i一関・西磐井郡 8月 26日 1953 一関でも上映された映画「バンビ」(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 この時期、上映されていたディズニー映画「バンビ」の映画評が掲載されている。 一関では、8月27日からオリオン座で上映されていたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 26日 1953 ある離婚シングルマザーの話(昭和28年8月26日) 昭和26年8月26日の岩手日日より。 囲み記事で、ある離婚の話が書かれている。 夫があまりに頼りなさすぎること、性格が不一致であることで離婚を選んだようだ。 岩手日日の記事ではあるが、一関の人の話かどうかは不明。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 26日 1953 水沢・みその映劇で東宝「青色革命」・東映「玄海の鰐」公開!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の胆江日日新聞より。 水沢のみその映画劇場では東宝「青色革命」と東映「玄海の鰐」を2本立てで封切。 「青色革命」は千田是也、沢村貞子、三国連太郎などの出演で昭和28年6月10日の初公開。 「玄海の鰐」は河津清三郎、日高澄子の出演で、昭和28年7月12日の初公開。 水沢ぐらいだと独… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 26日 1953 一関映画案内(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 一関市内の映画案内が掲載されている。 ところで、一関市内のどこかの映画館に東映系のスターが来るという広告があったが、これは一関文映のことらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 26日 1953 田端義夫が一関のファンに挨拶(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日の広告欄より。 「バタやん」こと田端義男が「一関のファンの皆様へ」とあいさつしている。 どうも前年12月に一関でコンサートの予定が、急遽「歌くらべ青春三銃士」(松竹)への出演が決まり出演できなくなったらしい。 それでこの年の9月5日に一関映劇に出演することになったのだと… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 26日 1953 水沢松竹で「雲流るる果てに」「落葉日記」公開!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢松竹では8月26日~29日に「雲流るる果てに」と「落葉日記」を公開する。 「雲流るる果てに」は昭和28年6月2日初公開の戦没学生の手記もので、鶴田浩二や木村功等が出演。 「落葉日記」は昭和28年5月20日初公開で、岸田国士の長編小説の映画化。 フランス人… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 26日 1953 東映スターが一関に来ます!(昭和28年8月26日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 そもそもどこの映画館か書いていないのだが、東映系の映画館といえばどこかはすぐに分かったのだろうか。 また、東映スターやニューフェース(原文では「ニユーフヱス」)が挨拶に来るというのだが、西條鮎子・森和子・沖鏡子・宇佐美栄子・川村勘平共にこの記事を書いている令和4… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 しのびよる秋… 布団のお手入れは今が好季!(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 広告欄には一関市内の布団店の広告が。 布団もやっぱり布地から作る感じだったのかね? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 野間宏の考える「仮名遣いと当用漢字」(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 なぜか、作家の野間宏の記事が載っている。 仮名遣いと当用漢字に関してである。 ちなみに、野間宏自身は兵庫県出身で、関西生寺版として活躍していた小説家であり、岩手とは関係ない。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 カルシューム、ビタミンB1・B2含有の仙台味噌(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日の広告欄より。 さすがはほぼ宮城県に片足突っ込んでる一関だけあって、広告も仙台味噌である。 それもカルシューム、ビタミンB1・B2を含有しているという。 令和の今なら、混ぜものがある食べ物なんて安物として敬遠されがちだが、戦後すぐはそうでもなかったようだ。 そして電話番… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 ラジオは一関市内の専門店で買いましょう!(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日の広告欄より。 ラジオ屋の広告が2件入っている。 GENERALというのは八欧電機で現在は富士通ゼネラル、マツダというのは東芝のラジオブランド、ナショナルは言わずと知れた松下電器である。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 なつまけも けろりとなおる びっくりのそば(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 広告欄には「なつまけも けろりとなおる びっくりのそば」というコピーが踊っている。 その名も「びっくりや」という一関の蕎麦屋のようであった。 「なつまけ」とは夏バテのことだろうか。 たしかに外的な何かで体に変調を起こすと「まける」という言い方はして… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 18日 1953 水沢町営競馬は各県からの遠征馬55頭が申し込み(S28.8.18胆江日日新聞) 水沢競馬は、他の競馬場とのダブりがなかったためか各県からの遠征馬が続々申し込んでいたという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 16日 1953 一関で七夕まつりが盛大に開催される(昭和28年8月16日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 一関では七夕まつりが盛大に開催された。 飾り付けの総費用がは1千万円にも上ったという。 近隣町村からは 近隣町村からは汽車やバスで5万人の人で賑わったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 16日 1953 水沢松竹劇場で「暴力市街」公開!(昭和28年8月16日) 昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 水沢松竹映画劇場では「暴力市街」を8月16日~18日まで上映する。 松竹系の映画館でありながら「暴力市街」は大映映画で、昭和28年6月24日の公開なので、おそらくは盛岡でもそのくらいの封切だったのではないだろうか。 実話に基づいているというが、ガンアクション… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 14日 1953 水沢の食料品店「フルーツポンチの缶詰は100円」(昭和28年8月14日) 昭和28年8月14日の胆江日日新聞より。 フルーツポンチの缶詰は100円で、フルーツ蜜豆は80円だと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 14日 1953 水沢の食料品店「バター半ポンド180円」(昭和28年8月14日) 昭和28年8月14日の胆江日日新聞より。 水沢の食料品店ではバターが半ポンドだという。 1ポンドは453グラムなので、半ポンドで230グラム弱。 高いのか安いのかよく分からない。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 13日 1953 一関に田部井大サーカスが来ます(昭和28年8月13日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 田部井大サーカスが一関市営グランドに来るというニュース。 国鉄バス一ノ関営業所や岩手県南バスも後援していた。 … 続きを読む
l全県 5月 18日 1953 昭和28年に岩手県内で売っていた自動車の広告 昭和28年5月18日の読売新聞岩手版に掲載された広告より。 四輪車もさることながら、オート三輪やバイクの広告が目立つ。 日産 ダットサン デラックスセダン ダットサン スリフトセダン 日本内燃機 サンカ― トヨタ トヨペットトラック ホンダ ドリーム号E マツダ CTL(?) エーブ自動車工業 エー… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 18日 1953 下閉伊郡の漁場ではブリ・マグロの最盛期 昭和28年5月13日の読売新聞岩手版より。 下閉伊郡沿岸の漁場ではブリ・マグロの最盛期となっていた。 重茂村漁協の根滝漁場では30~40貫内外の大マグロが2~3本ずつ漁獲したほか、1貫500匁という大きなブリも水揚げされたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1953 講和記念に盛岡市長ほか各界からの挨拶(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 サンフランシスコ講和条約が発効して、日本は名実ともに独立国となった。 それを記念して、盛岡市長・盛岡市議会・盛岡鉄道管理局・青森営林局岩手連絡室・盛岡郵便局・稗貫郡町村会挨拶の名刺広告を出している。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 5日 1953 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 宮古市では、これまでジープを改装した車を公用車として使っていた。 しかし、戦争用の車だっただけに、乗り心地が悪く、独立した平和国家のお役所やふさわしくないと考えたようで、90万円を叩いて、47年型フォードを1台を買い込んだ。 また、この時期の宮古市は、港湾開… 続きを読む
m県外・参考 3月 4日 1953 海外への客船の便はこれだけあった(昭和28年3月4日) 昭和28年3月4日の読売新聞岩手版の広告欄より。 岩手県内のニュースとは関係なく、横浜や神戸などからの船便の出発情報であるが、かなりの便数が出ていたことがわかる。 まだブラジルへの移民も多い時期で、北米航路のみならずムンバイや南米などといった航路もある。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1953 江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 この当時の食糧管理制度にあっては、米はすべて国が管理していると言う建前だったので、各農村では、割り当て量を全て国に収めることが求められていた。 そしてまた、ヤミに流さず、よくぞ国に収めて下さいましたと何かのインセンティブを与えなければいけなかったのである。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 3日 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
l全県 3月 3日 1953 ローカルラジオ番組案内(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 岩手版の隅では、ラジオ番組の案内を掲示している。 ところが、岩手版であるにもかかわらず、JOIR(仙台放送局)の番組がメインになっており、JOQG(盛岡放送局)の番組はほとんどないに等しい。… 続きを読む