i一関・西磐井郡 1 2月 1933 一関小学校の児童宅で最も多い楽器は三味線とハーモニカ(S8.2.1岩手日報) 一関小学校の児童の家庭で最も多い楽器を調べたら、三味線とハーモニカであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1933 松屋の決算大売出し!(昭和8年2月1日) 昭和8年2月1日の岩手日報より。 松屋で決算大売出しをやるという広告を1面トップで扱っている。 昭和初期の岩手日報はたまにこんなのがあった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1932 盛岡の小学生が明治神宮参拝にいざいざ(S7.11.2岩手日報) 盛岡市内の小学生22名が明治神宮参拝に上京するというが、どうやってこの22名を選んだのかは不明。… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1932 仙台・藤崎の増築完成大売り出し(S7.11.1岩手日報) 岩手日報でも、仙台・藤崎デパートの増築完成大売り出しが宣伝された。 また、当時の藤崎の店舗案内が出ており興味深い。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 公会堂の松屋デー(S7.11.1岩手日報) 岩手県公会堂で松屋デーとして特売会をやるという記事。 ところで、一面が広告になってる時代もあったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 中等学校競技大会(S7.11.1岩手日報) この前日、中等学校競技大会が開催されたようで、陸上競技で優勝した青森師範、柔道で優勝した横手中学、弓道で優勝した盛岡中学の写真が掲載されている。… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1932 青森県警察部でニセ高文官僚(S7.11.1岩手日報) 青森県警察部に、「東京帝国大学を卒業し高等文官試験に合格した」というふれ込みの警部補が入った。 しかし、その青森県警察部には同郷の警察官が勤務していた。 それで全てがバレ、一週間で免官になってしまった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1932 愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日) 昭和7年10月31日の岩手日報より。 愛国婦人会長の本野久子は、事務総長等を引き連れて石黒知事夫人の出迎えを受けて、10月31日12時18分着の列車で盛岡に来た。 14時からの岩手支部協議会に臨んだ本野会長は「石黒知事がよくやってくださるので、岩手支部の成績は誠によろしゅうございます。本部員一同感謝… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 1月 1932 江刺市内の食料品店でビスケット祭り(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 江刺市内の食料品店でビスケット祭りがあるという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡・内丸座で「野に叫ぶもの 闘争編」「キーンの決死隊」公開(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報によると、盛岡の内丸座では「野に叫ぶもの 闘争編」と「キーンの決死隊」が上映されていました。 「野に叫ぶもの 争闘編」は、昭和6年7月23日に公開された松竹の無声映画で、鈴木伝明・高田稔・沢蘭子・及川道子らが出演。「鬼も哭かしむ大社会派劇」だったようです。 一方「キーンの… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 1月 1932 石黒知事が県北の凶作地を視察(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにした。二戸警察署長の案内で馬橇に乗り、小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かる。谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけても返事がない。奥に入ると中は真っ黒で顔も見えず、再び声をかけると藁布団から現れた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 上等うさぎ肉400瓦13銭!(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡市内の肉屋「鶏屋」では、1月10日から12日までの3日間、特売を実施していた。 広告によれば、寒の地玉子は10個で25銭、豚肉は400瓦(グラム)で30銭。 これに対し、上等うさぎ肉は同じ400瓦で13銭と、豚肉の半分以下の値段だった。 当時は鶏肉や豚肉と並び… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡〜日詰の乗合自動車の冬ダイヤ(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報に、盛岡〜日詰間を結ぶ乗合自動車の冬ダイヤが掲載されている。 運行していたのは「佐藤自動車部」という事業者で、当時はまだ地域ごとにこうした小規模事業者が路線を運営していた。 この佐藤自動車部も、戦時統合によって昭和18年に発足する「岩手中央バス」に吸収されることとなる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1932 昭和7年当時の盛岡市内の個人医院(S7.1.8岩手日報) 昭和7年1月8日の岩手日報に掲載された広告より。 当時の盛岡市内にあった個人医院は次の通りです。 阿部医院(外科・肛門科・性病科)盛岡市仁王小路 船山医院(婦人科・産科、入院室あり)盛岡市馬場町 見坊内科医院(内科一般、特に胃腸)盛岡市仁王小路 斗ヶ澤医院(乳児科・小児科)盛岡市仁王小路 井川医院(… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1932 暖冬で高松の池も氷が張らず(S7.1.6岩手日報) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、盛岡でスケートやアイスホッケーといえば、高松の池が中心的な舞台だった。しかし、この冬は異例の暖かさで氷が張らず、リンクは開設できない状態が続いていた。例年であれば正月を過ぎれば学生たちのインカレ(インターカレッジ)も行われ、氷上は賑わうはずだが、この年はそれも… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 1月 1932 宮古町で下閉伊郷軍仮装動員(S7.1.6岩手日報) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 1月4日、宮古町で下閉伊郷軍の仮装動員が行われた。 これは実際の戦時召集ではなく、平時における在郷軍人を対象とした模擬動員訓練で、参加者には「職員召集令状」が送られ、指定日時・場所に集合するという手順が取られた。 当日は、宮古町内の集合場所に元兵士らが集まり、林大佐… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1932 盛岡・村定蓄音機部「世界一のビクター蓄音機を65円で!」(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 広告欄には、村定蓄音機部がビクター蓄音機の広告を出している。 「輸入当時なら150〜160円のビクター蓄音機も時代の進歩でわずか65円に!」 ちなみに、この記事を書いている令和4年現在、村定楽器店は盛岡市材木町で盛業中である。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1932 断然斯界の権威!飯塚洋服店(昭和7年1月5日) 昭和7年1月5日の岩手日報より。 広告欄には盛岡市内丸の飯塚洋服店の広告がある。 「断然斯界の権威!優れた技術!優良なる生地!」 こんな大時代的な惹句こそが昭和初期である。 ところで、飯塚洋服店とは後年のイイヅカでショッピング〜のイイヅカ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 1月 1932 松屋デパートで初売御礼大売り出し(昭和7年1月4日) 昭和7年1月4日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、初売り御礼大売り出しを行うという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(S7.1.1岩手日報) 昭和7年1月1日の岩手日報には、新年度の写真コンクール入選作として「皆で笑って」という作品が掲載されていました。 作者は唐武作氏。画面には、屋外で三脚にカメラを構えた男性と、それに向かって笑顔を向ける子どもたちの様子が写し出されています。 岩手日報では、このように写真愛好家から作品を募り、優秀作を紙… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1932 川徳の初売(S7.1.1岩手日報) 昭和7年1月1日の岩手日報より。 盛岡の呉服店・川徳では、新年恒例の初売りが行われた。 広告には「三十銭均一」「五十銭均一」といった価格別の福袋企画があり、紅木綿、真岡薄花、白小巾モス、欝金木綿、白ネルなど、当時の日常着や晴れ着に欠かせない反物・生地が並んでいる。 新年の晴れやかな雰囲気の中、常連客… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1931 工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(S6.9.15岩手日報) 昭和6年9月15日の岩手日報によれば、盛岡の工兵第8大隊と弘前の輜重兵第8大隊による連合演習が、日詰付近の北上川両岸で実施されることになった。 これは、あらかじめ設定された想定に基づき、材料の授受や渡河訓練を行うものだという。 掲載された写真は、その前日の9月14日に撮影されたもので、盛岡(観武ヶ原… 続きを読む
i一関・西磐井郡 13 9月 1931 西磐井郡萩荘村で29歳の男が復縁目当てに放火(S6.9.13岩手日報) 昭和6年9月13日の岩手日報によれば、西磐井郡萩荘村(現在の一関市)で、ある村議の次男(29歳)が、なんとも浅はかな理由から放火事件を起こしました。 記事の大見出しは「世にも浅はか 男のお七 家事手伝いの功を狙って離縁の妻方に放火」。 ここでいう「お七」とは、井原西鶴『好色五人女』にも登場する、恋人… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 9月 1931 盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工(S6.9.12岩手日報) 昭和6年9月12日の岩手日報によれば、盛岡鉄道工場で建設が進められていた車輪・仕上職場が、いよいよ完成間近となった。着工は同年4月24日で、約7か月の工期を経て12月1日からの作業開始が予定されている。 この新しい職場では、客車や貨車の車輪交換、洗浄といった整備作業が行われることになる。写真には、工… 続きを読む
l全県 11 9月 1931 中華民国の大水害に岩手県下でも義援金(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報には、当時の中華民国で発生した未曾有の大水害に対し、岩手県内でも義援金募集が始まったことが報じられています。 1931年中国大洪水は、黄河・長江・淮河流域を襲った一連の洪水で、記録上最悪級の自然災害とされます。前年までの旱魃に続く豪雨と雪解け、さらに活発だった台風活動が重… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11 9月 1931 水沢の牛乳搾取業者(原文ママ)が安上がりな消毒殺菌装置を開発(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報より。 胆沢郡水沢町の牛乳搾取業者が、従来の汽火熱式(スチーム式)牛乳消毒殺菌器に代わる、新しい「かまど式殺菌器」を発明したという。 この装置は、昔ながらのかまどの構造を応用したもので、価格は3斗(約54リットル)容量で150円程度。従来の汽火熱式では300円ほどかかるた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1931 内丸座で「最後の中隊」「朗らかに泣け」公開(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報の広告欄より。 この日の盛岡・内丸座では、洋画と邦画の抱き合わせ上映が行われていた。 洋画はコンラート・ファイト主演のドイツ映画『最後の中隊』。広告文句には「深刻悲壮の犠牲愛血史」とあり、第一次世界大戦下の戦場で繰り広げられる重厚で悲壮な愛と犠牲の物語であることを強調して… 続きを読む