f花巻・稗貫郡 1 4月 1964 花巻空港開港 IBC「いわてアーカイブの旅」より。 昭和39年4月1日、花巻空港が開業。 https://www.youtube.com/watch?v=tfReq0jOG1c… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 3月 1964 松尾鉱山の新しい住居表示(昭和39年3月20日) 岩手郡松尾村でも昭和39年4月1日から「住居表示に関する法律」(昭和37年5月10日法律第119号)に基づいた住居表示を行うようになるということで、村の広報まつお昭和39年3月20日号で広く周知することに。 この広報自体は「松尾鉱山資料館」で売っていたような気がする。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 2月 1964 中国・武漢訪問記(S39.2.8岩手東海新聞) 中国の工業化と社会主義建設の現場では、鉄鋼コンビナートの建設が進められていたが、機械が未設置の工場や動力機械が不足している工場もあり、労働者の不満が高まる状況だった。それでも「自力更生」を掲げ、薄板工場や線材工場、パイプ工場の建設が進められていた。労働者は三交代制で働き、休暇を返上して増産に励み、生… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 2月 1964 ‘64川徳オリジナル新入学用品(S39.2.8岩手東海新聞) 昭和39年も新入学商戦に入ろうとしていた。 盛岡の川徳が釜石の岩手東海新聞に広告を出す。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1964 釜石駅から「蛍の光」で東海製鉄へ33人が転出(S39.2.7岩手東海新聞) この年の2月1日、釜石から最初の東海製鉄への転出車が送られたが、今度は第2陣の33名が転出。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 2月 1964 釜石南高校が甲子に新築移転(昭和39年2月6日) 昭和39年2月6日の岩手東海新聞より。 釜石南高校は、創立当初からの校舎を使用していたが、昭和37年に鵜住居に釜石北高校が独立したこともあり、新校舎を建設している最中であった。 そして、2月17日に移転することが決まったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 2月 1964 釜石の人口が減って8万人台になります!(昭和39年2月5日) 昭和39年2月5日の岩手東海新聞より。 東海製鉄への転出の影響で、釜石市の人口が8万人台に減るという。 それは大ニュースであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1964 東海製鉄への転出対策に名古屋から中学教師が来釜(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石は東海製鉄への転出対策に揺れていたが、教育問題もあり、名古屋から教師を呼んで打ち合わせもするようになっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1964 釜石の人が中国・広州に行ってきた(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石の人が中国に行ってきたようで、広州に行ってきた印象を語っている。 ちなみに当時は中華人民共和国との国交は無く、国交があった「中国」は中華民国つまり台湾の方。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 釜石職安「遠野の皆さん!釜石に来て働いて下さい!」(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所では、労働力不足に頭を悩ませていた。 そこで、農村地帯である遠野の労働力に釜石に来てもらおう、というキャンペーンを張ることになった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 釜石の衣料品店は一斉休業日を設けます!(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石市内の衣料品店で結成される「釜石線維同友会」では、一斉休業日を設けるようにした。 2月は第2・第4火曜日に休むという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 吉里吉里中学校に特別教室完成(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 大槌町の吉里吉里中学校に特別教室棟が完成したという。 また、非常階段も設置されたという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 日本計算機は35,000円(S39.2.1岩手東海新聞) 広告欄より。 機械式の「日本計算機」は35,000円であったという。 この時期の大卒初任給は2万円だった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 東海製鉄の社長が釜石を訪問(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 愛知県の東海製鉄では、その操業開始に当たって釜石製鉄所の労働者も7〜800人欲していた。 そこで、社長自らが釜石まで来たのである。 希望者は1000人程度いたが、800人弱まで絞ったのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 釜石で「ビル」といえば浜町の市営ビルだった(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 釜石市内の肉屋が広告を売っている。 その名も「ビルの工藤」。 まるで釜石市内にはビルは釜石市営ビルしかないかのように。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 2月 1964 赤羽根スキー場でスキー場開き(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 遠野市と釜石市の間にある赤羽根スキー場でスキー場開きを行ったという。 釜石でスキー場といえば赤羽根スキー場で、昭和の終わりごろになると、笛吹峠の近くに「青ノ木スキー場」がオープンする。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 1月 1964 水洗に勝るスーパー便所!(昭和39年1月17日) 昭和39年1月17日の岩手東海新聞より。 広告欄には「スーパー便所」として、水洗便所に勝るトイレを広告している。 水洗便所は、下水道が整備されていないと設置できないので、「水洗便所に勝る」何かが求められていたのだろう。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 1月 1964 釜石で電話を付けるためには7倍の競争率(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局管内の加入電話の希望者は7倍の倍率となっていたと言う。 まだ自動化する前の話。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 1月 1964 釜鉄小川体育館で成人式(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 釜石市の成人式は、釜石製鉄所小川体育館で行われた。 女性の出席者は、訪問着姿が多かったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 1月 1964 大槌小学校では廃品回収で修学旅行資金を稼ぐ(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 大槌小学校では廃品回収で修学旅行を稼ぎ、1人の欠席者も出さないと意気込んでいた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1964 テレビ・ラジオ番組案内(昭和39年1月14日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 釜石で視聴できるテレビ・ラジオの番組表は以下の通りだった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1964 釜石電報電話局は昭和40年度内の自動化を目指す(昭和39年1月14日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局は、この時点ではまだ自動電話ではなく、交換手が交換する方式であったが、昭和40年度までに自動化する計画であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 1月 1964 そのうち花巻空港も開港するから釜石に行く県道も舗装して(昭和39年1月13日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 4月の花巻空港の階高を控え、花巻と釜石を結ぶ主要県道も舗装してほしいと議員に要請した。 当時は、舗装した道自体が珍しかったのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 1月 1964 盛岡の川徳が成人式セール(S39.1.11岩手東海新聞) 昭和39年1月11日の岩手東海新聞に掲載された川徳の全面広告は、当時の岩手県における経済地図を如実に物語っています。岩手東海新聞は釜石を中心とした沿岸南部を地盤とする地方紙であり、県都・盛岡にある川徳が、一関の岩手日日新聞や水沢の胆江日日新聞ではなく、あえてこの紙面にこれほど大きな広告を打った事実に… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 1月 1964 釜石郵便局では正月返上で郵便の滞貨を解消へ(S39.1.11岩手東海新聞) 昭和39年1月11日の岩手東海新聞は、釜石郵便局が直面した異例の正月風景を伝えています。当時の日本は高度経済成長の真っ只中にありましたが、郵政現場では全逓による非常に戦闘的な超勤拒否闘争が繰り広げられていました。この実力行使は年末から全国的に波及し、一時は小包の受け付け制限を余儀なくされるほど郵便物… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 1月 1964 釜石・錦館では「暁の合唱」「関東無宿」「見上げてごらん夜の星を」の三本立て(S39.1.8岩手東海新聞) 昭和39年1月8日の岩手東海新聞を開くと、当時の釜石・錦館がいかに活気に満ちていたかを物語る映画広告が目に飛び込んできます。1月9日から14日にかけて上映されていたのは、楽しさを満載した豪華3本立という贅沢なラインナップでした。当時の娯楽の王様であった映画の勢いを感じさせるこの紙面には、今では伝説と… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 1月 1964 釜石国際劇場で「魚雷艇109」「ドノバン珊瑚礁」上映(S39.1.7岩手東海新聞) 昭和39年1月7日付の岩手東海新聞に掲載された、釜石国際劇場の宣伝広告を振り返ります。東京オリンピックを控えた1964年の幕開け、釜石の街で上映されていたのは、奇しくも時代のうねりを象徴するような洋画の2大巨編でした。 Screenshot 広告の左側を大きく飾るのは、ジョン・F・ケネディ大統領の若… 続きを読む