h水沢・江刺・胆沢郡 16 10月 1953 水沢電報電話局管内の電話新設案内(昭和28年10月16日) 昭和28年10月16日の胆江日日新聞の広告欄より。 水沢電報電話局で新たに加入した電話について大々的に広告している。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 10月 1953 水沢卓球会館で月例ダンスパーテー(昭和28年10月10日) 昭和28年10月9日の胆江日日新聞より。 水沢卓球会館で「月例ダンスパーテー」を行うのだという。 インターネットも出会い系サイトも無かった時代、こういったところで出会っていたのだろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9 10月 1953 水沢・松竹ロマンス劇場の上映案内(昭和28年10月9日) 昭和28年10月9日の胆江日日新聞より。 「弁天横丁」は昭和28年7月1日公開で、高橋貞二や水原真知子が出演。佐田啓二も特別出演している。 「男性都市」(原題;Pittsburgh)は日本での初公開は昭和26年10月23日。もともとの製作は1942年で、マレーネ・ディートリヒ、ランドルフ・スコット、… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 10月 1953 水沢の時計店「乾電池時計ならゼンマイを巻く必要がありません!」(昭和28年10月6日) 昭和28年10月6日の胆江日日新聞より。 水沢市内の時計店では乾電池時計の宣伝をしている。 単1電池は35円だったらしい。 …で、「光星舎」とは何ぞや? 「精工舎」(現:SEIKO)ではなくて? もうそのあたりから「昭和20年代」なのかも知れない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 10月 1953 水沢の食料品店「鰹角煮100円!椎茸昆布80円!」(昭和28年10月6日) 昭和28年10月6日の胆江日日新聞より。 現在でもスーパーマーケット「タカトヨ」として盛業中の高豊の価格表。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 23 9月 1953 カバヤのカバさんが一関に来ます!(昭和28年9月23日) 昭和28年9月22日の岩手日日より。 お菓子メーカーのカバヤには本当にカバがいたようで、そのカバが一関~両磐~気仙沼を巡業するという。 Wikipediaによれば、そもそもの社名の由来は「戦後間もない頃に創業されたことから平和を愛し、おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採っ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 9月 1953 今晩はお名月ツァン(S28.9.22胆江日日新聞) この日は十五夜で名月の日だったという。 天気予報は水沢緯度観測所気象課にお願いしている。 そういうものだったのだろうか。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 9月 1953 すわらじ劇団が水沢で公演します!(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 京都に拠点を置くすわらじ劇団が水沢で公演。 入場料は大人120円であるという。 このすわらじ劇団、2020年にコロナ禍のために解散してしまった。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 9月 1953 水沢の食料品店「桃屋の江戸むらさき大55円!小35円!」(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 桃屋の江戸むらさきってこの時代も売ってたらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 22 9月 1953 「アナタハンの女王」比嘉和子が一関に来ます!(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の岩手日日より。 一関の新星劇場では、「アナタハン島の真相はこれだ」を上映するという。 「アナタハン島の真相はこれだ」は昭和28年4月10日公開の新大都映画。 新大都映画とはあまり聞かない名前だが、zames_makiさんという方のブログによれば、「1953年頃に際物作品をわずか… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 9月 1953 市制を目指す水沢町が先行して市制した気仙沼市に学ぶ(S28.9.18胆江日日新聞) この時点で水沢市は発足しておらず胆沢郡水沢町だったが、先行して市制した気仙沼市に色々学ぼうと懇談会を開いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 16 9月 1953 一ノ関周辺の担ぎ屋事情(S28.9.16岩手日日) 昭和28年当時、日本ではまだ戦後の食糧事情が完全には安定しておらず、米に関しても統制が続いていた。食糧管理制度のもとで米は政府が一括して買い上げ・配給を行っており、いわゆる「ヤミ米」の取り引きも根強く存在していた。担ぎ屋の中には、農村部で自家消費用や過剰に収穫した米を密かに持ち出し、都市部で高値で売… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 9月 1953 冷害で不作の年、西磐井で最も深刻だったのは厳美村(S28.9.14岩手日日) 昭和28年(1953年)の東北地方における米作は、記録的な冷害により深刻な被害を受けました。6月から7月にかけての低温、長雨、日照不足が稲の生育を大きく阻害し、特に出穂期から登熟期にかけての気温の低さが致命的でした。 この年の全国的な作況指数は83で不作とされましたが、東北地方ではさらに悪く、各県で… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 9月 1953 一関市内の布団店では布団綿を大売り出し(昭和28年9月9日) 昭和28年9月9日の岩手日日より。 一関市内の布団、では、布団綿の大売り出しを行っている。 当時だと「貫目」単位で売ったらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7 9月 1953 一関市内各商店の電話架設情報(昭和28年9月7日) 昭和28年9月7日の岩手日日より。 「永らくご不自由をお掛けしました」というのは定型句だったのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 9月 1953 スキー毛糸は半ポンド1000円!スポーツ毛糸は半ポンド925円!(昭和28年9月6日) 昭和28年9月6日の岩手日日より。 当時一関を代表するデパートだった福原と、もう一軒の専門店と。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 9月 1953 岩手日日ではあらゆる印刷の御用命も承ります!(昭和28年9月8日) 昭和28年9月8日の岩手日日より。 一関の岩手日日では印刷業もやっていたらしい。 これはどこの地方新聞も一緒のよう。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 一関・山目小学校の学童の夏休み「悪い映画も見たが総体的には良好」(S28.9.4岩手日日) 一関・山目小学校の学童の夏休みの生活記録からは「悪い映画も見たが総体的には良好」と言う結果が出たようだ。 ところで「許されていない映画」逆にいえば「許されている映画」と言うのはどんなのだったのだろう? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 一関市内商店の電話架設広告(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 広告欄には電話架設に関する広告が掲載されている。 「永らくご不自由をおかけ致しました」というのが定型文だったのだろうか。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 油島信号場を駅に昇格してほしいと陳情運動(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 東北本線の油島信号場は、周辺町村により駅昇格運動が展開されており、地元負担額についても調整が付くことになった。 地元の油島村と、隣村の永井村・涌津村の各村長が9月7日に盛鉄局を訪れ陳情するという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 一ノ関駅の夏の営業成績は旅客が低調、貨物が好調(S28.9.4岩手日日) 昭和28年の夏――戦後復興も本格化しつつあるこの時期、岩手県南の交通の要衝・一ノ関駅では、旅客数は前年より微増したものの、期待されたほどの賑わいには至らなかったようだ。 7月から8月にかけての乗降客数は以下の通りとなっていた: 7月 乗車:123,550人(前年115,127人) 降車:120,50… 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 8月 1953 一関に田端義夫が来てなつかしのメロデーを歌います!(S28.8.29岩手日日) 一関に田端義夫(バタやん)が来るという。 そして「なつかしのメロデー」やら新曲やらを歌いますと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 8月 1953 寄る辺ない老人を搾取する悪徳夫婦(S28.8.29岩手日日) 岩手日日に掲載されたゴシップ記事。 この頃の一関には、老人を搾取する悪徳夫婦がいたようである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 29 8月 1953 水沢の食料品店「あさりの佃煮100匁80円!奈良漬100円!」(昭和28年8月29日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢の食料品店では佃煮や漬物の値段を出している。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 8月 1953 一関で「ライオン歯磨映画の夕」(昭和28年8月29日) 昭和28年8月26日の岩手日日より。 ライオン歯磨ではこうした地方での宣伝活動に力を入れていたようで、一関の地主町角広場で宣伝かねて映画会をやるということであった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 28 8月 1953 農家の厄日・二百十日は安泰か(S28.8.28胆江日日新聞) 立春から数えて、210日目にあたる「二百十日」は、台風の特異日であり農家からは恐れられていた。 そんな二百十日は安泰ではないかとの仙台管区気象台の予報。 … 続きを読む