a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 31日 1967 松屋デパートの初売りは1月2日から!(昭和42年12月31日) 昭和42年12月31日の岩手日報より。 松屋デパートの初売りは1月2日からである旨。 かつては松屋ストアーというスーパーマーケット事業もやっていたらしい。 いずれも現存しない。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 31日 1967 県立図書館が竣工(昭和42年12月31日) 昭和42年12月31日の岩手日報より。 内丸の岩手公園内に、岩手県立図書館の建物が竣工したという広告。 開館は年が明けて昭和43年2月10日となる。 現在では、県立図書館は盛岡駅裏のアイーナに移転して、この建物は「もりおか歴史文化館」となっている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 30日 1967 盛岡・メガネの水晶堂「メガネはスイスコーティングで!」(昭和42年12月30日) 昭和42年12月30日の岩手日報より。 盛岡・中の橋通りの眼鏡店・水晶堂では「スイスコーティング」のメガネの広告を打っている。 色入りの眼鏡のようである。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 12月 25日 1967 大船渡でアワビの畜養を始める(昭和42年12月25日) 昭和42年12月25日の岩手日報より。 大船渡海藻類採苗所(大船渡市千丸海岸)では、採苗水槽を利用してアワビの畜養を始めたという。 赤崎海岸で採取したアワビ2トンを、昆布などを餌にして畜養するのだという。 この当時は「養殖」という単語は一般的ではなかったようで「人工ノリ」「畜養」などと… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 12月 25日 1967 田老鉱山にも公害問題でダム建造計画(昭和42年12月25日) 昭和42年12月25日の岩手日報より。 ラサ工業田老鉱山では銅鉱、マンガン、亜鉛などを算出していた。 ところが、選鉱した残りの黒い鉱滓が長内川の下流に流れ、農作物やアワビなどに被害を与え、年間300万円の補償が必要であったという。 そこで、鉱山から4km下流の乙部地区に、ロックヒルダムを建造すること… 続きを読む
l全県 12月 25日 1967 日活映画で’68年の夢をタックル!楽しさいっぱいの新春番組!!(昭和42年12月25日) 昭和42年12月25日の岩手日報の広告欄より。 日活の正月映画についてのラインナップが載っている。 当時は県内各地の映画館も健在だった。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 9日 1967 「粗酒粗肴」なんて造り酒屋に失礼だ(昭和42年12月9日) 昭和42年12月9日のデーリー東北より。 岩手県内では、11月21日から県産酒愛用運動が実施されていた。 久慈ロータリークラブ例会に現れた、岩手県酒卸支店長は、 「各種宴会の挨拶によくある、本日は粗酒粗肴で何もありませんが酒だけはたっぷり用意してありますといった表現は、真剣に酒を作っている私どもにと… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 6日 1967 種市でかんぼう(干しアワビ)作り始まる(昭和42年12月6日) 昭和42年12月6日のデーリー東北より。 岩手県のアワビは、11月1日から解禁になったが、種市町小子内では、この年も乾鮑(かんぼう)作りが始まった。 乾鮑(かんぼう)は、貝殻からはがしたアワビを塩漬けにして、水洗いをして、大きな釜で煮てから40日間ほど天日乾燥して作るものであり、主に香港に輸出されて… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 6日 1967 昭和42年の久慈市5大ニュース(昭和42年12月6日) 昭和42年12月9日のデーリー東北より。 久慈市は、市勢ニュースを公募していたが、応募総数が142通あり、12月6日の久慈市広報委員会で以下の通りに決まった。 2年連続豪雨災害 川崎製鉄久慈工場閉鎖 岩手国体の柔道会場に決定 久慈中学校や久慈高校の野球部が善戦 久慈市役所の機構改正 &… 続きを読む
b二戸・二戸郡 12月 6日 1967 福岡(二戸)・大作神社の修築に奉賛会発足(昭和42年12月6日) 昭和42年12月9日のデーリー東北より。 二戸郡福岡町が生んだ相馬大作を祀る大作神社の修築のために、12月6日に、福岡町中央公民館を会場として奉賛会が発足した。 主な事業計画は以下の通り。 大作神社の修築 関係文書の刊行 拓本の頒布 青年会の毎月1回の会合 命日の祭典開催 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 12月 5日 1967 一戸や軽米でスリップ事故続出(昭和42年12月5日) 昭和42年12月6日のデーリー東北より。 12月5日の明け方、午前4時から9時半にかけて、一戸町の小繋から中山の間の4キロの間で、国道4号線で路面凍結によるスリップ事故が連続で6件も発生した。 死亡者も1名出ると言う惨事であった。 また、軽米町でもスリップ事故が発生して、3人が怪我をしたと言う。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 12月 4日 1967 サケ川開きは大槌川で大漁、織笠川で不漁(S42.12.4岩手日報) サケの川開きが各地で行われたが、大槌川が大漁であるのに対し、織笠川は不漁であったという。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 3日 1967 玉山村の幼児餓死事件で久慈の専門学校生が地蔵建立のために寄付(昭和42年12月3日) 昭和42年12月4日のデーリー東北より。 この前の月、玉山村で幼い姉妹が父親に置き去りにされて餓死したと言う痛ましい事件が発生した。 この事件は、全国的な反響を呼んだが、久慈市の久慈文化服装学園の生徒会では、玉山村の村長に当てて「死んだ2人の子供のお地蔵さんを立ててやってください」と4300円を送っ… 続きを読む
l全県 12月 3日 1967 読者が決める昭和42年の岩手の10大ニュースは?(S42.12.3岩手日報) 昭和42年も12月に入り、10大ニュースを募る時期となっていた。 それで、11月までの主だったニュースを列挙している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1967 「お遊び上手は出世の早道」(S42.12.1岩手日報) 広告欄より。 かつての繁華街・八幡町に近い松尾町のクラブの広告。 「お遊び上手は出世の早道」という惹句でサラリーマンを志向している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1967 盛岡でスモッグ!?(S42.12.1岩手日報) 11月30日の昼過ぎ、盛岡の空は暗くなり、アーケード街には街灯がつく始末。 もしかして東京や大阪で話題になってるスモッグ!? 盛岡地方気象台によれば、厚い雲がかかって日光が遮られたためと解説していた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1967 お歳暮は川徳デパートで!(S42.12.1岩手日報) 歳末となり、お歳暮のシーズンとなったのでデパートもお歳暮商戦である。 それで、盛岡の川徳デパートも広告を打っていた。 … 続きを読む
l全県 12月 1日 1967 転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) 戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。 … 続きを読む