備考※6a

県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日)

昭和25年2月1日の岩手日報より。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した…
川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報)

昭和25年1月12日付の新岩手日報には、戦後日本の混乱と庶民のたくましさを象徴するような、驚くべき光景が記録されています。その記事が伝えているのは、隠退蔵物資と呼ばれた旧日本軍などの横領物資が摘発され、市民に安く放出された際の異様なまでの熱狂です。隠退蔵物資は、本来ならば終戦直後に国民へ分配されるべ…
小田野柏選手(福岡中学出身)が新生・毎日オリオンズ入り(昭和25年1月9日) b二戸・二戸郡

小田野柏選手(福岡中学出身)が新生・毎日オリオンズ入り(昭和25年1月9日)

昭和25年1月9日の新岩手日報より。 プロ野球では、リーグ分裂騒ぎとなっていたが、パシフィックリーグのほうに新たに誕生する。毎日オリオンズに福岡中学出身の小田野柏選手が入団することになった。 この小田野柏、長らく「岩手県出身のプロ野球選手」としてメディアなどに名前の出る存在となり続けるが、プロ野球選…
岩手「ヤミの女」事情(S24.5.18新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手「ヤミの女」事情(S24.5.18新岩手日報)

昭和24年5月18日付の新岩手日報は、戦後復興の只中にあった岩手の社会情勢を鮮烈に伝えています。当時の盛岡警察署、現在の盛岡東署が実施した風紀取締週間の記録によれば、夜の街に立つ女性は盛岡で約200名、釜石で40名、宮古で20名から30名に及んでいたといいます。この記事で最も目を引くのは、彼女たちの…
ドッジ・ラインで岩手にも工場倒産の嵐(S24.5.10新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ドッジ・ラインで岩手にも工場倒産の嵐(S24.5.10新岩手日報)

昭和24年(1949年)、戦後日本の経済を立て直すために実施されたドッジ・ラインが岩手県内の地場産業にどのような影響を与えたのか、当時の新岩手日報の記述から辿ります。 まず、この記事の背景にあるドッジラインについて解説します。これは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の経済顧問ジョゼフ・ドッジが打ち…
盛岡でお釈迦様の生誕を祝う花まつり(S24.5.9新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡でお釈迦様の生誕を祝う花まつり(S24.5.9新岩手日報)

昭和二十四年五月八日、盛岡では一月遅れのお釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」が開かれた。 Screenshot 主催は盛岡市仏教会で、市内の寺院が協力して行われる年中行事として戦後も受け継がれていた。この日の岩手県公会堂には、なんと一〇〇〇名ものお稚児さんが集まったという。白い装束に花冠をつけた子ども…
半陰陽の女子医大生が盛岡に来て誘拐騒ぎ(S24.5.8新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

半陰陽の女子医大生が盛岡に来て誘拐騒ぎ(S24.5.8新岩手日報)

昭和二十四年五月八日の新岩手日報には、少し不穏な記事が載っていた。当時、全国では「半陰陽(インターセックス)」と呼ばれた女子医大生が、女子医専の学生を誘拐するという事件が話題になっていたらしい。戦後間もない混乱期ということもあって、性に関する理解が浅い時代であり、センセーショナルな扱われ方をしていた…
盛岡中劇で「地下街の弾痕」公開(S24.5.8新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡中劇で「地下街の弾痕」公開(S24.5.8新岩手日報)

盛岡中劇で「地下街の弾痕」を翌日(S24.5.9)に公開するという。 「地下街の弾痕」は、昭和24年5月2日に初公開の大映作品で、「大映京都が国家警察大阪管区本部の指導を受けて制作する密輸団検挙に活躍する警官隊の労苦をえがいた映画」なのだそうだ。 出演は二本柳寛・京マチ子・志村喬など。  …
西磐井郡金沢小・中学校は全焼し「青空教室」(S24.5.7新岩手日報) i一関・西磐井郡

西磐井郡金沢小・中学校は全焼し「青空教室」(S24.5.7新岩手日報)

西磐井郡金沢村の金沢小・中学校は全焼してしまったので「青空教室」に。 ところで、昭和の大合併まで岩手県には「金沢村」が2つあり、この西磐井郡金沢(かざわ)村(のちに花泉町となり現在は一関市)と、上閉伊郡金沢(かねざわ)村(現在は大槌町)があった。  …
石鹸は登録しないと買えなかった(S24.5.6新岩手日報) l全県

石鹸は登録しないと買えなかった(S24.5.6新岩手日報)

昭和24年5月の新岩手日報に掲載されたこの告知は、現代の私たちには想像もつかない「石鹸が貴重品だった時代」の記憶を鮮明に伝えています。当時、石鹸は今のようにドラッグストアで自由に買える日用品ではなく、政府の管理下で一人ひとりに割り当てられる配給品でした。 その最大の理由は、石鹸の主原料である牛脂やヤ…
新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日)

昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡にあった官立の専門学校であった盛岡高等農林学校、盛岡高等工業学校、岩手師範学校は、学制改革により9月から新たに「岩手大学」として発足する予定であった。 その学生を募集するという広告である。 事務局は、専門学校としては最も歴史のある盛岡高農に置かれていた。 &…