h水沢・江刺・胆沢郡 7月 26日 1958 ライオン石鹸が江刺町内各地で巡業映画会(昭和33年7月26日) 昭和33年7月26日の岩手民声新聞の広告欄より。 ライオン石鹸では、8月に江刺町内各地の公民館や小学校でで巡業映画会を開くようであった。 「ご愛用者を御招待」というよりは、むしろ販促イベントの意味合いが強かったのではないだろうか。 映画としては東宝「無法松の一生」とフランス映画「赤い風船」。 「無法… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 26日 1958 「全国第二の町」江刺町の鉄道計画(昭和33年7月26日) 昭和33年7月26日の岩手民声新聞より。 昭和30年に岩谷堂町を中心に江刺郡の町村を大同合併した江刺町は、人口5万を超え「全国第2の町」となっていた。 しかし、悲しいかな鉄道だけが無いのだ。 それで、工場誘致や総合開発でどれだけ悲哀を味わわされてきたことか。 それで、昭和15年には岩谷堂町・伊手村・… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 25日 1958 一関専門店会が抽選で飛行機で東京にご招待(昭和33年7月25日) 昭和33年7月25日の岩手報知より。 一関専門店会は、抽選で何時になるかわからないが仙台空港から飛行機で東京に招待すると言う。 一関なので、なんといっても空港は仙台空港が近いのだろう。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 24日 1958 一関で台風11号の被害甚大(昭和33年7月24日) 昭和33年7月24日の岩手報知より。 この年の台風11号は、7月22日〜23日にかけて、一関にも多大な被害を及ぼしたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 18日 1958 水ききんで電力危機(S33.7.18岩手報知) 昭和33年の夏は日照り続きで、各河川も水不足となり、水力発電に頼っていた東北電力も電力不足の危機となっていた。 この当時は、そのような時に中部電力から電気を融通してもらうようになっていたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 18日 1958 一関では33℃という真夏型(S33.7.18岩手報知) 一関では33℃で「この夏最高の気温」であったという。 ちなみに、現在の一関では7月だけでも38.0℃が最高気温であり、33℃など10位にも入らないほどになってしまっている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 14日 1958 磐井川川開きの花火大会にちなんで花火の話(昭和33年7月14日) 昭和33年7月14日の岩手報知より。 この日は、磐井川の川開きで花火大会があったようで、岩手報知の紙面でも花火の話をしている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 13日 1958 一関の自転車店「タイヤ400円!チェーン200円!」(昭和33年7月13日) 昭和33年7月13日の岩手報知より。 一関市内の自転車店では開店10周年を記念したセールをおこなっていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 13日 1958 副業で豚飼育なんてできなくなります(S33.7.13岩手報知) 畜産関係の法律が厳格化し、畜舎の衛生基準等が厳しくなったために、これまで内職で豚を飼育していたのが難しくなってきたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 6日 1958 一関・相川屋ではプリントヤール95円!(昭和33年7月6日) 昭和33年7月6日の岩手報知より。 一関の老舗呉服店・相川屋では夏の大売出しをやっている。 プリントヤール95円という価格。 この鮎川屋、平成27年(2015年)に閉店したのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 6日 1958 一関地区の中学校では免許外担当授業の教員が半数以上(昭和33年7月6日) 昭和33年7月6日の岩手報知より。 岩手県教組西磐井支部では、勤評と定員増の運動資料とするために、中学校の免許外教科の担当状況調査を進めていた。 その状況は、中学校教員の240人中129人が免許外を担当しており、割合が53%に上っていた。 週の時間数はのべ1,142時間で、免許外教科はのべ711科目… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 6日 1958 一関市制10周年森繁久彌ショウ(昭和33年7月6日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 一関市制10周年を記念して、一関一高講堂と一関小学校講堂で森繁久彌ショーが行われるという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 一関・北海道屋の雪印アイスクリームは1個10円から!(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 一関の「北海道屋」とは卸業者だろうか。 80円の「フルーチス」とはどんな高級なものだったのか気になるところ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 この当時、東北本線の複線化は着々と実現しており、昭和33年度のうちには前沢〜水沢の複線化が完成する予定であったと言う。 また、この区間は、盛鉄局で初めてと言われるコンクリート枕木を使用することになったのだが、このコンクリート枕木は、技術を要するものであるだけに工事… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 冷風麺は「冷芙麺」と書く?(S33.7.4岩手報知) 管理人が子供の頃、夏になるとよく「冷風麺」が出てきたが、あれは岩手独特の表現であり標準語的には「冷やし中華」らしい。 ところが、昭和33年7月4日の岩手報知で出ていた広告ではこれを「冷芙麺」と表記していた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関保健所「犬は繋いでおきましょう!」(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関保健所では、飼い犬をつないでおくように注意喚起している。 繁殖期で犬の気が荒くなっているからではないかと見られていた。 犬にかみつかれた人が増加しており、昭和33年に入ってからも郵便配達から子供に至るまで10件を数えているという。 危険な犬はもちろん処分、飼い… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関保健所「粗悪な氷水のシロップに注意!」(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 夏真っ盛りではあるが、一関保健所は氷水のシロップに注意するように注意喚起している。 「普通味付けに使うシロップは、天然の果汁ではなく、着色料・芳香剤・甘味料などを業者が別々に購入して各自が調合している。 ところが着色料には体に害のある不良品が往々にしてあり、このよ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 昭和23年4月1日に一関町は周辺の山目町・中里村・真滝村を合併し、盛岡・釜石・宮古に次ぐ県内4番目の一関市として市制した。 それから10年が経過し、10周年記念式典を行うこととなった。 そこで、以下のような記念行事を行うこととなった。 物故職員慰霊祭(7月2日、願… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関・金光堂のソフトクリームは30円(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関の金光堂という喫茶店?のソフトクリームは30円とのこと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 県南バス人事(昭和33年7月1日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 県南バスでは7月1日付で人事異動を行い、一関営業所長は水沢営業所長に、後任は大船渡営業所から来るという。 … 続きを読む