年: 1959年

昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日)

昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田…
北朝鮮「帰還」のお知らせ(昭和34年9月15日) l全県

北朝鮮「帰還」のお知らせ(昭和34年9月15日)

昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 (たまたま手元にあるのがこの日付の新聞であるというだけで、広告の掲載自体は9月15日の時点でしていた可能性はある) いわゆる「朝鮮人の帰国事業」についての広告。 日本と北朝鮮には国交がなく、両国の赤十字社を通じての帰国事業になったことは有名な話。 &nb…
岩手東部バスが釜石周辺で5路線を運行開始(昭和34年9月13日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手東部バスが釜石周辺で5路線を運行開始(昭和34年9月13日)

昭和34年9月17日の岩手東海新聞より。 岩手東部バスが、5つの路線を申請していたところ、正式認可となり9月13日から運行開始することとなった。 その5つの路線とは以下の通り。 釜石〜遠野(7往復) 盛岡〜釜石(5往復)岩手中央バスとの共同運行 大槌〜遠野(2往復)笛吹峠経由 釜石〜平田(4往復) …
仙人トンネル開通(昭和34年9月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人トンネル開通(昭和34年9月12日)

IBC「いわてアーカイブの旅」より。 昭和34年9月12日、仙人峠にトンネルが開通。 この当時はまだ有料道路であり、なおかつ「国道283号線」ではなく「県道盛岡釜石線」の時代。 バスは県南バスカラーのようであるが「IKB」ではなく「TBK」とある。 岩手東部バスは昭和32年に岩手県南バスの傘下に入っ…
釜石中劇で「ジャン・有馬の襲撃」「電話は夕方に鳴る」を公開(昭和34年8月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石中劇で「ジャン・有馬の襲撃」「電話は夕方に鳴る」を公開(昭和34年8月26日)

昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 釜石の中央劇場で「ジャン・有馬の襲撃」「電話は夕方に鳴る」を公開する。 「ジャン・有馬の襲撃」は、昭和34年7月12日初公開の大映映画で、幕末を舞台にからゆきさんを描いたもの。出演は市川雷蔵・叶純子・根上淳など。 「電話は夕方に鳴る」は昭和34年7月8日公開…
岩手県水試「今年のサンマの魚群は少ない」(昭和34年8月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手県水試「今年のサンマの魚群は少ない」(昭和34年8月26日)

昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 岩手県水産試験場の調査船「北上丸」で8月20日から24日にかけて調査したところによれば、以下の通りであったと言う。 海況:天候の回復とともに、北海道の東の沿岸部を南下する冷水は暖水の張り出しによってその南下を阻止され、冷たい水の中の南下は本格化していない。 …
大槌高校に硬式野球部が誕生(昭和34年8月23日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌高校に硬式野球部が誕生(昭和34年8月23日)

昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 大槌高校にはそれまで、定時制の軟式野球部しかなかった。 しかし、甲子園の高校野球や富士鉄釜石の都市対抗野球に刺激され、硬式野球部創部の機運が高まってきた。 それで、8月23日13時から大槌高校で、講演会準備協議会が設置されることになった。 発起人は以下の通り…
釜石・錦館で「男なら夢を見ろ」「危険旅行」「森の石松幽霊道中」を公開(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・錦館で「男なら夢を見ろ」「危険旅行」「森の石松幽霊道中」を公開(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 釜石の錦館では「男なら夢を見ろ」「危険旅行」「森の石松幽霊道中」を3本だてで公開する。 「男なら夢を見ろ」は昭和34年8月9日公開の日活映画で、主演は石原裕次郎。 「危険旅行」は昭和34年8月9日公開の松竹映画。主演は高橋貞二や有馬稲子。 「森の石松幽霊道中…
仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 遠野と釜石を結ぶ道路は、9月の開業に向けて着々と工事を進めていた。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 岩手軽便鉄道が走っていたころは、遠野側の仙人峠駅で降り…
北日本海豚漁業協同組合が大槌町安渡に冷蔵庫を新設(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

北日本海豚漁業協同組合が大槌町安渡に冷蔵庫を新設(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 北日本海豚漁業協同組合では、大槌町安渡に11月末までに冷蔵庫を新設するという。 製氷・凍結は日産10㌧、冷蔵310㌧、貯氷610㌧の計画であるという。 本来はサンマ漁までに完成の予定が、計画が遅れたという。 これで、オットセイ漁の基地である大槌の威力が発揮で…
釜石港では貨車で運びきれないほどの豊漁(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港では貨車で運びきれないほどの豊漁(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 この数日、釜石港ではにわかにスルメが大量に水揚げされ、8月22日の朝などはイカ釣り船110隻がスルメ180トンを大量に水揚げしてきた。 スルメが水揚げされたら貨車で運ばないといけない。 この日は釜石駅に31両の配車があったが、前日の滞貨が30車分あったので、…
大槌町吉里吉里と山田町に映画館が開館(昭和34年8月21日) d宮古・下閉伊郡

大槌町吉里吉里と山田町に映画館が開館(昭和34年8月21日)

昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 山田町三日町には「国際劇場」がオープンする。 鉄筋コンクリート平屋建てで収容人数300人。 シネマスコープと冷暖房を完備している。 配給系統は東宝と東映。 大槌町吉里吉里では「吉里吉里文化劇場」を開館した。 木造モルタルで330平米の平屋建て。 シネマスコー…
釜石職安ではオート三輪を広報車にして人集め(昭和34年8月21日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石職安ではオート三輪を広報車にして人集め(昭和34年8月21日)

昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 水産業界は漁期が来て、釜石製鉄所も好景気ということで釜石公共職業安定所には求人票が殺到、オート三輪を広報車にして人集めに駆り出されることになった。 求人票は600〜700名分あり、内訳は以下の通りであったという。 釜石製鉄所作業員 70名 海陸運送 男子 1…
釜石・国際劇場で「父と娘」「お染久松そよ風日傘」を公開(昭和34年8月29日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・国際劇場で「父と娘」「お染久松そよ風日傘」を公開(昭和34年8月29日)

昭和30年8月28日の岩手東海新聞より。 釜石・国際劇場で、「父と娘」「お染久松そよ風日傘」を公開する。 「父と娘」上、昭和34年7月7日公開の東映映画で、出演は中原ひとみ・香山光子・薄田研二など。 「お染久松そよ風日傘」は、昭和34年7月7日公開の東映映画で、出演は美空ひばり・里見浩太朗など。 &…
山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日) e釜石・遠野・上閉伊郡

山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日)

昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 大槌町長・大槌町議会副議長・浪板間駅期成同盟会長らは、盛岡鉄道管理局に簡易駅の設置を陳情した。 これに対して盛鉄局では、山田線のディーゼルカーは12月から運行するので、そのタイミングで設置するようにしたいと明らかにした。    …
釜石・中劇で「可愛い悪魔」「危険な曲がり角」公開!(昭和34年8月20日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・中劇で「可愛い悪魔」「危険な曲がり角」公開!(昭和34年8月20日)

昭和34年8月11日の岩手東海新聞より。 釜石の中央映画劇場では、「可愛い悪魔」と「危険な曲がり角」を公開する。 「可愛い悪魔」(原題:En Cas de Malheur)は昭和33年製作のフランス映画で、日本での初公開は昭和34年1月23日。 「危険な曲がり角」(原題:Les Tricheurs)…
釜石・シネマセンターで「潜水艦イ-57降伏せず」「伝七捕物帳 幽霊飛脚」「事件記者 真昼の恐怖」を公開(昭和34年8月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・シネマセンターで「潜水艦イ-57降伏せず」「伝七捕物帳 幽霊飛脚」「事件記者 真昼の恐怖」を公開(昭和34年8月18日)

昭和34年8月18日の岩手東海新聞より。 釜石のシネマセンターでは「潜水艦イ-57降伏せず」「伝七捕物帳 幽霊飛脚」「事件記者 真昼の恐怖」を公開する。 「潜水艦イ-57降伏せず」は昭和34年7月7日公開の東方映画。出演は池部良や三橋達也など。 「伝七捕物帳 幽霊飛脚」は昭和34年8月2日公開の松竹…
岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日)

昭和34年8月17日の岩手東海新聞より。 明治39年、釜石鉱山田中製鉄所を創設した横山久太郎は「大船渡鉄道よりも鉄の都・釜石を結べ」と力説した。 そして大正4年、岩手軽便鉄道は花巻~仙人峠間に開通した。 しかし、仙人峠がそれを遮っていた。 戦後・釜石・遠野・花巻の3市は釜石線全通期成同盟を結成させた…