a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 28日 1957 盛岡中劇で「友情ある説得」「キング・ソロモン」封切!(昭和32年5月28日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 盛岡中劇では「友情ある説得」と「キング・ソロモン」を二本立てで封切した。 「友情ある説得」(原題:The Friendly Persuation)は米MGM配給で日本初公開は昭和32年1月4日。主演はゲーリー・クーパー。 「キング・ソロモン」(原題:King S… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 28日 1957 盛岡・国劇で「熱砂の舞」「オドンゴ」公開!(昭和32年5月28日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 盛岡の洋画封切館・国民映画劇場では「熱砂の舞」と「オドンゴ」を公開する。 「熱砂の舞」(原題:Zarak)は、中東のアフガニスタン国境を舞台にした米コロムビア映画で日本での初公開は昭和31年12月20日。 「オドンゴ」(原題:Odongo)はケニアを舞台にした、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 28日 1957 盛岡東映で「抜打ち浪人」「かぶと虫の妖奇」を封切!(昭和32年5月28日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 盛岡東映では「抜打ち浪人」と「少年探偵団 かぶと虫の妖奇」を封切する。 いずれも東京での初公開は昭和32年5月20日なので、ちょうど1週間のタイムラグ。 「抜打ち浪人」は、大友柳太朗が主演の剣豪モノの時代劇。 「少年探偵団 かぶと虫の妖奇」は、明智小五郎シリーズ… 続きを読む
l全県 5月 27日 1957 三菱ミシンから2つの贈り物!(S32.5.27岩手日報) 三菱ではミシンも製造していたようだ。 それで広告を出している。 岩手県内でも各地に販売店があったようだ。… 続きを読む
l全県 5月 27日 1957 中国からの一時帰国者が急行「おいらせ」で帰郷(昭和32年5月27日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 終戦後も中国に居着いたままになっていた岩手県関係者が、急行「おいらせ」で帰宅するという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 27日 1957 使いよい電話台は盛岡・呉服町の「アカザワ号」で(昭和32年5月27日) 昭和32年5月27日の岩手日報の広告欄より。 電話台「アカザワ号」の広告が出ているが、注目すべきは黒電話がダイヤル式であること。 当時、盛岡の電話はダイヤル式ではなく「共電式」という、受話器を上げれば電話局の交換手につながるという方式であった。 この年の8月からダイヤル式自動電話が導入されるのだが、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 26日 1957 ぐんと安い!松屋デパートの大特売会(S32.5.26岩手日報) 盛岡の松屋デパートの広告より。 この当時の物価は、以下のようになっていたようだ。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 5月 26日 1957 種市・八木港で8尺2寸のお化けイカ(昭和32年5月26日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 九戸郡種市町の八木港で、8尺2寸のお化けイカが獲れたという。 8尺2寸とは、2.5メートルのこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 26日 1957 釜石で高品位ウラン鉱?(昭和32年5月26日) 昭和32年5月26日の岩手日報より。 釜石に、高品位なウラン鉱脈があるのではないかと言う専門家の見立て。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 26日 1957 釜石・和山牧場で闘牛大会(昭和32年5月26日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 釜石市の山奥にある和山牧場では、100年以上の歴史を持つ闘牛が名物であったという。 これを見るために、釜石市内外からバスやジープやトラックで2,000人以上の観客が詰めかけたという。 この時期最強だったのは、この和山牧場組合が所有する9歳の「大宮号」であったとい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 22日 1957 盛岡・東宝第一劇場で「あらくれ」公開(昭和32年5月29日) 昭和32年5月28日の岩手日報より。 盛岡・東宝第一劇場では「あらくれ」を公開する。 「あらくれ」は昭和32年5月22日初公開の東宝映画で、主演は高峰秀子。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1957 昭和32年の盛岡郵便局の一日局長は地裁所長 昭和32年4月24日の読売新聞岩手版より。 昭和32年4月24日読売新聞岩手版より。 「郵便週間」(4月20~28日)にちなみ、盛岡郵便局では市内の名士を「一日局長」に。 この年は盛岡地方裁判所長。 局長の手ほどきを受けながら慣れない手つきでスタンプを押していた。 また、新しく完成したばかりの郵便局… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 22日 1957 釜石では北洋サケマス独航船が出港したり製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人殺したり(S32.4.22岩手日報) 釜石港では北洋サケマス独航船が盛大な見送りと共に出港した。 そうかと思えば釜石製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人を死なせるなど。 釜石とはそんな場所だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1957 盛岡市内一周継走は一般が松尾鉱山B、高校は福岡高校が優勝(S32.4.22岩手日報) 盛岡市内1周継走が行われ、一般の部は松尾鉱山Bが、高校の部は福岡高校が優勝したと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1957 1,500円の二眼カメラ「ミューズフレックス」(昭和32年4月22日) 昭和32年4月22日の岩手日報の広告欄より。 仙台のコセキカメラは盛岡にも支店があり、岩手日報にも広告を出していた。 当時の大衆的二眼カメラ「ミューズフレックス」は、1,500円で買うことができた。 ミューズフレックスとはどのようなカメラであったか? 以下のページに概略が書いてある。 いわく「子供の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 22日 1957 釜石市営ビルの煙草屋さんのジュウシマツ(昭和32年4月22日) 昭和32年4月22日の岩手日報より。 釜石市営ビルで煙草や鉄瓶などの土産物を売っている57歳の男性は、ジュウシマツを完全に飼いならしている。 「飛びなさい」と言えば飛ぶ、「おいで」と言えば来る。 本人によれば「ジュウシマツは飼ってるのではなく、一緒に生活しているのです。それで愛情で慣らすのです」と楽… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 川徳デパートではエスカレーターができました!大特売会します!(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 令和の今にあってもなお盛業中の川徳デパートは、現在の菜園ではなく昭和55年まではホットライン肴町の入り口の「ななっく」(2011年以前であれば「中三」)の場所にあった。 管理人もうっすらその時代を覚えている。 昭和31年に建てられたばかりの地下1階、地上… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 中国青年団は盛岡を見てハオハオの連発(S32.4.20岩手日報) 中国友好青年団は、全国を見て歩いていたが、盛岡に来て岩手大学の温室を見たり、わんこそばを食べたりしてハオハオの連発であったと言う。 … 続きを読む
m県外・参考 4月 20日 1957 タカラビール出荷します 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 宝酒造は京都に本社があり、工場が岩手県内にある訳でもないので直接岩手に関係があるわけではないが、迫力のあるコマーシャルなので載せることに。 また、現在の自動車のナンバーが何故トラックが「1」で、バスが「2」なのか分かったような気がしたのだ。 自動車という… 続きを読む
b二戸・二戸郡 4月 20日 1957 農繁期前に賑わう県北の市日 昭和32年4月20日の岩手日報より。 県北ではこの時点で「○日市」の伝統が残っており、作業衣、着物、農機具など農作業に必要なものはすべてここで揃えることができたという。 この時期は農繁期前で、ひときわ賑わっていたという。 写真は二戸郡福岡町。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報より。 ソ連の核実験が伝えられ、上空のジェットの風下にあたる日本でも、戦々恐々となっていた。 そのような中、盛岡でも6665カウントの放射能が観測されたのだと言う。 ちなみに、カウントとベクレルの単位については以下のページを参照。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1957 盛岡市内の反物屋の広告「倍ヤールサービスしますよ!」(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市肴町の商店街の反物屋の広告は「倍ヤールサービスしますよ!」。 ヤールとはヤードがなまったものであるといい、繊維業界で使われていた。 令和の現在でも「ヤール」と言って通用するだろうか。 というか、反物から服を作るという習慣そのものが一般的ではなくなっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1957 盛岡市内の二番館の映画プレイガイド(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報の広告欄より。 「安く楽しめる本日の映画案内」とあるのでつまり二番館のこと。 銀映座やシネマミソノなどは二番館として安く映画を上映していた。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 4月 19日 1957 北上市立養老院開院 昭和32年4月19日の読売新聞岩手版では、北上市常盤台に市立養老院がオープンしたことを報じている。 総費790万円で収容定員は60名という。 現在は民間に委託して、北上市鬼柳の「北星荘」となっている。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 19日 1957 サケマスはえなわ漁船解禁へ 昭和32年4月19日の岩手日報より。 翌4月20日から、サケ・マスのはえなわ漁が解禁になるというので宮古などの漁港が沸き立っている。 宮古港では49隻、山田港では11隻、田老港では5隻と、前年より5隻減少しているといが、100万貫を期待しているという。 記事では「資材が少なく、しかも安全操業ができて… 続きを読む
g北上・和賀郡 4月 19日 1957 北上で頑張る美容師の卵(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 仕事をがんばっている若者に特化した囲み記事で、北上で頑張る美容師の卵について取材している。 和賀町の中学校を卒業して、花巻の理容美容学校を卒業し、北上の床屋でがんばっているのだと言う。 … 続きを読む
l全県 4月 19日 1957 ゴールデンウィークに天文ショー3つ(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 ゴールデンウィークには、天文ショーが3件予定されていたと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1957 盛岡で梅に続いて桜の開花(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 盛岡市北山の清養院では、17日の梅の開花に引き続き、18日には桜が咲いたと言う。 これは、いつもよりは4日ぐらい遅いのだそうだ。 ただし、気象庁のホームページによれば、今年の盛岡の桜の開花は4月27日と言うことになっている。 … 続きを読む