備考※6h

仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日)

昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。    …
1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) b二戸・二戸郡

1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日)

昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の…
盛岡では電話交換手にすら繋がらない(S26.8.7夕刊いわて) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡では電話交換手にすら繋がらない(S26.8.7夕刊いわて)

昭和二十六年当時の盛岡では、現在のようにダイヤルを回せば自動的に相手につながる“自動式電話”はまだ普及していませんでした。 市内で主流だったのは 「共電式」 と呼ばれる方式。受話器を上げるとまず電話局につながり、交換手に相手の番号を告げて接続してもらう、という仕組みです。 Screenshot とこ…
盛岡・肴町商店街と警察・市役所が車馬通行をめぐって対立(S26.8.6夕刊いわて) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・肴町商店街と警察・市役所が車馬通行をめぐって対立(S26.8.6夕刊いわて)

夜店計画に“待った” —— アーケード前夜の肴町商店街と交通問題 昭和二十六年八月六日付の「夕刊いわて」には、当時の盛岡市肴町商店街が直面していた“夜店問題”が大きく取り上げられている。 Screenshot 現在の肴町といえばアーケード街として知られ、歩行者がゆったり買い物を楽しめる空間が整備され…
盛岡の河南にも電報が打てる郵便局を(S26.8.3夕刊いわて) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の河南にも電報が打てる郵便局を(S26.8.3夕刊いわて)

この当時、盛岡で電報が打てるのは中央通にある盛岡電報電話局の他、駅前・本町・上田・仙北町と、仙北町以外は河北で、肴町・八幡町といった河南は電報の打てる所が無い状態だった。 仙北町駅前にしたって、明治橋を渡っていかないといけないわけで、そういう意味では狭義の「河南」には皆無という状態だった。 それで新…