m県外・参考 2月 2日 1966 令和でも通じるセンスのキャベジンの広告(昭和41年2月2日) 昭和41年2月2日の岩手日報の広告欄より。 キャベジンの手書き風広告は令和4年となったこの記事を書いている現在でも通用しそうなセンスである。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 2月 2日 1966 大船渡市立赤崎服装学院が閉校へ(昭和41年2月2日) 昭和41年2月2日の岩手日報より。 大船渡市立赤崎服装学院は生徒数の不足で3月に閉校するという。 昭和25年に「赤崎公民学校」として当時の赤崎村に開校し、中学校を卒業した女子を対象に洋裁教育をしてきた。 昭和30年には経営が市に移管され、「赤崎服装学院」となった。 定員は2年制の本科が60人、1年間… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 1日 1966 羽田~花巻にYS11が就航し、八戸便と分離します!(昭和41年2月1日) 昭和41年1月14日の岩手日報より。 羽田~花巻は、これまで八戸便の途中寄港という形を取っていたが、利用客が増えたことにより2月1日から羽田~花巻と羽田~八戸を分離することに。 そして、花巻便の機材をコンベア240からYS11に変更し、八戸便の機材はコンベア240にするという。 ダイヤは以下の通り。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2月 1日 1966 県内の水産高校が共同利用する実習船「宮古丸」が宮古港に到着(昭和41年2月1日) 昭和41年2月2日の岩手日報より。 県内の水産高校が共同で利用する実習船「宮古丸」が室蘭港を出航し、宮古港に到着した。 宮古港では宮古水産高校のブラスバンド部など全校生徒や漁業関係者が盛大に出迎えた。 宮古丸は室蘭の楢崎造船で建造され、総トン数190トン、全長31m、幅6.6m、エンジン620馬力、… 続きを読む
m県外・参考 1月 30日 1966 昭和41年の扇千景(昭和41年1月30日) 昭和41年1月30日の岩手日報の広告欄より。 もはや岩手には関係ないが、パブロンの広告で扇千景が出ているので。 昭和8年5月10日生まれの扇千景はこの時点で32歳。 また、動物実験について誇らしく載せているのも時代相だろうか。 今なら出演するタレントによっては「動物実験には反対だから私は広告を降りる… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 29日 1966 盛岡の立春の風物詩は金魚売りだった(昭和41年1月29日) 昭和41年1月29日の岩手日報より。 盛岡では立春(2月2~3日頃)になると金魚売りが出始めていたという。 しかし1月の末だとそれには早いので、記事の表現をそのまま使うと「道行く人たちをびっくりさせた」のだという。 つまり道行く人たちは二十四節気の「立春」を常に分かっており、その時期には金魚売りが出… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 15日 1966 盛岡・中央ホールで大映映画「ザ・ガードマン 東京用心棒」「刺青」を公開します(昭和41年1月15日) 昭和41年1月14日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・中央ホールはこの時期「大映専門館」であったようで、翌15日に「ザ・ガードマン 東京用心棒」と「刺青」を公開するという。 「ザ・ガードマン 東京用心棒」は昭和40年12月11日初公開で、宇津井健が主演のアクションもの。 「刺青」は谷崎潤一郎原作の小説… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1966 向中野学園高校「新年度から保育科を設置します!」(昭和41年1月12日) 昭和41年1月12日の岩手日報の広告欄より。 向中野学園高校では、新年度より保育科を設置するという。 同校にはこの当時普通科が無く、生活科・家政科・専攻科があった。 同校はその後、平成13年(2001年)に盛岡スコーレ高校として共学化されている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1966 岩手プリンス自動車の中古車在庫情報(昭和41年1月12日) 昭和41年1月12日の岩手日報の広告欄より。 岩手プリンス自動車が中古車情報を掲載している。 グロリアやスカイラインといった自社のものだけではなく、トヨタ車まで扱っている。 … 続きを読む
m県外・参考 1月 11日 1966 岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日) 昭和41年1月11の岩手日報には、岩手日報の編集局長が自ら南ベトナムへ飛び、その様子を取材した様子を報じている。 この時期、ベトナム戦争は激化し、民間人への虐殺が相次いでいた。 Wikipediaに記述があるだけでも、以下のようなことが起こっている。 1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 11日 1966 花泉町で成人記念の献血(昭和41年1月11日) 昭和44年1月12日の岩手日報より。 この年の西磐井郡花泉町の成人者は205名いたが、会場となる花泉町公民館では「交通事故が増えているので、血液が不足している時でもあり、献血してはどうか」と提案、青年たちも賛成し、盛岡の日赤岩手県本部から献血車「まごころ号」を回送してもらった。 そして新成人30人が… 続きを読む
l全県 1月 1日 1966 1月1日からの消費者米価と配給品目(昭和41年1月1日) 昭和41年1月4日の岩手日報の広告欄より。 この時点の食糧管理制度上はまだ米は「配給」されるものだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 23日 1965 岩手トヨタ「パブリカ中古車コーナーお気軽にどうぞ!」(昭和40年10月23日) 昭和40年10月23日の岩手日報より。 岩手トヨタでは、パブリカの中古車広告を出している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 23日 1965 盛岡・東宝第一劇場で「六條ゆきやま紬」「喜劇 各駅停車」公開(昭和40年10月23日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 盛岡の東宝第一劇場では、「六條ゆきやま紬」「喜劇 各駅停車」を公開する。 「六條ゆきやま紬」は、昭和40年10月9日公開の東宝映画で、出演は神山繁・高峰秀子など。 「喜劇 各駅停車」は、昭和40年9月18日公開の東宝映画で、出演は森繁久彌・森光子。三木のり平な… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 22日 1965 山田町の町章は山口相互銀行の行章のパクリではないと分かったが…(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 山田町の町章は、山口相互銀行のパクリではないかと指摘された。 結局、その指摘は真実ではないということになったが、しばらく町章を使用するのは控えようということになった。 ちなみに、現在の町章はこの5年後の昭和45年に制定された。 … 続きを読む
l全県 10月 22日 1965 農閑期を利用して神奈川県に出稼ぎしましょう!(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 岩手県内の複数の職業安定所で、神奈川県内の複数の事業所による求人広告を出していた。… 続きを読む
f科学技術・情報通信 10月 22日 1965 岩手でも報じられた朝永振一郎のノーベル賞(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 朝永振一郎のノーベル賞は、岩手日報でも報じられていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 21日 1965 盛岡電話局の交換嬢が不当処分反対のゼッケンで勤務(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 盛岡電話局では、4月の春闘半日デモで1569人もの組合員が処分されたのに抗議して、交換嬢たちがゼッケンをつけて勤務することとなった。 … 続きを読む
l全県 10月 21日 1965 1平米で設置できるコンパクトな風呂「ほくさんバスオール」(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 1平方メートルつまり半畳で設置できるという風呂「ほくさんバスオール」の広告。 当時であれば、集合住宅などに当然のように風呂があったわけではなく、「もらい湯」という習慣も残っていただろうからそれなりに重宝したのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 21日 1965 盛岡・亀半で秋冬物奉仕会(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 盛岡の呉服店「亀半」では、秋冬物の特別奉仕会を行う。 一定の世代であれば、テレビやラジオで〽️呉服の亀半〜 は覚えているだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 20日 1965 国勢調査表が岩手県庁から東京に輸送される(昭和40年10月20日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 昭和40年は、5年に1度の国勢調査の年であったが、その国勢調査を集めて、岩手県庁での点検作業が終わり、東京の総理府統計局に積み出す作業が前倒しで終了した。 他県では、徳島県と埼玉県で積み出し作業が終わったと言うニュースが入っており、このままでいけば、全国で3番… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 18日 1965 盛岡日活で「悪太郎伝 悪い星の下でも」「夜霧の脱出」公開!(昭和40年10月18日) 昭和40年10月16日の岩手日報より。 盛岡日活では「悪太郎伝 悪い星の下でも」「夜霧の脱出」を公開する。 「悪太郎伝 悪い星の下でも」は、昭和40年8月25日公開の日活映画で、出演は山内賢・多々良純など。 「夜霧の脱出」は、昭和40年6月9日公開の日活映画で、二谷英明・葉山良二・山本陽子などが出演… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 18日 1965 葛巻町と岩泉町の間の国境峠(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 「峠の秋」と言うシリーズ物記事の5回目。 岩手郡葛巻町と下閉伊郡岩泉町の境界にあるこの峠は、「国境峠」と呼ばれている。 読みは「くにさかい」で、盛岡市と下閉伊郡川井村の境界にある区界峠と全く同じ発音になってしまうと言う。 カーブの多い峠道で「破折注意」「標高六… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 18日 1965 盛岡の南大通に弘前相互銀行の支店が開店(昭和40年10月18日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 弘前相互銀行の南大通支店が、10月18日に営業を開始した。 弘前相互銀行とは、現在のみちのく銀行のこと。 「弘前相互無尽」の頃から、岩手県内で積極的に営業を繰り広げていた。 令和4年現在、みちのく銀行で岩手県内にある支店は、盛岡支店と久慈支店のみになっている。… 続きを読む
l全県 10月 18日 1965 リッカーの家電事業進出による大量募集!(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 リッカーミシンが家電事業に進出することにより、社員をしんきぼしゅうすることになった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 18日 1965 盛岡で中古車展示即売会(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 盛岡の仙北町駅前で中古車の展示即売会を行うという。 昭和33年型のオースチンは4万円だと。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 10月 16日 1965 江釣子村にモミ処理センター(昭和40年10月16日) 昭和40年10月16日の岩手日報より。 江釣子村にモミ処理センターが完成し、早場米をどんどん処理しているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 15日 1965 南極観測隊に川徳デパートから岩手県の特産品をどっさりプレゼント(昭和40年10月15日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 11月から南極観測隊が再開されるに際し、川徳デパートでは岩手県の特産品350,000円相当をプレゼントすることにした。 南極観測は昭和40年で第7回目を迎えることとなった。 それまでは、南極観測統合推進本部から川徳デパートに対し、岩手県の特産物が注文されていた… 続きを読む