a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1928 すべての自動車に赤と青の信号を(S3.9.5岩手日報) 昭和3年9月5日の『岩手日報』より。 この頃、岩手県内では自動車の数が急速に増加していた。しかし、当時の自動車には方向指示器がなく、交差点などで右左折する際には、運転手や助手が手を使って合図を送る、いわば「手信号」によって意思表示をしていた。昼間であればそれでも問題は少なかったが、夜間になると当然な… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1928 岩手日報の一面が全部広告(S3.9.5岩手日報) 昭和3年9月5日の岩手日報紙面には、一面全体が広告で埋め尽くされるという、現代の感覚からすれば異例ともいえる紙面構成が見られる。このような構成は、全国紙ではまず見られないが、地方紙では当時まま見られたものであった。とくに季節の変わり目や地元有力商店の節目の時期には、こうした「一面全面広告」という編成… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1928 観武ヶ原の騎兵連隊から脱走兵(S3.9.5岩手日報) 昭和3年9月5日付『岩手日報』は、盛岡市観武ヶ原に駐屯する陸軍騎兵第二十三連隊附属の機関銃隊から、兵卒1名が脱走した事件を報じています。 脱走したのは、秋田県山本郡鹿渡村出身の兵卒で、記事では「狂へる兵卒」と表現されており、精神的に異常な言動があったとみられています。この兵は、当初は遊撃軍属として勤… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の書店「文明堂書店」では、同年10月に予定されている「岩手縣下特別大演習」のための地図が特約販売されると広告が出ている。 これは陸地測量部が編纂した演習地図で、陸軍の特別大演習にあわせて発行されるものであった。広告によれば、販売されるのは以下の2種: 五… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 盛岡市呉服町の洋服店「秋冬洋服均一注文!」(昭和3年9月4日) 昭和3年(1928年)9月4日の岩手日報には、盛岡市呉服町にあった洋品店「オゾザワ呉服町支店」の広告が掲載されている。「秋冬洋服均一注文(特価的薄利計画)」と題され、燕尾服(エンビ服)、モーニングコート、フロックコートといった礼装がずらりと並ぶ。 たとえば価格は、燕尾服が75円より95円、フロックコ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日) 昭和初期、日本陸軍では毎年一度「陸軍特別大演習」と呼ばれる大規模な演習が行われていた。これは、複数の師団からなる数万人規模の部隊を動員し、仮想の敵軍同士に分かれて戦う本格的な戦闘演習であった。通常の訓練とは異なり、より実戦に近い規模と緊張感を持って行われるのが特徴で、演習には飛行部隊や高射砲部隊、電… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 岩手無尽の広告(S3.9.4岩手日報) 昭和3年9月4日の岩手日報より、当時の「岩手無尽株式会社」(現在の北日本銀行の前身)による広告が掲載されています。 描かれているのは、自然豊かな山々に囲まれた中に佇む立派な木造建築の本店社屋。大きな三角屋根と、正面に丸窓を備えた印象的な建物で、手前には人々の姿も見えます。堂々たるその姿からは、地方の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(S3.9.4岩手日報) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡の映画館「紀念館」では、日活映画『続水戸黄門』が上映されていた。 本作『続水戸黄門』は、1938年(昭和3年)4月15日に初公開された時代劇映画で、監督は仁科熊彦。主演の水戸光圀公には山本嘉一が扮している。前作『水戸黄門』の好評を受けて制作された続編で、勧善懲悪… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1928 札幌の岩手県出身者学生寮「岩鷲寮」が太田村で映画会(S3.9.4岩手日報) 札幌の地にある岩手県出身者の学生寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」が、岩手県内の太田村で映画会を開催したという記事が昭和3年(1928年)9月4日の『岩手日報』に掲載されている。 現在でこそ、太田村周辺――盛岡市盛南地区は都市的に開発され、大型商業施設や住宅地が広がる地域となっているが、昭和初期において… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1928 歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(S3.9.3岩手日報) 昭和3年9月3日の岩手日報より。 翌9月4日から二日間にわたって施行される歩騎連合演習に備え、歩兵第31連隊の油川大隊と機関銃隊あわせて総勢543名が、臨時列車で盛岡に到着した。到着時刻は午後1時半である。 本部は新田町の片倉製糸場に置かれ、兵員たちは新田町・片原・厨川村の一部の民家に分宿する形がと… 続きを読む
j東磐井郡 2 9月 1928 大船渡線千厩〜折壁開業祝賀式典(S3.9.2岩手日報) 昭和3年9月2日、大船渡線の千厩〜折壁間が晴れて開業し、折壁駅では盛大な祝賀式典が執り行われた。待望の鉄道延伸に沿線各地から多数の人々が集まり、地元の希望と熱気に包まれた一日となった。 しかし、この鉄道開通の背景には、単なる土木工事だけでは語れぬ政治的駆け引きがあった。 大正期当初、大船渡線の計画で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1928 ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) 昭和3年(1928年)9月2日付『岩手日報』は、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)の菊池賢次郎教授が、3年にわたるドイツ留学から帰国したことを伝えています。菊池教授は、家畜病理学の研究を目的に渡欧し、現地での実地研究と視察を重ねて帰国。帰途にはフランス、さらには南北アメリカにも立ち寄り、国際的な… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1928 黄金競馬場で秋競馬(S3.9.2岩手日報) 昭和3年9月、盛岡市の黄金競馬場では秋の競馬が開催され、曇天ながら雨に降られることのない穏やかな天候のもと、一日が静かに過ぎていった。 現在の岩手大学工学部周辺にあたるこの場所には、かつて「黄金競馬場」という馬場が存在し、昭和初期には競馬が年に数度行われていたという。新聞報道によれば、この日の秋競馬… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1928 岩鷲寮寮生の桜山神社参拝(S3.9.2岩手日報) 昭和3年9月2日の岩手日報によると、北海道で学ぶ岩手県出身の学生たちが暮らす寮「岩鷲寮(がんじゅりょう)」の寮生が、盛岡市内の桜山神社を参拝した。 これは、夏季休暇を利用して帰郷中の寮生が行ったもので、一行はそろって神社に赴き、拝殿の前で丁重に参拝する様子が報じられている。 写真には、整列した学生た… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1928 岩手師範対日詰の野球試合(S3.9.1岩手日報) 昭和3年9月1日付の岩手日報には、岩手師範学校と日詰チームとの野球試合の結果が掲載されている。 試合は8月29日の午後4時から、紫波郡日詰町(現在の紫波町)にあった日詰小学校の校庭にて行われた。岩手師範が先攻、地元・日詰チームが後攻というかたちで始まり、結果は5対3で岩手師範が勝利した。 日詰側は町… 続きを読む
l全県 1 9月 1928 イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 広告欄に掲載されているのは、当時まだ新興企業だった「東京軽便浣腸製造所」による製品、「イチジク印軽便浣腸」。着物姿の母親が子どもに浣腸を施す印象的な図柄が目を引く。 この「イチジク浣腸」は、1925年(大正14年)に医師・田村廿三郎によって製造が開始されたもので、翌… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 9月 1928 山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(S3.9.1岩手日報) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 当時の山田線は、盛岡から上米内までしか開通していなかった。しかし、その路線名が示すように、いずれは山田町、さらには釜石方面まで延伸する構想が存在していた。 この時点では、上米内からさらに区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間には7つの停車場(駅)が設置され… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1928 農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 「豊穣を語る案山子」と題された写真記事が掲載されている。写真には、たわわに実った稲穂が風に揺れ、その中にぽつねんと立つ案山子の姿が見える。背景には霞むように並ぶ家々や林があり、初秋の田園の空気が感じられる。 場所は「盛岡農学校」とされており、当時の校舎は盛岡市菜園に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1928 岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日) この日の紙面では、今晩盛岡の岩手県公会堂第一ホールにて開催される「音楽と舞踊の夕べ」の案内が掲載されている。午後7時開演、主催は岩手日報社。 出演は以下の通り: セロ(チェロ):高勇吉氏 アルト独唱:齋藤靜子夫人 バイオリン:高玉枝嬢 舞踊:ドイツの舞姫・ヘティー・ウツケル嬢(高氏新夫人) この時期… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1 9月 1928 二戸郡では養豚に代わりウサギの飼養が盛んに(S3.9.1岩手日報) かつて養豚が盛んだった岩手県二戸郡では、近年その様子が変わりつつある。記事によれば、従来は毎年約2,000頭の豚が飼育されていたというが、昭和3年当時、豚肉価格の低迷や飼料品の不足を背景に、飼育戸数は次第に減少。代わって注目されたのがウサギの飼育であった。 ウサギは手狭な場所でも飼えることに加え、飼… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 4月 1928 全校児童の3分の1を落第させる小学校 昭和3年4月8日の東京朝日新聞より。 川井村小学校では全校210人の3分の1の70名を成績が悪いといって落第させたら父兄が怒って盛岡の県庁まで押しかけたのだという。 しかし学校側は「成績が悪いんだから仕方がない」の一点張り。 ・・・ところで、山田線はこの時点では上米内までしか開業してい… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 10月 1927 サンマの季節の貨物列車 微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 7月 1927 平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが 昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1927 盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(S2.4.22岩手日報) 昭和2年4月22日の岩手日報より。 盛岡の映画館・内丸座では、この日から豪華な四本立て上映が行われた。戦争の英雄譚から西部劇、捕物、歴史劇まで揃ったそのラインナップは、まさに昭和初期の映画興行の活気を象徴するものであった。 『広瀬中佐』は松竹キネマ蒲田撮影所で製作され、大正15年(1926年)6月2… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 4月 1927 江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10) 昭和2年4月10日、岩手県江刺郡伊手村上浅倉(現在の奥州市江刺伊手字上浅倉)で、農夫がダイナマイトの爆発により右足を損傷し、破傷風を併発して死亡しました。この事件は、被害者(当時35歳)の義兄(当時44歳)が家庭内の冷遇や不和から殺意を抱き、計画的にダイナマイトを仕掛けた結果発生したものです。 義兄… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 3月 1927 盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報) 昭和2年(1927年)3月、岩手県の最高学府として知られた盛岡高等農林学校で卒業式が行われた。『岩手日報』紙上には、教員と卒業生たちの記念写真が掲載され、厳かな式典の様子が伝えられている。 この学校は、旧制時代における農林系の専門教育機関であり、農政技術者や教員、研究者など多くの人材を世に送り出して… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 3月 1927 女子師範学校の卒業生が岩手日報社を見学(S2.3.16岩手日報) 昭和2年3月16日の岩手日報より。 当時、盛岡市内丸にあった岩手女子師範学校の卒業生たちが、岩手日報社を見学したときの一枚である。引率は堀江・新藤の両教諭、訪問は午後3時に実施された。 この日、見学に訪れたのは卒業生70余名。一行は整然と社内に入り、新聞制作の現場を興味深く見学した。写真には、袴姿の… 続きを読む
l全県 16 3月 1927 県下各校の配属将校が決定(S2.3.16岩手日報) 昭和2年3月16日の『岩手日報』より。 この時代、岩手県内の旧制中学校や高等女学校、実業学校などには「配属将校」と呼ばれる軍人が派遣されていた。これは学校での軍事教練や思想教育の一環として、陸軍省が制度化していたものである。 この日の新聞には、岩手県下の各校に新たに配属される将校の人選が決定したとい… 続きを読む
l全県 15 3月 1927 山陰大震災に岩手県内でも義捐金募集(S2.3.15岩手日報) 昭和2年3月7日に発生した「山陰大震災」——現在でいう「北丹後地震」に対し、岩手県内でも義捐金を募る動きが広がった。 同月15日付の『岩手日報』には、被災地支援のための義捐金募集広告が大きく掲載されている。 「亡くし難き眷族を失ひ、愛児を喪ひ、親夫に別れ、住む家なく食ふに飢え、寒さと飢と恐怖と戦ひ…… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 1月 1927 一方井事件(S2.1.29) 昭和2年(1927年)1月29日、岩手県岩手郡一方井村(現岩手町一方井)で発生した火災により男性が焼死しました。当初は事故死と判断されましたが、石油の臭いや頭部の裂傷から他殺の可能性が浮上しました。その後、この事件は天理教を背景にした複数の不審死を伴う猟奇的な犯罪へと発展しました。 火災後、昭和2年… 続きを読む