備考※3a-2AI

岩手文化投票の中間集計(S4.9.1岩手日報) l全県

岩手文化投票の中間集計(S4.9.1岩手日報)

昭和4年の岩手日報には、「岩手文化投票」なるユニークな企画が展開されていたようです。 昭和4年9月1日付の紙面では、その中間集計が大きく掲載されており、県内各地の文化人・団体・機関などに対する投票の様子がうかがえます。 とはいえ、この投票の趣旨や制度の詳細――たとえば、 誰が投票できるのか 投票の方…
宮城山、照錦が石鳥谷で凱旋興行(S4.9.1岩手日報) f花巻・稗貫郡

宮城山、照錦が石鳥谷で凱旋興行(S4.9.1岩手日報)

昭和4年(1929年)晩夏、現在の花巻市石鳥谷町に、かつてない熱気が渦巻いていた。地元出身の力士たちによる大相撲の凱旋興行が行われたのである。 この日、石鳥谷に姿を現したのは、当時すでに横綱として君臨していた宮城山福松。その名に「宮城」の字を冠する通り、岩手県和賀郡出身の力士であり、郷土の英雄として…
宮古随一の豪邸「対鏡閣」が身売り(S4.9.1岩手日報) d宮古・下閉伊郡

宮古随一の豪邸「対鏡閣」が身売り(S4.9.1岩手日報)

昭和4年(1929年)9月1日の岩手日報に、宮古町の名邸「対鏡閣(たいきょうかく)」が身売りされるという報が掲載されました。 この「対鏡閣」は、山田線の建設や宮古港の整備などに尽力した下閉伊郡屈指の富豪・菊池長右衛門氏の別邸として知られています。特に注目すべきは、この邸宅が「平民宰相」こと原敬首相を…
御大典に際し御真影(S3.9.8岩手日報) m県外・参考

御大典に際し御真影(S3.9.8岩手日報)

昭和3年9月8日付の岩手日報夕刊には、天皇陛下と皇后陛下の御真影が掲載された。陸軍の正装を纏い、勲章や佩剣をおつけになった天皇陛下、ティアラと勲章飾帯をお召しになった皇后陛下、それぞれの公式肖像である。 この御真影の発表は、昭和3年11月に京都で予定されていた即位の礼と大嘗祭、いわゆる御大典を控えた…
日詰町の秋祭り(S3.9.7岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

日詰町の秋祭り(S3.9.7岩手日報)

昭和3年(1928年)9月、紫波郡日詰町(現在の紫波町)で行われた秋祭りの様子が、当時の岩手日報に掲載されている。紙面には、白装束の男たちが御神輿を担ぎ、山車が賑やかに町を巡る様子が写されており、地域の熱気がそのまま伝わってくる。 この秋祭りは、五穀豊穣や地域の安寧を祈願する重要な年中行事として、町…
夕顔瀬橋でヤナ遊び(S3.9.6岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

夕顔瀬橋でヤナ遊び(S3.9.6岩手日報)

昭和3年9月6日の岩手日報には、盛岡市内を流れる北上川の夕顔瀬橋下流で、子どもたちが川遊びに興じる姿が写真付きで紹介されています。 記事の見出しは「梁あそび」。写っているのは、褌(ふんどし)姿の子どもたちが浅瀬にしゃがみ込み、梁(やな)に集まった魚を捕まえようとしているところです。梁とは、竹や木材な…
盛岡馬検場で「おせり」始まる(S3.9.6岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡馬検場で「おせり」始まる(S3.9.6岩手日報)

昭和3年9月6日の岩手日報に掲載された「盛岡おせり始まる」の記事は、当時の馬市場、すなわち馬検場(ばけんじょう)において行われていた「おせり」(競り市)の様子を伝えるものである。 写真には、馬を引いた人々や、それを取り囲む大勢の見物人、買い手と思しき人々が写っており、活況を呈した様子が伝わってくる。…
壮烈なる歩騎合同演習(昭和3年9月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

壮烈なる歩騎合同演習(昭和3年9月6日)

昭和3年9月6日の岩手日報に掲載された「歩騎聯合演習」に関する記事は、盛岡近郊・観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ付近)にて行われた陸軍の合同演習の様子を伝えています。この記事では、歩兵と騎兵が入り乱れての演習の様子が「壮観」と形容され、観閲式を含む大規模な訓練が終盤を迎えたことが報じられています。 当時…
すべての自動車に赤と青の信号を(S3.9.5岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

すべての自動車に赤と青の信号を(S3.9.5岩手日報)

昭和3年9月5日の『岩手日報』より。 この頃、岩手県内では自動車の数が急速に増加していた。しかし、当時の自動車には方向指示器がなく、交差点などで右左折する際には、運転手や助手が手を使って合図を送る、いわば「手信号」によって意思表示をしていた。昼間であればそれでも問題は少なかったが、夜間になると当然な…
岩手日報の一面が全部広告(S3.9.5岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手日報の一面が全部広告(S3.9.5岩手日報)

昭和3年9月5日の岩手日報紙面には、一面全体が広告で埋め尽くされるという、現代の感覚からすれば異例ともいえる紙面構成が見られる。このような構成は、全国紙ではまず見られないが、地方紙では当時まま見られたものであった。とくに季節の変わり目や地元有力商店の節目の時期には、こうした「一面全面広告」という編成…
観武ヶ原の騎兵連隊から脱走兵(S3.9.5岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

観武ヶ原の騎兵連隊から脱走兵(S3.9.5岩手日報)

昭和3年9月5日付『岩手日報』は、盛岡市観武ヶ原に駐屯する陸軍騎兵第二十三連隊附属の機関銃隊から、兵卒1名が脱走した事件を報じています。 脱走したのは、秋田県山本郡鹿渡村出身の兵卒で、記事では「狂へる兵卒」と表現されており、精神的に異常な言動があったとみられています。この兵は、当初は遊撃軍属として勤…
陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日)

昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の書店「文明堂書店」では、同年10月に予定されている「岩手縣下特別大演習」のための地図が特約販売されると広告が出ている。 これは陸地測量部が編纂した演習地図で、陸軍の特別大演習にあわせて発行されるものであった。広告によれば、販売されるのは以下の2種: 五…
盛岡市呉服町の洋服店「秋冬洋服均一注文!」(昭和3年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市呉服町の洋服店「秋冬洋服均一注文!」(昭和3年9月4日)

昭和3年(1928年)9月4日の岩手日報には、盛岡市呉服町にあった洋品店「オゾザワ呉服町支店」の広告が掲載されている。「秋冬洋服均一注文(特価的薄利計画)」と題され、燕尾服(エンビ服)、モーニングコート、フロックコートといった礼装がずらりと並ぶ。 たとえば価格は、燕尾服が75円より95円、フロックコ…
陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日)

昭和初期、日本陸軍では毎年一度「陸軍特別大演習」と呼ばれる大規模な演習が行われていた。これは、複数の師団からなる数万人規模の部隊を動員し、仮想の敵軍同士に分かれて戦う本格的な戦闘演習であった。通常の訓練とは異なり、より実戦に近い規模と緊張感を持って行われるのが特徴で、演習には飛行部隊や高射砲部隊、電…
岩手無尽の広告(S3.9.4岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手無尽の広告(S3.9.4岩手日報)

昭和3年9月4日の岩手日報より、当時の「岩手無尽株式会社」(現在の北日本銀行の前身)による広告が掲載されています。 描かれているのは、自然豊かな山々に囲まれた中に佇む立派な木造建築の本店社屋。大きな三角屋根と、正面に丸窓を備えた印象的な建物で、手前には人々の姿も見えます。堂々たるその姿からは、地方の…
盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(S3.9.4岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(S3.9.4岩手日報)

昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡の映画館「紀念館」では、日活映画『続水戸黄門』が上映されていた。 本作『続水戸黄門』は、1938年(昭和3年)4月15日に初公開された時代劇映画で、監督は仁科熊彦。主演の水戸光圀公には山本嘉一が扮している。前作『水戸黄門』の好評を受けて制作された続編で、勧善懲悪…
札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報)

札幌の地にある岩手県出身者の学生寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」が、岩手県内の太田村で映画会を開催したという記事が昭和3年(1928年)9月4日の『岩手日報』に掲載されている。 現在でこそ、太田村周辺――盛岡市盛南地区は都市的に開発され、大型商業施設や住宅地が広がる地域となっているが、昭和初期において…
歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(S3.9.3岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(S3.9.3岩手日報)

昭和3年9月3日の岩手日報より。 翌9月4日から二日間にわたって施行される歩騎連合演習に備え、歩兵第31連隊の油川大隊と機関銃隊あわせて総勢543名が、臨時列車で盛岡に到着した。到着時刻は午後1時半である。 本部は新田町の片倉製糸場に置かれ、兵員たちは新田町・片原・厨川村の一部の民家に分宿する形がと…
大船渡線千厩〜折壁開業祝賀式典(S3.9.2岩手日報) j東磐井郡

大船渡線千厩〜折壁開業祝賀式典(S3.9.2岩手日報)

昭和3年9月2日、大船渡線の千厩〜折壁間が晴れて開業し、折壁駅では盛大な祝賀式典が執り行われた。待望の鉄道延伸に沿線各地から多数の人々が集まり、地元の希望と熱気に包まれた一日となった。 しかし、この鉄道開通の背景には、単なる土木工事だけでは語れぬ政治的駆け引きがあった。 大正期当初、大船渡線の計画で…
ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報)

昭和3年(1928年)9月2日付『岩手日報』は、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)の菊池賢次郎教授が、3年にわたるドイツ留学から帰国したことを伝えています。菊池教授は、家畜病理学の研究を目的に渡欧し、現地での実地研究と視察を重ねて帰国。帰途にはフランス、さらには南北アメリカにも立ち寄り、国際的な…
黄金競馬場で秋競馬(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

黄金競馬場で秋競馬(S3.9.2岩手日報)

昭和3年9月、盛岡市の黄金競馬場では秋の競馬が開催され、曇天ながら雨に降られることのない穏やかな天候のもと、一日が静かに過ぎていった。 現在の岩手大学工学部周辺にあたるこの場所には、かつて「黄金競馬場」という馬場が存在し、昭和初期には競馬が年に数度行われていたという。新聞報道によれば、この日の秋競馬…
岩鷲寮寮生の桜山神社参拝(S3.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩鷲寮寮生の桜山神社参拝(S3.9.2岩手日報)

昭和3年9月2日の岩手日報によると、北海道で学ぶ岩手県出身の学生たちが暮らす寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」の寮生が、盛岡市内の桜山神社を参拝した。 これは、夏季休暇を利用して帰郷中の寮生が行ったもので、一行はそろって神社に赴き、拝殿の前で丁重に参拝する様子が報じられている。 写真には、整列した学生た…
岩手師範対日詰の野球試合(S3.9.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手師範対日詰の野球試合(S3.9.1岩手日報)

昭和3年9月1日付の岩手日報には、岩手師範学校と日詰チームとの野球試合の結果が掲載されている。 試合は8月29日の午後4時から、紫波郡日詰町(現在の紫波町)にあった日詰小学校の校庭にて行われた。岩手師範が先攻、地元・日詰チームが後攻というかたちで始まり、結果は5対3で岩手師範が勝利した。 日詰側は町…
イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報) l全県

イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 広告欄に掲載されているのは、当時まだ新興企業だった「東京軽便浣腸製造所」による製品、「イチジク印軽便浣腸」。着物姿の母親が子どもに浣腸を施す印象的な図柄が目を引く。 この「イチジク浣腸」は、1925年(大正14年)に医師・田村廿三郎によって製造が開始されたもので、翌…
山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(S3.9.1岩手日報) d宮古・下閉伊郡

山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(S3.9.1岩手日報)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 当時の山田線は、盛岡から上米内までしか開通していなかった。しかし、その路線名が示すように、いずれは山田町、さらには釜石方面まで延伸する構想が存在していた。 この時点では、上米内からさらに区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間には7つの停車場(駅)が設置され…
農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日)

昭和3年9月1日の岩手日報より。 「豊穣を語る案山子」と題された写真記事が掲載されている。写真には、たわわに実った稲穂が風に揺れ、その中にぽつねんと立つ案山子の姿が見える。背景には霞むように並ぶ家々や林があり、初秋の田園の空気が感じられる。 場所は「盛岡農学校」とされており、当時の校舎は盛岡市菜園に…
岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日)

この日の紙面では、今晩盛岡の岩手県公会堂第一ホールにて開催される「音楽と舞踊の夕べ」の案内が掲載されている。午後7時開演、主催は岩手日報社。 出演は以下の通り: セロ(チェロ):高勇吉氏 アルト独唱:齋藤靜子夫人 バイオリン:高玉枝嬢 舞踊:ドイツの舞姫・ヘティー・ウツケル嬢(高氏新夫人) この時期…
二戸郡では養豚に代わりウサギの飼養が盛んに(S3.9.1岩手日報) b二戸・二戸郡

二戸郡では養豚に代わりウサギの飼養が盛んに(S3.9.1岩手日報)

かつて養豚が盛んだった岩手県二戸郡では、近年その様子が変わりつつある。記事によれば、従来は毎年約2,000頭の豚が飼育されていたというが、昭和3年当時、豚肉価格の低迷や飼料品の不足を背景に、飼育戸数は次第に減少。代わって注目されたのがウサギの飼育であった。 ウサギは手狭な場所でも飼えることに加え、飼…
盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(S2.4.22岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(S2.4.22岩手日報)

昭和2年4月22日の岩手日報より。 盛岡の映画館・内丸座では、この日から豪華な四本立て上映が行われた。戦争の英雄譚から西部劇、捕物、歴史劇まで揃ったそのラインナップは、まさに昭和初期の映画興行の活気を象徴するものであった。 『広瀬中佐』は松竹キネマ蒲田撮影所で製作され、大正15年(1926年)6月2…
盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報)

昭和2年(1927年)3月、岩手県の最高学府として知られた盛岡高等農林学校で卒業式が行われた。『岩手日報』紙上には、教員と卒業生たちの記念写真が掲載され、厳かな式典の様子が伝えられている。 この学校は、旧制時代における農林系の専門教育機関であり、農政技術者や教員、研究者など多くの人材を世に送り出して…