a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 28日 1950 豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年は食糧事情が好転し、米食率が73%で「戦後最良」であったという。 というか、73%しか米を食べれなくても、それは「良い方」だったらしい。 ともかくも、配給は「いも」「粉」に代わって米が1か月に22日分も配給されたのだという。 しかし、精米所が足りず遅配とな… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 28日 1950 花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 花巻町の電話が、磁石式から共電式に変更になる旨、花巻電話局に通知があった。 近く本格的な工事に取り掛かるということで、花巻町が「花巻市」になることを見込んで、余裕のある要領にするように計画されるといい、共同線の「鈴なり電話」も解消される見込みであるという。 &n… 続きを読む
l全県 9月 28日 1950 山のボンペイ街のチャコ(360)お魚が真っ黒焦げ(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 当時連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」より。 ボンペイとチャコは七輪での焼き魚を見ているようチャコのお母さんに頼まれる。 ところが焼き過ぎて黒焦げにしてしまった。 それをお母さんは怒るでもなく「がまんしていただきましょうね」と。 後年であれば、発がん性… 続きを読む
l全県 9月 28日 1950 国勢調査にご協力ください!(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年の10月1日に国勢調査が予定されていた。 日本では大正9年(1920年)に第1回の国勢調査が行われ、昭和20年に行われなかった以外は「0」「5」の付く年に行われ、1950年は第6回目となった。 この国勢調査の意義として「日本再建の基礎となる重要資料」として… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 28日 1950 東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同大一座が盛岡劇場・水沢劇場に来る(昭和25年9月28日) 昭和25年9月27日の岩手日報の広告欄より。 「女団十郎来る!」と題して、東京大歌舞伎の沢村茂美次・市川鯉三郎合同一座が盛岡と水沢で公演する旨を広告している。 スケジュールとしては、9月27日は盛岡劇場、翌9月28日が水沢劇場。 まず「沢村茂美次」というのが、調べてもあまり情報が出てこ… 続きを読む
l全県 9月 27日 1950 東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 昭和25年度の一級種審査会は、9月27日10時から仙台国税局で国立醸造試験所長を招き行われた。 審査項目は官能検査(実際に味わう)、化学審査で、東北6県の116店のうち、95点が一級種として合格した。 県別の合格率は以下の通り。 青森 84.6% 岩手 92.3… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 26日 1950 全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日) 昭和25年9月27日の岩手日報より。 全専売労働組合の中央大会が、盛岡市上田の専売公社盛岡支所新講堂で行われた。 この時期はレッド・パージの時期で、専売公社側は共産党員のリストを作成し、良くても100名程度、ひどい場合は3~400名程度の人員整理があるのではないかと予想していた。 また、この年の6月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 26日 1950 GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日) 昭和25年9月27日の岩手日報より。 GHQ東北民事部のオースチン教育課長が、岩手県内の敎育状況視察の為に9月26日に盛岡に来て県教育長や教育委員と懇談した。 その席上、以下のようなことを述べた。 11月に予定されている教育委員の選挙は、組合色の強い教員の立候補はよくない。PTAが中心に政治色の無い… 続きを読む