d宮古・下閉伊郡 1 7月 1966 宮古二中の生徒が浄土ヶ浜を清掃奉仕(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 宮古の浄土ヶ浜は県内外からの観光客で逃げを始めているが、宮古第二中学校の男女生徒500人は、理科学習の1つとして浄土ヶ浜のゴミを清掃奉仕した。 前年に浄土ヶ浜を訪れた観光客は400,000人であったと言うが、この年はさらに上回る500,000人の誘致が約束され… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1966 カツオ漁が近年まれな好調(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 今年は、カツオ漁が近年まれな好調であったと言う。 釜石後に入港しているカツオ一本釣り漁船は、高知県の回来船が主体であったと言うが、初水揚げは6月28日で1隻で20トン、6月29日は1隻で13トンのカツオを水揚げしたと言う。 これらの漁船は、千葉県の犬吠埼から宮… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 7月 1966 宮古市議会の新しい録音システム(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この時期、どこの市議会でも、速記の補助として録音が取り入れられていたが、そのうち、メインになるのではないかと思われていた。 しかし、そのためには、録音の切断や、雑音といった障害があるのだった。 そこで、宮古市議会の事務局長は、中央の速記者先に録音席を置き、机の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1966 釜石の洋品店「紳士婦人サマーMODO大会!」(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石の洋品店では「紳士婦人サマーMODO大会」をするという。 ところで「MODO」って何?… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1966 驚きの近代設備を誇る東海製鉄(S41.7.1岩手東海新聞) 東海製鉄ができることにより、釜石から多くの人口流出が始まる。 そういう意味では「釜石の終わりの始まり」とも言えるニュース。… 続きを読む
l全県 1 7月 1966 興産相互銀行が「北日本相互銀行」に改称(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 興産相互銀行は、この7月1日より、「北日本相互銀行」と解消することになった。 現在の北日本銀行である。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1966 大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗… 続きを読む