e釜石・遠野・上閉伊郡 10 1月 1961 釜石市大平に「ホテル太平洋」オープン!(昭和36年1月10日) 昭和36年1月10日の岩手東海新聞より。 釜石市大平に「ホテル太平洋」がオープンすると言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 1月 1961 空から見る富士製鉄の各製鉄所(昭和36年1月9日) 昭和36年1月9日の岩手東海新聞より。 正月特集で、釜石製鉄所と同じ富士鉄の各製鉄所の空撮写真を。 室蘭・釜石・広畑・川崎。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 1月 1961 マツダクーペR360は32万円から(昭和36年1月9日) 昭和36年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自動車販売店ではマツダクーペR360が32万円であるという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 1月 1961 鉄の町・釜石の空気中の塵を電流で調査する新兵器(昭和36年1月7日) 昭和36年1月7日の岩手東海新聞より。 鉄の都・釜石市では、交流式電気集塵機を購入した。 この集塵機によって、浮遊煤塵の調査を行うのだと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 1月 1961 釜石の料亭「閉伊川の美事な鮎が大量入荷いたしました」(昭和36年1月7日) 昭和36年1月7日の岩手東海新聞より。 まだまだ七草粥の内とあって、広告欄も新春ムードである。 釜石市内の料亭では、川魚料理が名物であったと見え、「閉伊川の美事な鮎が大量入荷いたしました」と広告している。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4 1月 1961 津軽石川の川開きは大漁(昭和36年1月4日) 昭和36年1月6日の岩手東海新聞より。 宮古の正月の風物詩である津軽石川の川開きは、1月4日に行われた。 全国から、2000人の観光客が集まったと言う。 また、河原に特設された「鮭汁」「はらっ子うどん」の売店に飛び込んで舌鼓を打つ観光客も多かった。 中には、鮭取りの上手な犬を連れて川に入るものもいた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 1月 1961 釜石でも初荷を出荷(昭和36年1月2日) 昭和36年1月4日の岩手東海新聞より。 昭和36年の正月は、岩手県沿岸部では穏やかな天候だったようである。 1月2日には、初売り・初荷で車は市内の大通りを走りにぎわった。 釜石化成産業では、雪国の人たちが冬を越す練炭を積んだトラックが釜石ビル前を出発し、仙人道路を通ってないでくれ向かった。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1961 松尾鉱山小学校将棋倒し事故(昭和36年1月1日) 昭和36年の元旦、「東洋最大の硫黄鉱山」岩手郡松尾村にある松尾鉱山の松尾鉱山小学校で、新年会に集まった児童が将棋倒しになって10名が死亡するという大惨事が発生した。 https://www.youtube.com/watch?v=sQ8gOvou4uw それは元旦の朝9時45分頃のこと。 当時、松尾… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1961 釜石製鉄所各部局から新年のご挨拶(昭和36年1月1日) 昭和36年元旦の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所各部局から新年のご挨拶。 所長は常務取締役であり、これだけの部課があった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 10月 1960 山口の自転車「スマートレデー」は13,000円!(昭和35年10月13日) 昭和35年10月13日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自転車店では、自転車の広告を出している。 その名も「スマートレデー」。 13,000円であるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 9月 1960 大槌で恒例の馬市開催(S35.9.23岩手東海新聞) 大槌町では馬市が恒例であったという。 トラクターが発達する前は、農耕には欠かせない動力であった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 9月 1960 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 宮古一の「悪路」と言われていた宮古市役所〜岩手銀行宮古支店の前の道路がコンクリート舗装されることになったというニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 9月 1960 残暑を告げる釜石の花売り(昭和35年9月6日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石も既に残暑となっていた。 この写真記事では「夜が虫屋なら昼は花売り」と言っている。 夏から秋にかけては、ソテツやオモトがよく売れるのだとか。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石港から南洋へのマグロ延縄船が出港(昭和35年9月5日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 9月3日のサンマ漁解禁で、サンマ船は北洋にむけて出港して行った。 残るはマグロ漁船で、9月5日には南洋にむけて出発して行った。 サンマ船とは違い、出港時はテープが飛び交う「別れの風景」。 それもそのはずで、南洋でのマグロ漁は早くて1航海数週間、長ければ3ヶ月以… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石港ではブリが予想外の大漁(昭和35年9月5日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石の琴海では定置網でブリが捕れるようになってきた。 9月5日の朝は、釜石港にブリが3000尾、22トンが水揚げされた。 現金にして300万円にもなるという。 夏漁が不漁だっただけに、期待が持てるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石青果市場の市況(S35.9.5岩手東海新聞) 釜石青果市場の市況は、以下のようになっていた。 きゅうりは栗林から、大根やキャベツは遠野から届いていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石市只越町「らばうる」(昭和35年9月5日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 広告欄に「喫茶とお食事 らばうる」という広告が出ている。 個人的には、子供の頃(昭和50年代後半)「らばうる」と言えば橋上市場にあり、ミニカーなどおもちゃが売っていた記憶がある。 そして食堂の機能も確かにあったような気がする。 それと同じ店かどう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1960 釜石の編物人形教室は生徒募集中(昭和35年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 広告欄では、釜石市大只越町の編物人形教室が生徒さん募集の広告を出している。 そういえば釜石の青葉通りの近くに「明峰幼稚園」というのがあったのは覚えている。 たしかお寺に付属した幼稚園だった。 その明峰幼稚園であるが、釜石出身の方のブログによれば、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1960 釜石は史上最高の豊作(昭和36年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 写真記事であるが「1291万㌧ーー史上最高の豊作」と書いてあるが、それが釜石市内でのことなのか、はたまたこの写真を写した釜石市甲子町のことなのかまでは判然としない。 農家の厄日である二百十日も過ぎて、稲穂は重そうに頭を垂れている。 子供達はクルマトンボと戯れて… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1960 釜石小学校が新校舎に生まれ変わる(昭和35年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 明治6年に開校した釜石小学校は、この時点では明治37年、日露戦争が開戦した年に建築された築57年の校舎であった。 それを新しく鉄筋コンクリートに改築するというのである。 近く、PTAにより校舎とのお別れ会が開かれるのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1960 釜石かつぎ屋事情(S35.9.1岩手東海新聞) 「釜石残酷物語」としてシリーズものになっていた、釜石の下層生活の一端を物語る話。 この頃の担ぎ屋は、遠野あたりの農村地帯から来ていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 8月 1960 五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日) 昭和35年9月1日の岩手東海新聞より。 五葉山の大松登山口に木材運搬用のケーブルがある。 ここで釜石市松倉の若者数人が乗って遊んでいた。 そうしたら機械が故障してしまい、乗っていた2人は戻れなくなってしまったのだ。 眼下には谷川が渦を巻いて流れている。 もう飛び降りるしかない?でも命の保障は無い。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 7月 1960 一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 一関市大平開拓地から、南米パラグアイに行く3世帯17名の送別会が中里農協会議室で開かれた。 送別会には一関市長、一関市農林課長、市内各農業組合長、開拓連盟支部長など60人が集まった。 移民団の代表からは「このような盛大な送別会を開いていただいて感謝にたえません。パ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 7月 1960 一関の販売店「石油コンロで日活・東映映画ご招待!」(昭和35年7月2日) 昭和35年7月2日の岩手報知より。 一関市内のもコンロ販売店では、石油コンロで日活・東映の映画ご招待!という広告を出していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 5月 1960 釜石のBGは初給料を何に使う?(S35.5.14岩手東海新聞) 釜石のBG(昔はOLをそう呼んだ)は初任給を何に使ったか?という話。 及新百貨店の店員、東部バスのバスガイドというのが時代。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 5月 1960 釜石の南町ってどこ?(昭和35年5月3日) 昭和35年5月3日の岩手東海新聞より。 釜石関係の記事でたまに出てくる「南町」とはどこのことか? このことが牛乳販売店の広告で分かった。 釜石の大町の中心街の1本南の通りで、製鉄所にくっついた、昔釜石警察署があった通りのことだったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1960 くろがねノーバ(昭和35年4月20日) 盛岡バスセンターが開業したその昭和35年4月20日の岩手日報の広告欄より。 今はなき東急くろがね工業のトラック「ノーバ」の広告が出ている。 販売店は岩手県域で独立していたわけではなく、「宮城くろがね販売岩手支店」として、盛岡の大沢川原(下ノ橋の盛岡駅よりで現在の岩手女子高校の近辺)にあったようである… 続きを読む