a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 6月 1963 昭和38年の夏至、盛岡では最高気温24.2℃(昭和38年6月22日) 昭和38年6月23日の岩手日報より。 夏至の6月22日、台風第4号が去り県内各地は気温が上がり、盛岡では最高気温24.2℃で市内の商店では打ち水をしていた。 写真は盛岡駅前。 真ん中の女性はこの時代にしてはスカートが短いのではないだろうか。… 続きを読む
l全県 29 5月 1963 便所はいかなる悪臭も完全に除く「エアーベンダー」で! 昭和38年5月29日の岩手日報の広告欄より。 当時の便所なので当然洋式でも水洗でもなくボットン便所である。 「いかなる悪臭も完全に除く」「便器底は水平なエアーカーテンにより悪臭は絶対上がりません」という相当な自信のほどである。 メーカーは「日本エアーベンダー」という会社で、東北では仙台市畳屋町に支店… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 5月 1963 盛岡少年院に「イレズミを除去する器械」 昭和38年5月28日の岩手日報より。 盛岡少年院に、入れ墨をとる器械が入ったのだという。 正式には「自動調節付き電気メス」というのだそうで、真空管から電気メスに6.83メガサイクルの高周波を発信させ、メスと人体表面との接触部分に破壊作用を起こさせる仕組みなのだという。 東北地方の少年院ではここにしか… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 4月 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 4月 1963 山田町に県下初の「まごころ銀行」 昭和38年4月3日の岩手日報より。 山田町では4月1日から社会福祉協議会により「まごころ銀行」が店開きをしたのだという。 これは町役場内の社協事務局に本店を置き、豊間根・大沢・船越・織笠に支店が設けられ、口座は「心」「技術」「労力」「金品」「血液」の5口座に分かれるという。 開店した「まごころ銀行」… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 4月 1963 志戸平温泉にこども天国「有楽園」がオープンします! 昭和38年4月1日の岩手日報の広告欄より。 花巻の志戸平温泉に遊園地「有楽園」がオープンするというニュース。 豆電車、観覧車、飛行塔、豆自動車、モノレールなどがあるという。 オクトパス、キャタピラ、ダンプボートというのは何なのかはよく分からないが・・・ まだ志戸平温泉に花巻電鉄で行っていた頃。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む
l全県 30 3月 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
備考※1 17 3月 1963 【参考】サリドマイド薬害 昭和38年3月17日の中日ニュースより。 岩手県にも患者はいたのだろうか。 https://youtu.be/XAvVlVZH1EU… 続きを読む
m県外・参考 7 11月 1962 東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 11月 1962 松尾鉱山の退職者が釜石線の車内で切腹(昭和37年11月5日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 11月5日夜23時25分ごろ、釜石線の下りの釜石行きの列車が、洞泉駅に差し掛かった頃、前から2両目の列車の乗客が突然ナイフで腹を切って自殺しようとした。 他の乗客がこれを止めて、県立釜石病院に収容したが、全治1週間の怪我で命に別状はなかった。 自殺を図った… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1962 再建案も軌道に乗らぬ松尾鉱山(昭和37年11月6日) 昭和37年11月6日の河北新報岩手版より。 「東洋一の硫黄鉱山」と言われていた松尾鉱山は、この時代になると、石油精製時の回収硫黄によって、わざわざ鉱山で掘る必要がない状態となっていた。 それで、10月中旬には希望退職を募り、従業員3500人の中1075人が退職を申し出たと言う。それで生産量も下降し、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 10月 1962 ハリキリさん「マッチ探してきて」(昭和37年10月3日) 昭和37年10月3日の岩手東海新聞より。 当時連載されていた「ハリキリさん」ではマッチがテーマになっている。 この家ではすでに都市ガスが引かれていたようで、ガス器具があるのだが、マッチがない。 そこで、子供にマッチを探すよう言い付ける。 果たして、子供がマッチを見つけたところはお父さんの洋服の中。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 10月 1962 釜石の栗橋で芋の子会(昭和37年10月3日) 昭和37年10月3日の岩手東海新聞より。 秋になると岩手も「いもの子会」のシーズンである。 芋煮会といえば、宮城や山形の味噌・醤油論争が有名であるが、岩手でも「芋の子会」として秋に開催されることが多い。 これは釜石の鵜住居から遠野に抜ける笛吹峠の手前の栗橋の河原にて芋の子かいの風景。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1962 釜石製鉄所クラブ女子従業員募集(昭和37年10月2日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、クラブでは働く女子従業員を募集するという。 クラブとは福利厚生施設のことだろうか。 未婚で住み込みが条件であるという。 今ならば問題になっている条件ではないだろうか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 7月 1962 病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1962 釜石の鰻屋「7月26日は土用の丑ですよ!」(昭和37年7月25日) 昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。 翌7月26日は土用の丑なので鰻屋も広告に力が入る。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 7月 1962 及新百貨店の5階展望食堂の土曜日の午後(昭和37年7月13日) 昭和37年7月13日の岩手東海新聞より。 広告欄には及新デパートの5階展望食堂。 いわく「及新5階展望食堂の一隅より流れている笑い、会話の中心は代表的なオフィスマンスタイルのセミスリーブの彼です」 そういえばこの頃は土曜日は「半ドン」だった。 ところで、この「オフィスマンスタイルのセミ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 7月 1962 釜石の赤提灯「清酒50円!モツ串10円!」(昭和37年7月11日) 昭和37年7月11日の岩手東海新聞より。 釜石市内の新街通の赤提灯では、清酒が50円でモツ串が10円であるという。 製鉄所の勤務を終えた工員で賑わったのではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 7月 1962 女性が薄着で歩くと痴漢が増えますよ!(昭和37年7月5日) 昭和37年7月5日の岩手東海新聞より。 釜石は、前年に市役所女性職員殺害事件が発生するなど、女性にとっても全く恐ろしい町となっていた。 岩手県警本部では「普段から注意してスキを与えないように」と呼びかけていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 7月 1962 盛岡の非行少女を大槌のカフェーに売り飛ばす(S37.7.4岩手東海新聞) 釜石警察署は、大槌町内のカフェの女店主を逮捕した。 盛岡市内の中学校を卒業した3人の少女を働かせていたのだという。 この少女たちは、中学校にも碌に行かない非行少女であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 7月 1962 釜石には無許可住宅が130戸(昭和37年7月3日) 昭和37年7月3日の岩手東海新聞より。 釜石では、大渡川や甲子川の河川敷に無許可住宅がたくさんあったようで、その数は130戸に上ると言う。 しかし、このときの釜石は、住宅難であり、無碍にもできない状態であったと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1962 釜石繊維同友会加盟店の定休日変更について(昭和37年7月2日) 昭和37年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石繊維同友会に加盟している各店舗は当時の釜石市内でも、名だたる大規模店舗であったようだが、これまで毎週金曜日を定休日としていたようだ。 しかし、7月から8月の金曜日は、従業員の交代休暇をとって、平常通り営業するようである。 &nb… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1962 大槌で時ならぬマンボウザメの解体ショー(昭和37年7月2日) 昭和36年7月2日の岩手東海新聞より。 岩手県の太平洋沿岸も、本格的な夏漁を迎える。 そんな大槌の浜に、直径約1メートル、体重約45キロのまんぼうザメが水揚げされた。 そのマンボー鮫は、大槌町の中心地でである御社地のある鮮魚店に身売りされることになった。 浜っ子の大槌の子供たちでも、珍しい魚であるよ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 6月 1962 釜石ロータリークラブが釜石駅に電気時計を寄贈(昭和37年6月30日) 昭和37年7月2日の岩手東海新聞より。 6月30日、釜石ロータリークラブでは、釜石駅に直径1メートルの大型電気時計を送り、釜石駅の正面玄関の上に取り付けたと言う。 釜石では、それまで「釜石時間」と言って時間にルーズだったようであるが、その追放を願って時計を送ったのだと言う。  … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 19 6月 1962 水沢の繁華街に熊が現れる!?(昭和37年6月19日) 昭和37年6月19日の胆江日日新聞より。 一面に「繁華街に熊現れる」と言う物騒な見出しのニュース。 とは言っても、これがビール会社のビールの宣伝のために熊のロボットを作ったと言うもの。 フサッポロビールが、北海道駒ヶ岳の山麓で捕まえた2歳6ヶ月のヒグマの毛皮を、本物のように作り上げて、体の中にはスピ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9 6月 1962 石川県の織物工場も水沢職安に求人(昭和37年6月9日) 昭和37年6月9日の胆江日日新聞より。 石川県の織物工場から女工の求人が水沢職業安定所に来ていた。 「現在水沢管内出身者38名が元気で働いております」と。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 6月 1962 日立パネコン冷蔵庫は48,000円から!(昭和37年6月6日) 昭和37年6月6日の胆江日日新聞より。 水沢市内の電器店では、日立の家電を盛んに宣伝している。… 続きを読む