h水沢・江刺・胆沢郡 12 1月 1962 税理士の業務報酬が変わります!(S37.1.12胆江日日新聞) 昭和37年1月12日の胆江日日新聞に、当時の水沢の税理士事情を知ることができる貴重な広告が掲載されていました。日本税理士連合会の規定に基づき報酬を改定するという内容の公告ですが、そこに記された具体的な金額からは、高度経済成長期へと向かう時代の息吹が感じられます。 当時の報酬額を見てみると、法人の調査… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11 1月 1962 水沢青果市場の卸値(S37.1.11胆江日日新聞) 昭和37年1月11日の胆江日日新聞に掲載された水沢青果市場の市況は、高度経済成長期の入り口に立つ当時の食卓の風景を鮮明に映し出しています。この資料で最も興味深いのは、にんじんやごぼうの取引単位として「貫」という言葉が堂々と使われている点です。公的な取引において尺貫法の使用が法律で禁止されたのは、この… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4 1月 1962 水沢・みその東映で「アラブの嵐」公開!(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の胆江日日新聞に掲載された「みその東映」の広告には、当時の映画界の熱気と国際的なスケール感が凝縮されています。掲載されているのは日活が製作した総天然色の大作「アラブの嵐」で、お正月興行の目玉として水沢の街を彩っていました。 この作品は当時の日本映画としては極めて珍しいエジプト・ロケ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1961 大槌町金沢で乳牛の品評会(S36.10.2岩手東海新聞) 昭和36年10月2日付の岩手東海新聞は、大槌町金沢地区で開かれた家畜共進会(牛の品評会)の様子を伝えている。 Screenshot 会場となったのは、地区の小学校校庭。金沢地区では実に4年ぶりの開催だったという。現在は大槌町の一部となっているが、この金沢地区は昭和30年まで上閉伊郡金沢村として独立し… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1961 釜石の衣料品店「平尾昌晃ショーにご招待!」(S36.10.2岩手東海新聞) 昭和36年10月2日付『岩手東海新聞』の広告欄に、釜石の街が「映画館」と「デパート」と「流行歌」を同じ線で結んでいた時代の空気が、そのまま残っている。 Screenshot 釜石の衣料品デパート「ミカド」が告知しているのは、11月17日に錦館で開催される「平尾昌章とオールスターズ・ワゴン」ショーの招… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 1月 1961 卓球王国・釜石高校(S36.1.11岩手東海新聞) 昭和36年1月11日付の岩手東海新聞に、当時の釜石高校卓球部の躍進を伝える興味深い記事が掲載されていました。昭和38年に釜石北高校が分離する前の、まさに卓球王国としてその名を馳せていた時代の記録です。 記事の大きな見出しには卓球、釜高の伝統、猛練習で優秀選手輩出と掲げられており、当時の釜石スポーツ界… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 9月 1960 釜石のキリスト教会でゴタゴタ(S35.9.27岩手東海新聞) 昭和35年9月27日付の『岩手東海新聞』によれば、釜石市大渡町にある日本基督教会・大渡教会で、教会運営をめぐる大きな混乱が生じているという。 この教会では、かつてはバプテスト派の牧師により、教会員による民主的な運営が行われていた。信者一人ひとりの信仰や意見が尊重される共同体として地域に根づいてきたの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1960 盛岡日活で「学生野郎と娘たち」「影のない妖婦」公開!(S35.3.1岩手日報) 昭和35年3月1日付の岩手日報に掲載された映画広告を眺めていると、映画が娯楽の王様として君臨していた時代の熱気が鮮やかに蘇ってきます。当時、盛岡日活をはじめとする岩手県内各地の映画館で公開されたのは、日活黄金時代を象徴する豪華な作品群でした。 メインを飾る作品は、名匠・中平康監督が手掛けた青春コメデ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1960 盛岡日活で「男が命を賭ける時」「青春を吹き鳴らせ」公開(S35.1.14岩手日報) 昭和35年(1960年)1月14日の岩手日報の紙面を眺めていると、当時の活気がそのまま伝わってくるようです。 まず目を引くのは、日活映画の二大作を告げる大きな広告です。メインの「男が命を賭ける時」は、当時の若者のカリスマだった石原裕次郎と、清楚な魅力で人気を博した芦川いづみの黄金コンビ。秋田の大油田… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1959 釜石・及新デパート「アーチイストを迎えてホリウッドスターのメイクを!」(S36.1.14岩手東海新聞) 昭和36年1月14日の岩手東海新聞に掲載された、釜石の及新デパートによるマックスファクターの広告から、当時の華やかな空気感を振り返ってみたいと思います。 この広告は、成人式のお祝いとして企画された美への招待という催しを知らせるものです。特筆すべきは、当時の釜石を代表する百貨店であった及新が、ハリウッ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 1月 1958 痔(ガッチャキ)はなおる!(S33.1.12デーリー東北) 昭和33年1月12日のデーリー東北を開くと、現代の洗練された広告とは一線を画す、凄まじい熱量を持った紙面に目が釘付けになります。何より圧倒されるのは、紙面の半分近くを占拠せんばかりの巨大な「ぢ」という一文字です。そのすぐ横には「はなおる!」という力強い言葉が添えられており、悩みを抱える読者へ真っ向か… 続きを読む
c久慈・九戸郡 17 11月 1957 久慈に砂鉄鉄瓶工場(S32.11.17デーリー東北) 昭和32年11月17日付のデーリー東北の紙面には、当時の久慈地方における地場産業の活気と、人々の期待が熱烈に記されています。 Screenshot 砂鉄鉄瓶を主力とする久慈市新町の山王堂、すなわち久慈新町株式会社が新工場を完成させたというニュースは、まさに当時の地方経済の明るい希望でした。久慈地方特… 続きを読む
c久慈・九戸郡 15 11月 1957 久慈に新たな市営病院を(S32.11.15デーリー東北) 昭和32年11月15日のデーリー東北は、久慈市が市直営病院の建設に本格的に乗り出したことを伝えている。10月の市議会で建設が正式に決まり、その後に行われた入札会では市内の建設会社が落札した。新しい病院は、市が所有している久慈県税事務所跡地に建てられることになった。 Screenshot 完成すれば、… 続きを読む
m県外・参考 15 11月 1957 売春防止法施行を前に苦境に立つ八戸・小中野新地(S32.11.15デーリー東北) 昭和32年11月15日のデーリー東北紙面からは、翌年4月の売春防止法全面施行を前にした八戸・小中野新地の壮絶な混迷が浮かび上がってきます。この記事は青森県側だけの記録に留まらず、地理的・経済的に密接なつながりを持っていた岩手県北の二戸、福岡、一戸、あるいは久慈といった地域の男性たちにとっても、かつて… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 11月 1957 久慈のアワビ入札は低調(S32.11.12デーリー東北) 久慈沿岸に冬の訪れを告げるアワビ解禁。これに合わせて九戸郡漁連が開いた久慈地区のアワビ入札会には、小袖・野田・玉川をはじめ10の漁協が参加し、会場は初荷らしい熱気に包まれた。 Screenshot しかし今年の相場は、関係者の予想とは裏腹に伸び悩んだ。 生鮑の入札価格は―― 最高 855円/貫、最低… 続きを読む
c久慈・九戸郡 26 10月 1957 静岡へのミカンもぎ出稼ぎ第1陣が久慈駅を出発(S32.10.26デーリー東北) 昭和32年10月26日付のデーリー東北の紙面には、当時の地方の暮らしぶりが色濃く反映された三つの対照的な出来事が記されています。 まず紙面中央で大きく報じられているのは、久慈職安を通じて募集された「ミカンもぎ」の出稼ぎ部隊の出発です。第一陣となる40名は、10月24日の午前11時59分、久慈駅発の列… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 4月 1956 盛岡日活で「黒帯有情 花と嵐」「力道山の世界征服」を公開(S 31.4.29岩手日報) 昭和31年4月29日の岩手日報に掲載されたこの広告は、当時の盛岡日活が放つゴールデンウィークの豪華なラインナップを今に伝える貴重な資料です。紙面の構成をよく見ると、連休前半から後半にかけての興行計画が緻密に練られていたことがわかります。 まず、この広告が出た当日である4月29日から公開が始まったのが… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 4月 1956 岩手県内の日活系映画館で「東京の人」「浴槽の死美人」公開!(S 31.4.25岩手日報) 昭和31年4月25日付の岩手日報に掲載された日活映画の広告は、当時の映画界の勢いをそのまま映し出しています。 まず、メイン作品である「東京の人」は、ノーベル賞作家・川端康成の連載小説を西河克己監督が映画化した純愛メロドラマです。物語は、月丘夢路演じる美貌の未亡人と、彼女を慕う大学生、そして奔放な娘た… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 3月 1956 久慈職安管内の大工賃金は450円→480円に(S31.3.1デーリー東北) 久慈職業安定所管内の大工賃金は1日450円であったところ、480円にベースアップすると。 Screenshot… 続きを読む
c久慈・九戸郡 15 2月 1956 久慈の「魔の踏切」(S31.2.15デーリー東北) 久慈市内には飛び込みの多発する「魔の踏切」があったようだ。 そしてそこではまた飛び込みが発生。 それは久慈市内の主婦で、不倫を清算するつもりだったのではなかったと。 また、この3月から八戸線でダイヤ改正と。 Screenshot… 続きを読む
m県外・参考 14 1月 1956 「ハハのんきだね」石田一松のガン闘病に同僚芸人が助け合い運動(S31.1.14岩手日報) 昭和31年1月14日の岩手日報に掲載された古い記事は、華やかな舞台の裏側にあった芸人たちの厳しい現実と、それを乗り越えようとした熱い人情を伝えています。この記事の中心となっているのは、のんき節で一世を風靡し、戦後は国会議員も務めた石田一松の悲劇的な最期です。彼は胃がんを患い、約1年半にわたる闘病生活… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 昭和31年の元旦番組(S31.1.1河北新報岩手版) 昭和31年元日。岩手県内ではまだテレビ放送は始まっておらず、正月の一日はラジオとともにあった。現在のIBC岩手放送は当時「ラジオ岩手」と呼ばれ、新聞に載った番組表は、そのままその年の芸能界の現在地を映す一覧でもあった。放送時間の順に追っていくと、そこには意図のある流れがはっきりと見えてくる。 Scr… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 阿部知事・山本盛岡市長の年頭挨拶(S31.1.1河北新報岩手版) 昭和31年(1956年)1月1日付の河北新報岩手版には、新年を迎えるにあたっての岩手県知事および盛岡市長の信念挨拶が掲載されている。そこに並ぶ言葉は、華々しい成長宣言というよりも、戦後復興期を経た地方が直面していた現実と課題を率直に映し出すものだった。 阿部千一知事 ― 生活重視と財政再建を軸に 岩… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 12月 1955 盛岡日活のこけら落としに「怒涛の男」「人生とんぼ返り」(S30.12.28岩手日報) 昭和30年12月28日の岩手日報に掲載された盛岡日活の開館告知は、当時の映画黄金時代の熱気と興奮を今に伝える貴重な資料です。翌29日の正午に産声を上げたこの映画館が、こけら落としの演目に選んだのは、力道山主演の怒濤の男と森繁久彌主演の人生とんぼ返りという、当時の娯楽の頂点を極めた豪華な2本立てでした… 続きを読む
c久慈・九戸郡 13 6月 1955 八戸の副港を種市・八木港に(S30.6.13デーリー東北) 昭和30年6月13日のデーリー東北が伝える八木港の整備完了というニュースは、単なる一漁港の近代化報告に留まらない、北奥羽地域が一体となって歩んできた歴史の証左と言えます。 Screenshot 当時の八戸港は、全国から押し寄せるサバ漁の「回来漁船」で溢れかえっており、その膨大な船団をすべて受け入れる… 続きを読む
c久慈・九戸郡 11 6月 1955 九戸地区の巡回映画(S30.6.11デーリー東北) 昭和三十年六月十一日のデーリー東北には、岩手県ゆかりの話題として「巡回映画」の予定が掲載されていた。今回の巡回は久慈を中心に行われるもので、六月十七日までは久慈市、十八日から二十日までは種市町、二十一日は大野村、二十二日から二十八日までは軽米町、二十九日は山形村と続く。上映される作品は、稲作をテーマ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10 6月 1955 トマト・ナス・瓜はライ麦畑の間に(S30.6.10デーリー東北) 昭和30年6月10日のデーリー東北に、いかにも北東北らしい興味深い記事が載っていました。 舞台は軽米町にあった岩手県農業試験場九戸分場です。 Screenshot 当時の同分場では、トマト・ナス・ウリ類の苗をライ麦畑の中で育てるという栽培試験を行い、その成績が良好だったと発表しました。ポイントは、背… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1954 岩手県町村会館の竣工(S29.9.17岩手日報) 昭和29年9月17日付の岩手日報には、「岩手県町村会館 祝・新築落成」と大きく銘打たれた広告が掲載されている。紙面中央には、新しく完成した町村会館の堂々とした建物のイラストが描かれ、右側には祝賀式典の案内、左側には岩手県市長会の名簿が並ぶ、いかにも「節目」を意識した紙面構成だ。 Screenshot… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1954 東大通のバラック街をどうする?(S29.9.17岩手日報) 昭和29年9月17日付の岩手日報は、盛岡の中心部、岩手公園の「お膝元」で起きていた都市整備をめぐる対立を大きく伝えている。 現在の東大通り一帯、桜山神社の周辺は、戦後しばらくの間、引揚者たちによるバラック街が広がっていた場所だった。終戦直後の混乱期に生まれたこの市街地は、生活の場として定着する一方で… 続きを読む
hスポーツ 3 7月 1954 第6回県民体育大会(S29.7.3岩手日報) 昭和29年7月3日付の岩手日報は、初夏の緑に包まれた盛岡市を舞台に、県民のスポーツ祭典である第6回県民体育大会が華々しく幕を開けた様子を伝えています。 Screenshot 大会の中心となったのは盛岡市上田にあった県営グランドで、開会式には県内各地から22の郡・市別に代表が送られ、約5000人の若き… 続きを読む