月: 1958年7月

ライオン石鹸が江刺町内各地で巡業映画会(昭和33年7月26日) h水沢・江刺・胆沢郡

ライオン石鹸が江刺町内各地で巡業映画会(昭和33年7月26日)

昭和33年7月26日の岩手民声新聞の広告欄より。 ライオン石鹸では、8月に江刺町内各地の公民館や小学校でで巡業映画会を開くようであった。 「ご愛用者を御招待」というよりは、むしろ販促イベントの意味合いが強かったのではないだろうか。 映画としては東宝「無法松の一生」とフランス映画「赤い風船」。 「無法…
「全国第二の町」江刺町の鉄道計画(昭和33年7月26日) h水沢・江刺・胆沢郡

「全国第二の町」江刺町の鉄道計画(昭和33年7月26日)

昭和33年7月26日の岩手民声新聞より。 昭和30年に岩谷堂町を中心に江刺郡の町村を大同合併した江刺町は、人口5万を超え「全国第2の町」となっていた。 しかし、悲しいかな鉄道だけが無いのだ。 それで、工場誘致や総合開発でどれだけ悲哀を味わわされてきたことか。 それで、昭和15年には岩谷堂町・伊手村・…
一関地区の中学校では免許外担当授業の教員が半数以上(昭和33年7月6日) i一関・西磐井郡

一関地区の中学校では免許外担当授業の教員が半数以上(昭和33年7月6日)

昭和33年7月6日の岩手報知より。 岩手県教組西磐井支部では、勤評と定員増の運動資料とするために、中学校の免許外教科の担当状況調査を進めていた。 その状況は、中学校教員の240人中129人が免許外を担当しており、割合が53%に上っていた。 週の時間数はのべ1,142時間で、免許外教科はのべ711科目…
一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日) i一関・西磐井郡

一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日)

昭和33年7月4日の岩手報知より。 この当時、東北本線の複線化は着々と実現しており、昭和33年度のうちには前沢〜水沢の複線化が完成する予定であったと言う。 また、この区間は、盛鉄局で初めてと言われるコンクリート枕木を使用することになったのだが、このコンクリート枕木は、技術を要するものであるだけに工事…
一関保健所「犬は繋いでおきましょう!」(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

一関保健所「犬は繋いでおきましょう!」(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関保健所では、飼い犬をつないでおくように注意喚起している。 繁殖期で犬の気が荒くなっているからではないかと見られていた。 犬にかみつかれた人が増加しており、昭和33年に入ってからも郵便配達から子供に至るまで10件を数えているという。 危険な犬はもちろん処分、飼い…
一関保健所「粗悪な氷水のシロップに注意!」(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

一関保健所「粗悪な氷水のシロップに注意!」(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 夏真っ盛りではあるが、一関保健所は氷水のシロップに注意するように注意喚起している。 「普通味付けに使うシロップは、天然の果汁ではなく、着色料・芳香剤・甘味料などを業者が別々に購入して各自が調合している。 ところが着色料には体に害のある不良品が往々にしてあり、このよ…
昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月…
一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 昭和23年4月1日に一関町は周辺の山目町・中里村・真滝村を合併し、盛岡・釜石・宮古に次ぐ県内4番目の一関市として市制した。 それから10年が経過し、10周年記念式典を行うこととなった。 そこで、以下のような記念行事を行うこととなった。 物故職員慰霊祭(7月2日、願…