h水沢・江刺・胆沢郡 6 4月 1962 盛田カバン水沢店では学生カバン大特売中!(昭和37年4月6日) 昭和37年4月6日の胆江日日新聞より。 盛田カバン水沢店では学生カバンを大特売中。 こんな物価だったんですね… … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 2月 1962 盛田カバン水沢店では成人祝の大特売(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の胆江日日新聞より。 盛田カバン水沢店では成人祝いの大特売をするという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 2月 1962 県立江刺病院にガストロカメラとレントゲン導入(昭和37年2月5日) 昭和37年2月5日の岩手民声新聞より。 前年来、本館建設など江刺唯一の総合病院として施設の充実を進めている県立江刺病院に、最新式のレントゲン撮影機1台と、胃を調べるガストロカメラ2台が導入されることになった。 レントゲンは島津製作所製で、購入額も2,800,000円と、旧式の2倍以上するものである。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 19 1月 1962 胆江麺類同業組合ではメニューの値上げ(昭和37年1月19日) 昭和37年1月19日の岩手民声新聞より。 胆江麺類同業組合の会員となる食堂では、材料費の高騰などからメニューの値上げをすることに。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1962 岩手川「乾杯!ご成人おめでとう」(昭和37年1月14日) 昭和37年1月14日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の酒造メーカーである「岩手川」は、昭和45年まで「浜藤酒造店」という商号であった。 酒造メーカーだけに新成人となれば潜在顧客がそれだけ増えるということになる。 それで、1月15日の成人の日を前に広告を打ったわけだ。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 1月 1962 江刺の県南バスターミナルに食堂が開業(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺の県南バスターミナルに食堂がオープンすると言う。 … 続きを読む
l全県 8 1月 1962 台所文化の女王!水道式自動洗米器(昭和37年1月8日) 昭和37年1月8日の岩手日報の広告欄より。 水道式自動洗米器の広告が出ている。 やはり米を研ぐというのはそれなりに手間を感じることだったようだ。 それで「自動洗米器」が出て「冬季でも冷寒を覚えず愉快に洗米できます」「指先の美は少しも傷つけずに洗米できます」というコピーが出てくる。 なるほど、生活も近… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1962 紫波高校農業科が酒蔵に泊まり込みで酒づくりの実習(昭和37年1月6日) 昭和37年1月8日の岩手日報より。 紫波高校農業科の農産加工選択の生徒15人が、1月6日~12日に町内の酒蔵に泊まり込んで酒造りの実習をするという。 紫波郡一帯は「南部杜氏」の本場といわれていた。 このような実習は県内では唯一であるということだった。 ちなみに紫波高校の農業科は平成16… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 1月 1962 遠野消防団の出初式 昭和37年1月6日の岩手日報より。 1月5日、遠野市消防団の出初式が行われ、913人の団員が参加した。 遠野中学校のブラスバンドを先頭に分列行進し、遠野小学校で団長が「市民の尊い生命や財産を守るため、今年もたゆまぬ努力を望みたい」と年頭のあいさつを述べた。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 1月 1962 雪山は自動車よりも馬ソリ 昭和37年1月4日の岩手日報より。 県北の二戸郡では雪で、国道4号線のような主要道以外は軒並み雪でストップしてしまった。 そんな中でも、馬ソリだけは好調で、雪山から材木や薪、木炭を運び出していた。 (一戸町奥中山にて) … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 12月 1961 久慈市の角柄開拓地に電気がやってきた(昭和36年12月1日) 昭和36年12月4日のデーリー東北より。 久慈市で最後の電気が通っていない地区であった侍浜町角柄開拓地に、12月1日に電気が導入された。 それで、侍浜小学校角柄分校の校庭で、落成式が行われた。 ここは、昭和21年に入植されてから、15年目で電気が実現したと言うことになる。 これは、久慈市の未点灯部落… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 25 11月 1961 岩手放送テレビで座談会「都市ガスと文化生活」(提供:水沢ガス)(昭和36年11月25日) 昭和36年11月25日の胆江日日新聞より。 この月、11月15日には水沢ガスがガスの提供を開始している。 これを記念して、11月24日には水沢小学校でガス器具の展示販売を行うこととなった。 また、翌11月25日13:00にはIBC(岩手放送)テレビで座談会「都市ガスと文化生活」を放映するという。 &… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 25 11月 1961 水沢の精肉店「うさぎ肉を売り始めました!」(昭和36年11月25日) 昭和36年11月25日の胆江日日新聞より。 うさぎ肉を売りはじめるのだという。 いわく「季節の味として、最も経済的な」ということである。 確かに現在でもロッテリアやJR東日本系のベッカーズでは11月頃になると鹿肉バーガーを始める。 秋はジビエの季節ということらしい。 &n… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 24 11月 1961 水沢で1961年型ナショナル電気暖房器大売り出し!(昭和36年11月24日) 昭和36年11月24日の胆江日日新聞より。 水沢市内の電気店が最新型の電気機器の広告を出している。 当時はこれが最新であった模様。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 23 11月 1961 地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 水沢競馬上の土地所有者達で結成する土地擁護組合は、競馬場の走路の変換と、耕地への地目変換措置を要望していた。 水沢市は赤字再建団体(記事原文ママ)であったところ、黒字が近くなり競馬に頼らなくても財政が健全化するだろうというはらからだった。 しかし水沢市にし… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 11月 1961 水沢に都市ガス供給開始(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市民が待ち望んだ水沢ガスの供給が11月15日に開始した。 最初は500戸の家庭に供給されたが、主婦は「今日から炊事が楽になります」と喜んでいた。 年末までは700戸にも供給されるという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 14 11月 1961 水沢市内の藁加工工場では運転手を初任給12000円で募集!(昭和36年11月14日) 昭和36年11月14日の胆江日日新聞より。 水沢市内の藁工品工場では運転手を募集している。 店員が6000円程度であるのに対し、運転手だと12000円であるという。 運転免許がいかに高給への花道であったかを物語っている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 13 11月 1961 水沢家畜市場の馬市場案内(昭和36年11月13日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢家畜市場では11月13日~14日の間、秋の馬市場を行うという。 農作業にはまだまだ馬力を必要としていた時期であった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 朝鮮から岩手に東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を探しに来たが…(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 朝鮮では3年後に予定されている東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を、馬産地である岩手まで探しに来たのだという。 記事では「朝鮮」とあるだけで、北なのか南なのかはここからは読み取れない。 まだ日韓国交正常化(昭和40年)前で、韓国は「南朝鮮」とも呼んでいた時… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 水沢の材木店の初任給は6000~8000円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢職業安定所を通して、材木店が求人広告を出している。 初任給は6000~8000円であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 水沢のカバン店の女子店員の初任給は6500円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 盛田カバン店の水沢店では女子従業員を募集している。 初任給は6500円であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 7月 1961 名物にうまいものあり!釜石名物いかせんべい(昭和36年7月26日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 虎月という菓子舗のいかせんべいを宣伝している。 「名物にうまいものあり」というコピーは、その時点で「名物にうまいものなし」という表現が既に浸透していたということを示しているのではないだろうか。 いずれ、釜石市内では以下の店で買えましたよ、ということら… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1961 釜石のうなぎ、大槌の映画案内(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 昭和36年の土用の丑の日である7月31日を控え、釜石市内のうなぎ屋も広告に余念がない。 また、大槌町内の映画館は7月26日から「処刑前夜」「旗本愚連隊」を上映するという。 オールナイトは「屋根」。 「処刑前夜」は昭和36年2月18日初公開の日活映画で… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石の高校生バイトは事務系が人気で缶詰工場は敬遠(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏休みになるとバイトのシーズンだったようだが、事務系は埋まって缶詰工場は人気が低かったと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石のナイトスポット「BUVETTE車塔」(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 この時期、釜石市は製鉄所の全盛期で9万人の人口がいた。 夜はよほど賑わっていたのではないだろうか。 新街通に「BUVETTE車塔」というスナックバーがあったようで、それなりの大きさの写真広告を出している。 buvetteとはフランス語で「飲む」こと、… 続きを読む