a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1938 銃後の盛岡市民もお花見(S13.4.22岩手日報) 盛岡もお花見のシーズンになっていたが「銃後」などという言葉が付いている。 日中戦争が始まった時期だった。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 4月 1938 江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」 昭和13年4月20日の岩手日報より。 江刺郡広瀬村では、バス路線からも遠ざけられ、電話も無いという状態だった。 それで、役場では昭和13年度の予算で村役場と郵便局に電話機を付けることにした。 そして村長は前日19日に仙台逓信局を訪れ「回線を引いてほしい」と請願したのであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日) 昭和13年4月20日の岩手日報より。 厚生省は、岩手県を通じて「戦時疾病に備え花柳病予防の診療所を設置するように」と、盛岡市に要請してきたのだという。 これに対し、盛岡市では内丸の診療所を拡張設備することで対応することにしたようである。 そこで、診療所の裏手の県経済部長官舎を明け渡してほしいと県に交… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 4月 1938 岩谷堂~高田松原に定期バスを運行 昭和13年4月20日の岩手日報より。 胆江自動車では、5月1日から高田松原~岩谷堂に定期バスを走らせ、東海岸の観光客を大いに募ることにしたのだという。 時刻は以下の通り。 岩谷堂7:30 → 高田松原 10:30 高田松原 15:00 → 岩谷堂 18:00 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 戦前期の松屋デパートのフロア構成? 昭和13年4月20日の岩手日報の広告より。 「戦捷お花見大売出し」という松屋デパートの広告なのだが、この時期だと戦時協力色を打ち出さないと娯楽も商売もやりにくかったのだろうか。 また、松屋デパートの各階の案内?と思われる意匠となっている。 地下ではモロゾフのチョコレートなんて売ってたんだね。 &nb… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7 3月 1938 花巻中学の卒業生の上級学校志願状況 昭和13年3月7日の岩手日報より。 この年、花巻中学(現:花巻北高)を卒業したのは34名。 このうち上級学校志願者は18名で、学校別には以下の状況であったという。 岩手医学専門学校 2名 秋田鉱山専門学校 1名 横浜高等工業学校 1名 陸軍士官学校 1名 神宮皇學館 1名 早稲田大学 1名 二高 1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 3月 1938 盛岡~日詰のバスを木炭自動車に改造 昭和13年3月7日の岩手日報より。 日中戦争も泥沼化の様相を呈し「ガソリンの一滴は血の一滴」の時代になっていた。 それで東京市のバスの半分はすでに木炭バスに改造され、盛岡~日詰のバスを経営する盛岡市内丸の佐藤自動車店でも、1台を木炭自動車に改造する計画であるという。 また、繋温泉に行くバスも木炭車に… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 3月 1938 女工契約を装い前渡金を詐取した村役場吏員(昭和13年3月6日) 昭和13年3月6日の岩手日報より。 江刺郡伊手村の35歳の書記は出稼ぎ指導員でもあったが、女工の募集に来た滋賀県の近江絹糸の募集員に、村内の2名の少女(17歳、16歳)と勝手に契約を結び、前渡金70円を自分が詐取したということで、執務中に岩谷堂警察署に連行されることとなった。 ところがこの書記、この… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 3月 1938 江刺郡稲瀬村に「精農塾」 昭和13年3月5n日の岩手日報より。 江刺郡稲瀬村に、この年度の経済厚生助成事業として、稲瀬小学校の隣に「精農塾」を設置することとした。 これは、青年修養施設として、青年団員や青年学校生徒を合宿させ、農民精神の高揚や村有地の開墾事業を行わせるというもの。 精農塾には、農具はもとより荷車、農薬といった… 続きを読む
l全県 5 3月 1938 「国策に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」! 昭和13年3月5日の岩手日報の広告欄より。 「国産に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」と大々的に広告を打っている。 この時は日中戦争期、「国策に順応している」ことが充分に惹句になりうる時代に突入していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 3月 1938 釜石にはびこる鉄屑泥棒 昭和13年3月4日の岩手日報より。 「鉄の都」として軍事的にも重要な位置にあった釜石であったが。釜石製鉄所構内から鉄屑や鉄製品を盗み出す少年窃盗団が検挙されたという。 この少年たちが自白しただけでも75件。200円前後であったというが、この手の被害が増加しており、警察では全滅の為に努力していくとして… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1938 釜石の印刷所で不穏なトラブル(昭和13年3月3日) 昭和13年3月3日の岩手日報の広告欄より。 釜石市内の印刷所で何やら不穏な裁判沙汰があったらしい。 釜石で営業していた東海印刷所は、遠野区裁判所を通じ岩手日報社に仮処分の申請をされたらしい。 しかしそれは「巧妙陋劣なる申請」であり「岩手日報社の干渉を受ける理由はない」として突っぱねている。 そしてそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 6月 1937 北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文 昭和12年6月10日の岩手日報より。 当時、県知事は官選であり、内務省の官僚であったから、数年で別の任地に転出するのが普通であった。 現在でいう県警察本部長のようなものであると考えれば丁度いいだろう。 そのような中でも、第18代石黒英彦知事は、昭和6年12月18日に奈良県知事から転任し、以降昭和12… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 6月 1937 盛岡・衆楽座で松竹映画「浪華悲歌」封切! 昭和12年6月10日の岩手日報より。 盛岡の衆楽座で松竹映画「浪華悲歌」を封切。 監督は溝口健二で主演は山田五十鈴。 Wikipedia日本語版の独立項目となっており、キネマ旬報でも昭和12年の映画ベストテンに入っている。 ちなみに、衆楽座は後年、洋画専門館「国民劇場」(国劇)となって… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 6月 1937 貧しい傷痍軍人に対し授産の養鶏講習 昭和12年6月9日の岩手日報より。 支那事変で戦争が発生すれば傷痍軍人が発生する。 傷痍軍人を一生職もなく遊ばせておくほどの国力は日本にはなかった。 だから何かをして働いてもらわないといけない。 それで、盛岡連隊区司令部職業補導部では、名誉の戦傷を受け貧困に陥っている家庭の為に、6月15日~21日に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 6月 1937 「雫石アネコ」の田植えを見物に行こう 昭和12年6月10日の岩手日報より。 見出しは「色とりどり雫石名物 美しの早乙女が泥田に描く詩情」。 令和になった今でも道の駅の名前になっているなど、雫石町の観光資源となっている「雫石あねっこ」であるが、それは戦前からだったようである。 岩手日報社により、雫石アネコの見物団が組織され、川口村長、盛岡… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1937 市制間もない釜石市に散水車お目見え 5月5日に盛岡市に次いで2番目に市制したばかりの釜石市で、6月1日に市章入りの散水車がお目見え。 未舗装の道路が多かった時代、砂塵止めのために散水車が必要であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 5月 1937 盛岡~日詰のバスは佐藤自動車(昭和12年5月28日) 昭和12年5月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手県交通の前身の一つである岩手中央バスは、国家総動員法に基づいて制定された陸運統制令(昭和15年1月31日勅令第37号)によって、盛岡周辺の小規模なバス事業者が統合されて成立したものである。 いわゆる「戦時統合」「戦時合併」として知られているものだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 5月 1937 第32回目の海軍記念日 岩手では(昭和12年5月27日) 5月27日の海軍記念日は、日露の戦役で日本海海戦に勝利したことを記念して制定された。 第32回の記念日となる昭和12年のこの日は、岩手県内で以下のことが行われた。 盛岡市内各小学校でZ旗の掲揚。 Z旗は前日に盛岡海軍部・岩手艦橋会から寄贈されたもの。 岩手県公会堂では講演会と映画会。 講演講師は盛岡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 5月 1937 松尾鉱山の文盲鉱夫と盛岡の悪い女 盛岡区裁判所で行われた裁判より。 山形県の山中で生まれ、あまりに僻地であることから3か月しか学校へ行かずに字が読めず、九州の炭鉱などで鉱夫として働いていた。 生母と生き別れになっていたが、その生母が盛岡にいることが分かり盛岡へ行き、松尾鉱山で働くようになった。 ところが鉱夫仲間の時計を盗んで盛岡市内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 5月 1937 海軍記念日には盛岡市内各小学校でZ旗を掲揚します(S12.5.19岩手日報) 5月27日は海軍記念日。 それで、盛岡市内各小学校ではその日に海軍のZ旗を掲揚するという手筈になっていた。 ちなみに、なぜ「Z旗」なのかというと、Zはアルファベットの一番最後で「この戦いに敗れたら後はない」という意味合いなのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1937 岩手公園で岩手医専の運動会(S12.5.18岩手日報) 岩手公園で岩手医専(現:岩手医科大学)の運動会が行われたという。 中等校リレーというのは、これは岩手中学のことだろうか。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 18 5月 1937 帝大の怪腕投手緑川伝作が福岡中学に英語教師として赴任(S12.5.18岩手日報) 東京帝大の怪腕投手として知られた緑川伝作が、福岡中学に英語教師として赴任し、野球部の副部長になったという。 ちなみに緑川は福島・安積中学から山形高校を経て帝大に入学した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1937 盛岡電燈のラヂオ大売出し!(昭和12年5月18日) 昭和12年5月18日の岩手日報より。 盛岡電燈ではラジオを大売出ししている。 4球ラジオで37〜38円であると言う。 ちなみに盛岡でラジオの放送が始まるのは翌昭和13年8月なので、この当時は仙台放送局で聴こえるものを聴いていたのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1937 大阪文楽の人形浄瑠璃が盛岡劇場に来ます!(昭和12年5月18日) 昭和12年5月18日の岩手日報より。 6月5日に、盛岡劇場で人形浄瑠璃が行われるという。 これは、函館公演が予定されており、その途中に盛岡に寄るのだという。 浄瑠璃なら道具もかなり嵩張るので貨物列車で運んだのだろうか。 … 続きを読む
m県外・参考 18 5月 1937 昭和12年の怪しい情報商材広告 昭和12年5月18日の岩手日報の広告欄より。 「これだ!金儲の早道」などと書いてるので、現在のyoutubeの早口広告のような怪しい情報商材広告かと思ったら「世界最大・銀狐兎の飼育」という。 業者は岩手県内ではなくはるか大阪は布施市(現:東大阪市)からで、全国の地方紙に同様の広告を出していたのだろう… 続きを読む