c久慈・九戸郡 7 2月 1958 種市中・平内中・角浜中が統合案(S33.2.7デーリー東北) 種市町内の種市中学校・平内中学校・角浜中学校の統合計画が持ち上がっていた。 県境に一番近い角浜中学校では、県境を越えて階上町の道仏中学校通っている生徒もおり、賛成することにしたのだという。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 20 1月 1958 種市モグリが海外から次々求人(昭和33年1月20日) 昭和33年1月20日のデーリー東北より。 この当時、日本のサルベージ界のシェアを独占していたという種市町の「種市モグリ」が海外の求人が相次いでいるというニュース。 貴重な外貨の獲得源となっていたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 19 1月 1958 種市保育園の新築が急ピッチ(昭和33年1月19日) 昭和33年1月19日のデーリー東北より。 種市町の種市保育園の新築は旧ピッチで進んでおり、4月の開園を見込んでいた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 18 1月 1958 軽米で生活改善モデル結婚式(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 軽米町で、生活改善モデル結婚式が開催されたという。 費用としては2万円であったという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 18 1月 1958 久慈に葉タバコ収納庫(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 久慈地方では、昭和30年から葉タバコの生産を始めたというが、このほど収納庫が完成したのだという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 18 1月 1958 久慈川の用水改良が6年越しに完成へ(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 久慈川の用水改良工事は、岩手県の土地改良事業の中でも最大のプロジェクトと位置付けられていたが、その難工事が大詰めに達したという。 この工事の完成により、年間2,700石の増産が見込めるという。 ところで、この2,700石とは、現在の基準で言えばどのくらい?と… 続きを読む
c久慈・九戸郡 17 1月 1958 種市港に第1ケーソン竣工(昭和33年1月17日) 昭和33年1月17日のデーリー東北より。 種市港は修築工事を進めていたが、このほど第1号ケーソンが竣工したという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 13 1月 1958 九戸郡大野村に酪農学校開校へ(昭和33年1月13日) 昭和33年1月13日のデーリー東北より。 九戸郡大野村に、酪農学校を開校するという。 作物の育つ見込みの低い山間部では、酪農は大いに期待されていた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 5 11月 1957 豚の産地・野田村で「豚霊塔」を建立し豚供養(S32.11.5デーリー東北) 豚肉の産地・野田村では「豚霊塔」を建立して、豚の霊を慰めるという。 ちなみに、現在では野田村の豚は「南部福来豚」として売り出されている。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 11月 1957 久慈高校にチェーンソー導入(S32.11.1デーリー東北) 久慈高校は大正9年に久慈農林学校として開校し、当時は普通科も農林科も併設していた。 その久慈高校に、チェーンソーを導入したというニュース。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 30 10月 1957 久慈馬検場で2歳馬品評会(S32.10.30デーリー東北) 久慈馬検場で九戸地区2歳馬品評会が開催された。 一等に輝いたのは雌馬。 一町歩程度の農耕には動力(トラクター)より畜力の方が経済的であると。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 30 10月 1957 久慈電報電話局に「東北一のお掃除おばさん」(S32.10.30デーリー東北) 久慈電報電話局には、東北通信局からも表彰される「掃除のおばさん」がいたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 28 10月 1957 久慈の川崎製鉄が西独クルップ社と提携へ(S32.10.28デーリー東北) 久慈の川崎製鉄が、西ドイツのクルップ社と提携するのだそうで、近く工場長が西ドイツに渡航するという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 27 10月 1957 宮古二中の生徒が文通で八戸を紹介(昭和32年10月27日) 昭和32年10月27日のデーリー東北より。 宮古二中の生徒が、全国と文通をしていたが、その中で、八戸市教育委員会にも手紙を送ってきたようで、八戸を水産都市として紹介してどうたらこうたらと言う記事。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 10月 1957 静岡へのミカンもぎ出稼ぎ第1陣が久慈駅を出発(昭和32年10月24日) 昭和32年10月26日のデーリー東北より。 静岡県の三島や清水のミカンもぎの出稼ぎに、久慈駅から第1陣が出発した。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 10月 1957 久慈高校水産部製造科3年生は引っ張りだこ(昭和32年10月24日) 昭和30年10月24日のデーリー東北より。 久慈高校水産部製造科の3年生は、都内の各会社に引っ張りだこで、全員就職の見込みであったと言う。 … 続きを読む
l全県 1 8月 1957 【赤線地帯を往く】(8)むすび(昭和32年4月1日) 昭和32年4月1日の岩手日報より。 売春防止法が公布され、施行まで1年を控え、岩手県内の赤線地帯も動揺が走っていた。 それで、県内に600にいたという売春婦の相談体制を拡充に努めていた。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 29 5月 1957 水沢緯度観測所で国際予備観測(S32.5.29岩手日報) 水沢緯度観測所では国際予備観測をするという。 そういえば昭和32年はIGY(国際地球観測年)ということで南極観測が始まったはず。 これと関係あるんだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 5月 1957 一関で肺病青年が療養所を放火(S32.5.29岩手日報) 一関の結核療養所で肺病の青年が放火したと。 ちなみにこの青年の出身地・一関市祭畤(まつるべ)は岩手県内で最も雨の降る地点。 … 続きを読む