l全県 2 3月 1933 ブラジル移民大募集(S8.3.2岩手日報) 昭和8年、日本がブラジル移民を強力に推進した背景には、当時の社会が直面していた深刻な行き止まり感がありました。1920年代後半からの経済不況は、1929年の世界恐慌で決定的なものとなり、特に農村部は壊滅的な打撃を受けました。当時の日本は人口が急増していた一方で、国内の耕地面積には限界があり、あふれた… 続きを読む
l全県 2 2月 1933 山海関の戦いで本県出身兵士は(S8.2.2岩手日報) 昭和8年2月2日付の岩手日報を開くと、当時の岩手の人々がどのような緊張感の中にいたのかが鮮明に伝わってきます。この記事が書かれた当時、満州事変から続く情勢は緊迫の度を増していました。その象徴ともいえるのが、1月初旬に発生した山海関での衝突です。万里の長城の東端に位置し、満州と中国本土を繋ぐ要衝であっ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 2月 1933 三陸汽船が月3回の東京〜八戸航路を計画中(S8.2.1岩手日報) 昭和初期の三陸において、海路は人々の暮らしと経済を繋ぐ最大の大動脈でした。昭和八年二月一日付の岩手日報には、当時の三陸沿岸を象徴する企業である三陸汽船株式会社が、八戸、三陸沿岸、そして東京を結ぶ新たな航路の開拓を計画していたことが詳細に報じられています。 この記事の主役である三陸汽船は、明治四十一年… 続きを読む
j東磐井郡 1 2月 1933 東磐井郡興田村で電灯引く引く詐欺(S8.2.1岩手日報) 昭和八年二月一日付の岩手日報を開くと、当時の岩手県における光と影が混ざり合った二つの事件が目に飛び込んできます。 まず右側の記事に綴られているのは、電灯のない村の希望を逆手に取った卑劣な詐欺事件です。犯人は宮城県牡鹿郡石巻町新田町に住む西城一郎という三十五歳の男でした。彼は岩手県東磐井郡興田村、現在… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 2月 1933 一関小学校の児童宅で最も多い楽器は三味線とハーモニカ(S8.2.1岩手日報) 昭和8年2月1日付の岩手日報に掲載された「三味線とハーモニカ ― 最も多かった二つ」という記事は、当時の家庭における音楽文化の変遷を鮮やかに描き出しています。一関小学校が情操教育の参考資料として、児童の家庭にある楽器を調査したこの記録からは、和の伝統と洋の新しい波が混ざり合う、当時のモダンな生活風景… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 11月 1932 岩手県商品陳列所で菊花品評会(S7.11.3岩手日報) 昭和7年11月3日付の『岩手日報』には、盛岡の岩手県商品陳列所で行われた菊花品評会の様子が写真入りで紹介されている。 場所は、現在のもりおか歴史文化館の位置、すなわち戦前は岩手県立図書館が置かれ、その前身的機能として商品陳列所が使われていた場所である。 Screenshot この日、商品陳列所の館内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 11月 1932 盛岡市内小学校合同体育祭(S7.11.3岩手日報) 昭和7年11月3日付の岩手日報には、前日に岩手公園で行われた盛岡市内小学校体育祭の様子が伝えられている。会場となった岩手公園広場は、ちょうど紅葉の盛りで、秋色に包まれた中に多くの児童や関係者が集まった。 Screenshot この体育祭は11月2日に開催され、市内の小学校児童が一堂に会する合同の行事… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1932 盛岡の小学生が明治神宮参拝にいざいざ(S7.11.2岩手日報) 昭和7年、11月2日付の岩手日報。そこには、時代の空気を色濃く写し出した一枚の写真と記事が掲載されていました。「児童参拝団出発」と題されたその記事は、今から90年以上も前、盛岡の街から東京を目指した子どもたちの記録です。 記事によると、盛岡市内の小学校から選ばれた22名の児童たちが、明治神宮参拝のた… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 11月 1932 一関町役場の吏員の服装を統一(S7.11.2岩手日報) 昭和7年11月2日の岩手日報に、当時の伝統的な役場の姿を刷新しようとする興味深い記事が掲載されています。 タイトルは「吏員の服装統一 ―一関町役場の試み―」となっており、現在の一関市役所の前身である一関町役場が、新庁舎の落成という節目に職員の身なりを整えようとした当時の様子が記されています。 記事に… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1932 仙台・藤崎の増築完成大売り出し(S7.11.1岩手日報) 今日ご紹介するのは、昭和七年十一月一日の岩手日報に掲載された、仙台の藤崎百貨店の大きな広告です。藤崎の増築完成大売出しという勢いのある文字が目を引きますが、今から九十数年前の新聞紙面を飾ったこの広告からは、当時の都市文化の華やかさが伝わってきます。 広告によると、十一月三日から五日間にわたって、増築… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 公会堂の松屋デー(S7.11.1岩手日報) 昭和7年11月1日の岩手日報を開いてみると、現代の新聞とは全く異なる光景が広がっています。なんと、新聞の一面すべてが広告で埋め尽くされているのです。ニュース記事が一つもないこの紙面からは、当時の岩手の人々の熱気や生活の匂いがダイレクトに伝わってきます。 紙面の上半分、一面トップを大きく飾っているのは… 続きを読む
g北上・和賀郡 1 11月 1932 黒沢尻で食い逃げ(S7.11.1岩手日報) 昭和7年11月1日の岩手日報に掲載された、なんとも巧妙で人騒がせな事件をご紹介します。 舞台は現在の北上市にあたる黒沢尻町芳方小路。登場するのは23歳の畳職、工藤という男です。彼は10月20日の夜、1歳年上の知人である土木工の菅原さんを「今日は奢るから」と言葉巧みに誘い出し、飲食店へと繰り出しました… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 中等学校競技大会(S7.11.1岩手日報) この前日、中等学校競技大会が開催されたようで、陸上競技で優勝した青森師範、柔道で優勝した横手中学、弓道で優勝した盛岡中学の写真が掲載されている。… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1932 青森県警察部でニセ高文官僚(S7.11.1岩手日報) 昭和七年十一月一日の岩手日報に、青森から電話で届けられた驚くべきニュースが掲載されています。自分と同じ名前を持つ「エリート合格者」の経歴を丸ごと盗み、警察幹部の座を手に入れた男の、あまりに大胆ななりすまし事件です。 事件の主役は、青森県西津軽郡出精村(現在のつがる市)出身の三十四歳の男でした。男は、… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 11月 1932 各地の不況匡救事業(S7.11.1岩手日報) 昭和7年11月1日の岩手日報を開くと、厳しい不況の中にあった当時の岩手が、地域産業や公共事業によって懸命に活路を見出そうとしていた姿が浮かび上がってきます。 この日の紙面で目を引くのは、東磐井地方における兎毛皮(うさぎけがわ)の買い上げに関する活況です。陸軍被服廠への供給を目的としたもので、この年、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡・内丸座で「野に叫ぶもの 闘争編」「キーンの決死隊」公開(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報によると、盛岡の内丸座では「野に叫ぶもの 闘争編」と「キーンの決死隊」が上映されていました。 「野に叫ぶもの 争闘編」は、昭和6年7月23日に公開された松竹の無声映画で、鈴木伝明・高田稔・沢蘭子・及川道子らが出演。「鬼も哭かしむ大社会派劇」だったようです。 一方「キーンの… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 1月 1932 石黒知事が県北の凶作地を視察(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにした。二戸警察署長の案内で馬橇に乗り、小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かる。谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけても返事がない。奥に入ると中は真っ黒で顔も見えず、再び声をかけると藁布団から現れた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 上等うさぎ肉400瓦13銭!(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡市内の肉屋「鶏屋」では、1月10日から12日までの3日間、特売を実施していた。 広告によれば、寒の地玉子は10個で25銭、豚肉は400瓦(グラム)で30銭。 これに対し、上等うさぎ肉は同じ400瓦で13銭と、豚肉の半分以下の値段だった。 当時は鶏肉や豚肉と並び… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡〜日詰の乗合自動車の冬ダイヤ(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報に、盛岡〜日詰間を結ぶ乗合自動車の冬ダイヤが掲載されている。 運行していたのは「佐藤自動車部」という事業者で、当時はまだ地域ごとにこうした小規模事業者が路線を運営していた。 この佐藤自動車部も、戦時統合によって昭和18年に発足する「岩手中央バス」に吸収されることとなる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1932 昭和7年当時の盛岡市内の個人医院(S7.1.8岩手日報) 昭和7年1月8日の岩手日報に掲載された広告より。 当時の盛岡市内にあった個人医院は次の通りです。 阿部医院(外科・肛門科・性病科)盛岡市仁王小路 船山医院(婦人科・産科、入院室あり)盛岡市馬場町 見坊内科医院(内科一般、特に胃腸)盛岡市仁王小路 斗ヶ澤医院(乳児科・小児科)盛岡市仁王小路 井川医院(… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1932 暖冬で高松の池も氷が張らず(S7.1.6岩手日報) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、盛岡でスケートやアイスホッケーといえば、高松の池が中心的な舞台だった。しかし、この冬は異例の暖かさで氷が張らず、リンクは開設できない状態が続いていた。例年であれば正月を過ぎれば学生たちのインカレ(インターカレッジ)も行われ、氷上は賑わうはずだが、この年はそれも… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 1月 1932 宮古町で下閉伊郷軍仮装動員(S7.1.6岩手日報) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 1月4日、宮古町で下閉伊郷軍の仮装動員が行われた。 これは実際の戦時召集ではなく、平時における在郷軍人を対象とした模擬動員訓練で、参加者には「職員召集令状」が送られ、指定日時・場所に集合するという手順が取られた。 当日は、宮古町内の集合場所に元兵士らが集まり、林大佐… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 1月 1932 松屋デパートで初売御礼大売り出し(昭和7年1月4日) 昭和7年1月4日の岩手日報に掲載された、盛岡の百貨店「松屋」の広告。そこには現代の私たちが忘れてしまったような、新春の熱気がそのまま封じ込められています。 まず目を引くのが、右側に記された「初賣 盛況御禮大賣出し」という力強い言葉です。その横に添えられた挨拶文には、輝やかしい新年初頭の初売は望外の盛… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(S7.1.1岩手日報) 昭和7年1月1日の岩手日報には、新年度の写真コンクール入選作として「皆で笑って」という作品が掲載されていました。 作者は唐武作氏。画面には、屋外で三脚にカメラを構えた男性と、それに向かって笑顔を向ける子どもたちの様子が写し出されています。 岩手日報では、このように写真愛好家から作品を募り、優秀作を紙… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1932 川徳の初売(S7.1.1岩手日報) 昭和7年1月1日の岩手日報より。 盛岡の呉服店・川徳では、新年恒例の初売りが行われた。 広告には「三十銭均一」「五十銭均一」といった価格別の福袋企画があり、紅木綿、真岡薄花、白小巾モス、欝金木綿、白ネルなど、当時の日常着や晴れ着に欠かせない反物・生地が並んでいる。 新年の晴れやかな雰囲気の中、常連客… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1931 工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(S6.9.15岩手日報) 昭和6年9月15日の岩手日報によれば、盛岡の工兵第8大隊と弘前の輜重兵第8大隊による連合演習が、日詰付近の北上川両岸で実施されることになった。 これは、あらかじめ設定された想定に基づき、材料の授受や渡河訓練を行うものだという。 掲載された写真は、その前日の9月14日に撮影されたもので、盛岡(観武ヶ原… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 9月 1931 秋季の水沢競馬(S6.9.15岩手日報) 胆沢郡産馬畜産組合では、恒例の秋季競馬大会を 昭和6年9月22日・23日の両日、水沢競馬場にて開催することとなった。 今回の大会には、地元胆沢郡のみならず、遠く青森や宮城からも良馬が出場する見込みで、 その数は七十五頭にのぼるという。 係員は準備に余念がなく、 「八千円は馬券を売るぞ」と意気軒昂。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 13 9月 1931 西磐井郡萩荘村で29歳の男が復縁目当てに放火(S6.9.13岩手日報) 昭和6年9月13日の岩手日報によれば、西磐井郡萩荘村(現在の一関市)で、ある村議の次男(29歳)が、なんとも浅はかな理由から放火事件を起こしました。 記事の大見出しは「世にも浅はか 男のお七 家事手伝いの功を狙って離縁の妻方に放火」。 ここでいう「お七」とは、井原西鶴『好色五人女』にも登場する、恋人… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 9月 1931 盛岡・四ツ家教会に新しい神父着任(S6.9.13岩手日報) 盛岡市のカトリック四ツ家教会に、このたび新しい神父が着任した。 着任したのは早坂神父で、仙台の旧制第二高等学校を卒業後、さらにローマに留学していた経歴を持つ。 帰国後は東北帝国大学医学部でラテン語の講師も務めており、学識豊かな人物として知られている。 着任にあたって神父は次のように語った。 「盛岡の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 9月 1931 盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工(S6.9.12岩手日報) 昭和6年9月12日の岩手日報によれば、盛岡鉄道工場で建設が進められていた車輪・仕上職場が、いよいよ完成間近となった。着工は同年4月24日で、約7か月の工期を経て12月1日からの作業開始が予定されている。 この新しい職場では、客車や貨車の車輪交換、洗浄といった整備作業が行われることになる。写真には、工… 続きを読む