j東磐井郡 2 9月 1928 大船渡線千厩〜折壁開業祝賀式典(S3.9.2岩手日報) 昭和3年9月2日、大船渡線の千厩〜折壁間が晴れて開業し、折壁駅では盛大な祝賀式典が執り行われた。待望の鉄道延伸に沿線各地から多数の人々が集まり、地元の希望と熱気に包まれた一日となった。 しかし、この鉄道開通の背景には、単なる土木工事だけでは語れぬ政治的駆け引きがあった。 大正期当初、大船渡線の計画で… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 9月 1928 山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(S3.9.1岩手日報) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 当時の山田線は、盛岡から上米内までしか開通していなかった。しかし、その路線名が示すように、いずれは山田町、さらには釜石方面まで延伸する構想が存在していた。 この時点では、上米内からさらに区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間には7つの停車場(駅)が設置され… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 4月 1928 全校児童の3分の1を落第させる小学校 昭和3年4月8日の東京朝日新聞より。 川井村小学校では全校210人の3分の1の70名を成績が悪いといって落第させたら父兄が怒って盛岡の県庁まで押しかけたのだという。 しかし学校側は「成績が悪いんだから仕方がない」の一点張り。 ・・・ところで、山田線はこの時点では上米内までしか開業してい… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 10月 1927 サンマの季節の貨物列車 微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 1月 1927 盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(S2.1.9岩手日報) 昭和2年1月、岩手日報は「盛岡~宮古間の冬季郵便逓送を自動車で継続すべく、逓信局と交渉中である」と報じた。実はこの区間、すでに大正14年からは「盛宮自動車」による郵便輸送が始まっていたが、冬場は例年通り積雪のため運休し、郵便物は駄馬によって雪道を越えて運ばれていたという。 この「雪道」とは、すなわち… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1927 入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(S2.1.8岩手日報) 昭和2年1月8日の岩手日報より。 この日の盛岡駅は、朝から見送り客でごった返していた。向かう先は、弘前の歩兵連隊。現役兵として入営する若者たちを見送るため、家族や友人たちがホームに詰めかけていた。 写真に写るのはその一幕。列車の窓越しに帽子を振る者、最後の言葉を交わそうとする者、それをただ黙って見つ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1927 盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) 昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1927 貨車の連結手は危険な仕事だった(S2.1.8岩手日報) 昭和2年1月8日の岩手日報に、盛岡駅構内で発生した痛ましい鉄道事故が報じられています。 事故が起きたのは、盛岡駅の北側に位置する貨物列車の入換線でのことでした。まだ19歳という若さの連結手が、10両編成の貨車に飛び乗ろうとした際、厳寒の気候が災いし、足を滑らせて線路上に転倒してしまいました。不運なこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 12月 1926 小運送合同政策に基づき北福岡~水沢間の小運送業者を合併します(S元.12.28岩手日報) 昭和元年12月28日付の岩手日報には、「資本合同で運送業を経営」と題された記事が掲載されている。この日は、東北本線の北福岡(現・二戸市)から水沢(現・奥州市)に至る区間、および橋場線・花輪線・横黒線沿線の小運送業者31名が、盛岡市清水町にあった老舗料亭「大清水多賀」に集い、合同経営に向けた協議を行っ… 続きを読む