備考※3a-2AI

盛岡市内各店舗の広告(S26.3.27夕刊いわて) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市内各店舗の広告(S26.3.27夕刊いわて)

昭和26年3月27日の夕刊いわてを広げると、そこには当時の盛岡市民の暮らしを支えていた商店たちの活気ある息吹が閉じ込められています。 5つの広告が並ぶ中で特に目を引くのは、現在とは異なる街の風景です。タチバナ靴店には川徳前、京屋には川徳デパート向いという文字が刻まれています。当時の川徳は、昭和55年…
弘前無尽では「宝来定期預金」を募集中(S26.3.21夕刊いわて) m県外・参考

弘前無尽では「宝来定期預金」を募集中(S26.3.21夕刊いわて)

昭和26年3月21日の「夕刊いわて」紙面に掲載された、弘前無尽による「宝来定期預金」の広告は、戦後の庶民金融と夢を結びつけたユニークな預金商品を伝えています。 この「宝来定期預金」は、昭和26年3月1日から4月30日までの期間に募集されたもので、1口1,000円から預け入れ可能。満期は8ヶ月後に設定…
今晩のラジオ(S26.3.13夕刊いわて) l全県

今晩のラジオ(S26.3.13夕刊いわて)

昭和26年3月13日の「夕刊いわて」を広げると、そこには今から70年以上も前の岩手の夜が鮮やかに刻まれています。この時代の岩手には、まだ民放のラジオ岩手(現在のIBC岩手放送)は存在せず、人々の耳を独占していたのはNHK盛岡放送局だけでした。特筆すべきは、番組表に「第一」と「第二」の二つの放送が並ん…
岩手でも報じられた築地八宝亭事件(S26.3.11夕刊いわて) m県外・参考

岩手でも報じられた築地八宝亭事件(S26.3.11夕刊いわて)

昭和26年の築地八宝亭事件は。アプレゲール犯罪として、後世に語り継がれるほどの事件であった。 この事件の犯人の自殺は、小さい扱いながらも岩手県内でも報じられていた。 昭和26年3月11日付の「夕刊いわて」の紙面には、戦後の犯罪史上でも特に有名な築地八宝亭一家殺人事件の幕引きが記されています。この事件…
昭和の大合併はどうなる?(S26.2.7岩手新報) l全県

昭和の大合併はどうなる?(S26.2.7岩手新報)

昭和26年2月7日付の岩手新報を読み解くと、そこには「昭和の大合併」という大きな時代の転換点に直面した人々の葛藤が克明に記録されています。当時の新聞紙面を飾っているのは、市町村合併の実現を阻むのは何よりも「感情問題」であるという、極めて人間味のある見出しです。戦後の地方自治を安定させるために進められ…
九戸郡の寒村から給費生を久慈高校に送って岩大の教育学部に!(S26.2.6岩手新報) c久慈・九戸郡

九戸郡の寒村から給費生を久慈高校に送って岩大の教育学部に!(S26.2.6岩手新報)

昭和26年2月6日付の岩手新報を広げると、戦後の混乱から立ち上がり、未来を切り拓こうとする人々の力強い息吹が伝わってきます。 Screenshot この日の紙面で最も大きな注目を集めたのは、九戸郡が打ち出した無資格教員の一掃という教育改革の断行でした。当時の地方では、正規の免許を持つ教員が圧倒的に不…
弘前無尽が増資新株式募集(S25.12.3岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

弘前無尽が増資新株式募集(S25.12.3岩手新報)

昭和25年12月3日の岩手新報に掲載された広告によれば、弘前無尽株式会社では増資にともない新株式の募集を行っていた。 この「弘前無尽」は、のちに弘前相互銀行を経て現在のみちのく銀行へと発展した金融機関である。無尽会社とは、現在の信用金庫や相互銀行の前身にあたるような地域密着型の金融業態で、相互扶助的…
弘前無尽「無尽契約30億円達成御礼!」(S25.12.1岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

弘前無尽「無尽契約30億円達成御礼!」(S25.12.1岩手新報)

昭和25年12月1日の岩手新報より。 当時の弘前無尽(現在のみちのく銀行)は、無尽契約の累計が三拾億円(30億円)に達したことを記念し、感謝広告を紙面に掲載している。これは昭和25年10月末時点での記録であり、「東北無尽業界に新記録をつくるにいたりました」と誇らしげに記されている。 広告文面では、地…
新しくできる「東北銀行」に寄せる県内各地の期待(S25.7.2岩手新報) l全県

新しくできる「東北銀行」に寄せる県内各地の期待(S25.7.2岩手新報)

昭和25年7月2日の岩手新報の紙面を埋め尽くす熱狂的な記述からは、当時の岩手県民が東北銀行の設立にいかに大きな希望を託していたかが痛いほど伝わってきます。終戦から5年が経過したこの時期、日本経済はドッジ・ラインによる強烈な引き締め政策の渦中にあり、深刻な現金不足とデフレが地方の隅々まで襲っていました…
盛岡市内各校は卒業シーズン(S25.2.20新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市内各校は卒業シーズン(S25.2.20新岩手日報)

昭和25年(1950年)2月20日付の新岩手日報には、盛岡市内の学校に卒業シーズンが訪れた様子が、写真入りで紹介されている。 Screenshot 戦後間もない時代、まだ物資も十分とは言えない頃だが、紙面からは学び舎に満ちる若い息吹と、新たな門出を迎える高揚感が伝わってくる。 白百合高校 ― 卒業の…
ドッジ不況で盛岡市内に貸間・売家が続出(S25.2.19新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ドッジ不況で盛岡市内に貸間・売家が続出(S25.2.19新岩手日報)

昭和25年(1950年)2月19日の『新岩手日報』より 戦後の盛岡市では営業不振が相次ぎ、店舗や事務所を貸間に転用する動きが急増していた。 ある木材会社では、2階建て約90坪の建物を70〜80万円で売り出し、さらに東大通りとみられるマーケットのバラック小店舗も20万円で売却に出されたという。 Scr…
アメリカ赤十字青少年部から岩手の子供達にギフトボックス(S25.1.15岩手新報) l全県

アメリカ赤十字青少年部から岩手の子供達にギフトボックス(S25.1.15岩手新報)

昭和25年(1950年)1月15日付の岩手新報に、戦後の空気をよく伝える小さな国際ニュースが載っている。 アメリカの少年少女から贈られた 65個のギフトボックス が、米国赤十字社を通じて日本赤十字社本部に渡り、さらに岩手県支部へと届けられたという記事だ。 Screenshot この贈り物の原資となっ…
釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石みそ・しょうゆ販売登録店ご挨拶(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日付の岩手新報に掲載されたこの広告は、当時の釜石における味噌と醤油の小売店登録に関する挨拶文です。戦後の混乱期を経て、物資の流通を管理していた需給調整規則が改正されたことに伴い、改めて「指定店」として登録を受けた店主たちが連名で広告を出したものです。 文面からは、指定店としての誇り…
入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(S25.1.14岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日の岩手新報に掲載されたこの公告は、現代の私たちにとっては当たり前の存在である病院給食が、実はGHQ主導による医療改革の大きな転換点であったことを物語っています。 当時の日本では、入院患者の食事は家族が付き添って調理したり外部から持ち込んだりする自炊制度が一般的でした。しかし、この…
盛岡は5年後こうなる(S25.1.14岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡は5年後こうなる(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日の岩手新報の紙面を眺めていると、終戦からわずか5年という激動の時代に、当時の盛岡の人々が抱いていた熱い情熱がダイレクトに伝わってきます。 Screenshot 紙面の中央を飾る県都五年後の夢という言葉には、戦後の混乱を乗り越え、新しい都市を自分たちの手で築き上げようとする強い意志…
岩手県公会堂で「空気のなくなる日」上映(S25.1.14岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県公会堂で「空気のなくなる日」上映(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日の岩手新報の紙面を眺めていると、当時の盛岡の日常が鮮やかに蘇ってくるような小さな広告に出会いました。それは内丸にある岩手県公会堂で開催された、映画上映のお知らせです。 会場となった公会堂は、現在も県庁の隣にその威容を残す、盛岡の歴史を象徴する建物です。昭和2年の開館以来、地域の文…
富士銀行盛岡支店「強盗に来る?なら死ぬつもりで来いや」(S25.1.14岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

富士銀行盛岡支店「強盗に来る?なら死ぬつもりで来いや」(S25.1.14岩手新報)

昭和25年1月14日付の岩手新報を広げると、戦後間もない時代の熱量と殺伐とした空気が混ざり合った、驚くような事件が目に飛び込んできます。 紙面の中心を飾るのは、盛岡市紺屋町にある富士銀行盛岡支店に掛かってきた1本の怪電話です。前日の午前11時頃、若い関東弁の男から今夜6時30分頃に強盗に行くから十分…
ラジオ番組案内(S25.1.12岩手新報) l全県

ラジオ番組案内(S25.1.12岩手新報)

昭和25年1月12日の岩手新報のラヂオ欄には、当時の岩手における唯一の放送局、NHK盛岡放送局(JOQG)が伝えたかった当時の世相が凝縮されています。午前7時15分のルポルタージュ文化財を訪ねてから始まる一日は、午前9時15分のビタミンの取り方や、午後6時30分の発疹チフスの予防といった、戦後の衛生…
川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報)

昭和25年1月12日付の新岩手日報には、戦後日本の混乱と庶民のたくましさを象徴するような、驚くべき光景が記録されています。その記事が伝えているのは、隠退蔵物資と呼ばれた旧日本軍などの横領物資が摘発され、市民に安く放出された際の異様なまでの熱狂です。隠退蔵物資は、本来ならば終戦直後に国民へ分配されるべ…
盛岡電話局は機械も古く交換嬢も不足(S25.1.12岩手新報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡電話局は機械も古く交換嬢も不足(S25.1.12岩手新報)

昭和25年1月12日の岩手新報が伝える盛岡電話局の実態は、戦後の復興期がいかに壮絶なマンパワーによって支えられていたかを物語っています。当時の新聞が傷だらけの電話局という刺激的な言葉を見出しに選んだ背景には、設備と人員の両面で限界を超えていた過酷な現場環境がありました。 当時の盛岡における通信の要で…
岩手「ヤミの女」事情(S24.5.18新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手「ヤミの女」事情(S24.5.18新岩手日報)

昭和24年5月18日付の新岩手日報は、戦後復興の只中にあった岩手の社会情勢を鮮烈に伝えています。当時の盛岡警察署、現在の盛岡東署が実施した風紀取締週間の記録によれば、夜の街に立つ女性は盛岡で約200名、釜石で40名、宮古で20名から30名に及んでいたといいます。この記事で最も目を引くのは、彼女たちの…
ドッジ・ラインで岩手にも工場倒産の嵐(S24.5.10新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ドッジ・ラインで岩手にも工場倒産の嵐(S24.5.10新岩手日報)

昭和24年(1949年)、戦後日本の経済を立て直すために実施されたドッジ・ラインが岩手県内の地場産業にどのような影響を与えたのか、当時の新岩手日報の記述から辿ります。 まず、この記事の背景にあるドッジラインについて解説します。これは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の経済顧問ジョゼフ・ドッジが打ち…
盛岡でお釈迦様の生誕を祝う花まつり(S24.5.9新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡でお釈迦様の生誕を祝う花まつり(S24.5.9新岩手日報)

昭和二十四年五月八日、盛岡では一月遅れのお釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」が開かれた。 Screenshot 主催は盛岡市仏教会で、市内の寺院が協力して行われる年中行事として戦後も受け継がれていた。この日の岩手県公会堂には、なんと一〇〇〇名ものお稚児さんが集まったという。白い装束に花冠をつけた子ども…
半陰陽の女子医大生が盛岡に来て誘拐騒ぎ(S24.5.8新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

半陰陽の女子医大生が盛岡に来て誘拐騒ぎ(S24.5.8新岩手日報)

昭和二十四年五月八日の新岩手日報には、少し不穏な記事が載っていた。当時、全国では「半陰陽(インターセックス)」と呼ばれた女子医大生が、女子医専の学生を誘拐するという事件が話題になっていたらしい。戦後間もない混乱期ということもあって、性に関する理解が浅い時代であり、センセーショナルな扱われ方をしていた…
石鹸は登録しないと買えなかった(S24.5.6新岩手日報) l全県

石鹸は登録しないと買えなかった(S24.5.6新岩手日報)

昭和24年5月の新岩手日報に掲載されたこの告知は、現代の私たちには想像もつかない「石鹸が貴重品だった時代」の記憶を鮮明に伝えています。当時、石鹸は今のようにドラッグストアで自由に買える日用品ではなく、政府の管理下で一人ひとりに割り当てられる配給品でした。 その最大の理由は、石鹸の主原料である牛脂やヤ…
岩手県公会堂で県下農民大会(S23.12.11岩手夕刊新聞) l全県

岩手県公会堂で県下農民大会(S23.12.11岩手夕刊新聞)

昭和23年12月11日の岩手夕刊は、戦後の農地改革によって自らの土地を手にした農民たちの歓喜と、新しい時代の責任を静かに伝えています。この記事が発行された当時の日本は、まさに「農民解放」という歴史的な転換点にありました。 Screenshot 同年11月23日、東京では工業倶楽部で農民解放記念祭が開…
岩手県公会堂で大防犯展覧会(S22.10.6新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県公会堂で大防犯展覧会(S22.10.6新岩手日報)

昭和22年10月6日の新岩手日報に掲載されたこの広告は、現代の私たちの常識を根底から揺さぶるような、凄まじい熱量と禍々しさを放っています。戦後わずか2年、社会全体が飢えと混乱の中にあった時代に、岩手県警察部や新岩手日報社が総力を挙げて開催した「防犯大展覧会」の告知です。 まず目を引くのは、そのあまり…
県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報) l全県

県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報)

昭和21年7月24日の新岩手日報によれば、その前日にあたる7月23日、地方事務所長会議を終えた春彦一知事は、各事務所長を再度集めて米の供出状況に関する訓示を行いました。 この席で知事は、県全体の目標として3万石を掲げ、これを達成するために農民組合や警防署員を動員して各農家へ供出をお願いして回るよう指…
扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(S20.8.10新岩手日報) e釜石・遠野・上閉伊郡

扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(S20.8.10新岩手日報)

この資料は、1945年(昭和20年)8月9日に岩手県釜石市へ敢行された2度目の艦砲射撃の直後、釜石製鉄所の「扶桑第601工場」が従業員に向けて出した非常に切迫した内容の広告です。ご質問にある「逃げ出す人が多かったのか」という点については、この文面そのものが、当時の職場放棄や避難による労働力喪失の深刻…