkHzになり、昭和53年に10kHz刻みから9kHz刻みに変わる前のことである。 JODF(盛岡)580KC JODL(前沢)、JODM(釜石)1060KC 7:20 希望のアルバム 7:30 朝の童謡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日) 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 この頃、盛岡の大通で火事があったらしい。 それで焼け残り品を大セールということになったらしい。 ところでこの上田商店というのは、あの 〽ファッションシャトー ウエダ ファッションシャトー ウ・エ・ダ ・・・のあれ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 岩手でも日食を観測できた 昭和33年4月19日の日食は、Wikipedia仁も独立して項目がある。 日本の南の報では、金環食を観測することができたようである。 これが岩手ではどうだったか・・・ 盛岡でも日食を観測できるとあり、盛岡一高の天文部も、盛岡地方気象台の屋上に陣取って午前中から大張り切りであった。 そして13時11分… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 19日 1958 弘前大学に野辺地分校? 昭和33年4月19日の読売新聞岩手版には、大学合格者情報が載っている。 久慈高校から弘前大学教育学部野辺地分校に二次募集で1名合格したことが報じられている。 弘大って野辺地分校なんてあったんだ・・・ Wikipediaを探してみるとすぐに行き当たった。 (Wikipedia「青森青年師範学校」より)… 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 亀を売りましょう! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 仙台市内の卸売業者であるが「亀を売りましょう!子供さんが喜びますよ!」と。 令和の今だと、このような売り方をしていると「命を『面白く売れる』とは何ごとですか!」などと、動物愛護的な所からクレームが来かねない調子のような気がする。 でもこの時代は昭和33年… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」公開! 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 「明19日大公開!」として、松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」の公開の宣伝をしている。 「若い広場」は高千穂ひづるが主演で、この広告によれば「10代のみずみずしい肢体を未知の人生に激しく燃やす四人の高校三年生!」ということで、何というか「健康的なお色… 続きを読む
l全県 4月 18日 1958 中央の押し付けではなく、岩手県の実情に合った道徳教育をしよう(昭和33年4月18日) 昭和33年4月19日の岩手日報と、昭和33年4月20日の読売新聞岩手版より。 岩手県教育委員会は4月18日、指導主事室・県教育研究所・現場教員の三者で、「道徳教育研究機関」を設けることにした。 このことにより、県の実態に即した道徳教育を目指すというもの。 文部省の通達では「毎週1時間道徳教育の時間を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 信用金庫の職員が一家3人殺して逃亡(昭和33年4月18日) 昭和33年4月18日に日が変わった丑三つ時。 盛岡市の寺町である新馬町の長屋から、住人の主婦の悲鳴が上がった。 「誰か来てーーーッ!」 何事かと思って眠りを破られた長屋の住人が集まってくる。 「どうしました?」 「何でもないんです」 ああ、そういえばここには19歳の養子がいたんだった。 喧嘩でもした… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む
m県外・参考 2月 23日 1958 八戸・丸美屋の決算期棚ざらえセール!(昭和33年2月23日) 昭和33年2月23日のデーリー東北より。 八戸の丸美屋では決算期棚ざらえセールを行うという。 純粋に青森のニュースではあるが、久慈や軽米あたりからは買い物に行ったかも知れないので。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 13日 1958 新年の晴れ姿 昭和33年2月13日の朝日新聞岩手版より。 「岩手サロン新年晴姿」という読者投稿写真のコーナーがあったようで、「おそろいで」という題で投稿されている。 撮影者は盛岡市の人のようなので、盛岡市内なのだろう。 多くの女性が和服姿となっている。 ちなみに現在なら肖像権がどうとかで「写真作品」として投稿でき… 続きを読む
c久慈・九戸郡 2月 12日 1958 山形村戸呂町に初めてラジオ(S33.2.12デーリー東北) 九戸郡山形村戸呂町に初めてラジオがつけられ、村人が大喜びというニュース。 その隣には、新東海道線が別線で計画というニュース。 のちの東海道新幹線である。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 2月 7日 1958 種市中・平内中・角浜中が統合案(S33.2.7デーリー東北) 種市町内の種市中学校・平内中学校・角浜中学校の統合計画が持ち上がっていた。 県境に一番近い角浜中学校では、県境を越えて階上町の道仏中学校通っている生徒もおり、賛成することにしたのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 30日 1958 岩手県立美術工芸高校・・・? 昭和33年1月30日の読売新聞より。 岩手県内の全日制公立高校の出願状況がまとまったことを報じている。 大まかにみると、市部の名門校が1.5倍前後の高倍率となっている。 そして、郡部の高校は定員割れを起こしている。 ところで、この中で「美術工芸高校」というのが気になる。 30人の定員に16人の出願。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 20日 1958 種市モグリが海外から次々求人(昭和33年1月20日) 昭和33年1月20日のデーリー東北より。 この当時、日本のサルベージ界のシェアを独占していたという種市町の「種市モグリ」が海外の求人が相次いでいるというニュース。 貴重な外貨の獲得源となっていたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 19日 1958 種市保育園の新築が急ピッチ(昭和33年1月19日) 昭和33年1月19日のデーリー東北より。 種市町の種市保育園の新築は旧ピッチで進んでおり、4月の開園を見込んでいた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 18日 1958 軽米で生活改善モデル結婚式(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 軽米町で、生活改善モデル結婚式が開催されたという。 費用としては2万円であったという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 18日 1958 久慈に葉タバコ収納庫(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 久慈地方では、昭和30年から葉タバコの生産を始めたというが、このほど収納庫が完成したのだという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 18日 1958 久慈川の用水改良が6年越しに完成へ(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 久慈川の用水改良工事は、岩手県の土地改良事業の中でも最大のプロジェクトと位置付けられていたが、その難工事が大詰めに達したという。 この工事の完成により、年間2,700石の増産が見込めるという。 ところで、この2,700石とは、現在の基準で言えばどのくらい?と… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 17日 1958 種市港に第1ケーソン竣工(昭和33年1月17日) 昭和33年1月17日のデーリー東北より。 種市港は修築工事を進めていたが、このほど第1号ケーソンが竣工したという。 … 続きを読む