i一関・西磐井郡 2 11月 1958 一関税務署管内の酒造業は上半期500石の生産増(昭和33年11月2日) 昭和33年11月2日の岩手報知より。 一関税務署管内の酒造業は、昭和33年上半期は500石の増であったという。 まだ尺貫法の時代。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 11月 1958 水沢競馬の一関市主催分の純益は87万円(昭和33年11月2日) 昭和33年11月2日の岩手報知より。 水沢競馬は一関市営でもやっていたようで、その純益は87万円であったという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 11月 1958 一関の食堂「鍋焼きうどん始めました」(昭和33年11月2日) 昭和33年11月2日の岩手報知より。 一関の食堂は、季節ものを始めた旨の告知。 物価が時代を物語る。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 10月 1958 一関のお惣菜屋さん「コロッケ5円!肉団子10円!」(昭和33年10月5日) 昭和33年10月5日の岩手報知より。 一関のお惣菜屋さんが広告を出しており、コロッケの5円で肉団子が10円でサラダ50円であると言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 12 9月 1958 一関の食料品店「信州味噌400瓦28円!仙台味噌30円!」(昭和33年9月12日) 昭和33年9月12日の岩手報知より。 一関市内の食料品店の広告では、信州味噌が400瓦で28円、仙台味噌が400瓦で30円である旨の広告を出している。 「瓦」とはもちろん「グラム」のこと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 10 9月 1958 一関市の失対事業が労働大臣賞を受賞(S33.9.10岩手報知) 当時は、どこでも失業対策事業をやっていたようだが、一関市のそれは、その技術の高さから労働大臣賞を受賞したようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 9月 1958 豚が死ねば文化は高まる!?(S33.9.9岩手報知) 文化程度が高まれば食肉の消費量が増えると信じられていたようだ。 一関保健所管内は県内で最も豚肉の消費が多かったというニュース。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 9月 1958 ヤミ米の主要ルートは花泉か(S33.9.5岩手報知) 当時、米はまだ国が管理していた。 だから、国が管理する以外の米は「ヤミ米」として扱われ、警察署の取り締まりの対象であった。 一関警察署では、その流通のルートは花泉をとってくるのではないかと警戒の網を強めていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 8月 1958 一関に黄毒蛾あらわる!(昭和33年8月30日) 昭和33年8月30日の岩手報知より。 この日の紙面では、一面トップで「又も黄色毒蛾現わる」ということを講じている。 そして、これが報じられた時点で一関保健所管内でも45人の被害者が発生していたのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 27 8月 1958 一関市でゴミ処理を有料化した結果(S33.8.27岩手報知) この記事だけでは全貌がわからないが、どうやら一関市では、ゴミ処理を処理券方式にして有料化したようだ。 そして、それは、岩手報知の記事による指摘からであったという。 しかし、それは弊害が多かったようで、市民からは不評だったようだ。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 19 8月 1958 江刺町内の食料品店「お惣菜始めました」(昭和33年8月19日) 昭和33年8月19日の岩手民声新聞より。 江刺町岩谷堂の食料品店では、お惣菜を始めると言う。 値段も書いている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 18 8月 1958 海を見たことのない祭畤の子供たちを気仙沼へ(昭和33年8月18日) 昭和33年8月18日の岩手報知より。 岩手県内で最も降水量が多いのは、一関の山奥の「祭畤(まつるべ)」であるが、あまりに隔絶した山奥であり、子供たちは海を見たことがないというので、気仙沼の一青年が旅費を出して海に連れて行こうというもの。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 12 8月 1958 県立南光病院で色彩による精神療法(昭和33年8月12日) 昭和33年8月12日の岩手報知より。 県立南光病院は県南の精神医療のセンターであるが、色彩療法を始めるという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 18 7月 1958 水ききんで電力危機(S33.7.18岩手報知) 昭和33年の夏は日照り続きで、各河川も水不足となり、水力発電に頼っていた東北電力も電力不足の危機となっていた。 この当時は、そのような時に中部電力から電気を融通してもらうようになっていたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 7月 1958 磐井川川開きの花火大会にちなんで花火の話(昭和33年7月14日) 昭和33年7月14日の岩手報知より。 この日は、磐井川の川開きで花火大会があったようで、岩手報知の紙面でも花火の話をしている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6 7月 1958 一関・相川屋ではプリントヤール95円!(昭和33年7月6日) 昭和33年7月6日の岩手報知より。 一関の老舗呉服店・相川屋では夏の大売出しをやっている。 プリントヤール95円という価格。 この鮎川屋、平成27年(2015年)に閉店したのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 7月 1958 一関・北海道屋の雪印アイスクリームは1個10円から!(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 一関の「北海道屋」とは卸業者だろうか。 80円の「フルーチス」とはどんな高級なものだったのか気になるところ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 7月 1958 冷風麺は「冷芙麺」と書く?(S33.7.4岩手報知) 管理人が子供の頃、夏になるとよく「冷風麺」が出てきたが、あれは岩手独特の表現であり標準語的には「冷やし中華」らしい。 ところが、昭和33年7月4日の岩手報知で出ていた広告ではこれを「冷芙麺」と表記していた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 7月 1958 一関保健所「犬は繋いでおきましょう!」(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関保健所では、飼い犬をつないでおくように注意喚起している。 繁殖期で犬の気が荒くなっているからではないかと見られていた。 犬にかみつかれた人が増加しており、昭和33年に入ってからも郵便配達から子供に至るまで10件を数えているという。 危険な犬はもちろん処分、飼い… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 7月 1958 一関保健所「粗悪な氷水のシロップに注意!」(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 夏真っ盛りではあるが、一関保健所は氷水のシロップに注意するように注意喚起している。 「普通味付けに使うシロップは、天然の果汁ではなく、着色料・芳香剤・甘味料などを業者が別々に購入して各自が調合している。 ところが着色料には体に害のある不良品が往々にしてあり、このよ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 7月 1958 昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 7月 1958 一関・金光堂のソフトクリームは30円(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関の金光堂という喫茶店?のソフトクリームは30円とのこと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 5月 1958 束稲山でツツジ祭り 昭和33年5月20日の岩手日報より。 平泉町と前沢町の境の束稲山は、ツツジ祭りで多くの観光客で賑わった。 写真はフォークダンスを楽しむ若者。… 続きを読む
j東磐井郡 20 5月 1958 僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報で報じられたニュース。 東磐井郡室根村の折壁診療所の55歳になる所長が、地位を利用して院内の麻薬を自分に打ち、業務上横領・麻薬取締法違反の疑いで一関区検察庁に書類送検されたという。 昭和30年~32年の間に、注射63本、粉末麻薬65グラムを無断で使用し、それがカルテに残… 続きを読む
l全県 20 5月 1958 にたもの親子「メクラでツンボ」(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 連載されている漫画「にたもの親子」では選挙について扱っている。 5月22日には第28回衆議院議員総選挙が予定されていた時期であった。 乞食のようなボロボロの男も投票所へ行く。 そして問わず語りにいわく「あたしが投票した人は正直でウソを言わぬ人」。 ・・・と思った… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 5月 1958 水沢女子高の教諭が関東以北で初めてのオランダミミナグサを発見(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 植物研究家でもある水沢女子高の教諭が、水沢警察署裏の北常盤踏切で「オランダミミナグサ」を発見したという。 このオランダミミナグサは、本来はヨーロッパにだけ生えている雑草であるところ、戦後は東京や横浜でも存在が確認されていた。 これは、戦後になってヨーロッパとの貿… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 5月 1958 ナイトスポット「ソシュウ」オープン 昭和33年5月15日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡の菜園に「ソシュウ」というナイトスポットがオープンするという。 ナイトスポットというのは・・・現在(というか後年)でいうグランドキャバレー的なものだろうか。 昭和40年代の岩手日報では「ソシュウに○○という芸能人が来ます!」という広告がよく見… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 4月 1958 早くもコイノボリ 昭和33年4月24日の岩手日報より。 翌月の「こどもの日」を前に盛岡のKデパートではコイノボリが早くも泳いでいる、というニュース。 記事の原文に「Kデパート」とぼかして書いているのだが、どう見ても川徳デパート。ここで仮名を使う意図がよく分からない。 それはともかく、当時中ノ橋にあった川徳から中津川の… 続きを読む
b二戸・二戸郡 20 4月 1958 福岡町上斗米に警察署長も注目の防犯組織 昭和33年4月20日の読売新聞岩手版では、二戸郡福岡町上斗米に伝わる防犯組織について紹介している。 それは「上斗米青年淬砺会」というのだそうで、なんと藩政時代から伝わるのだという。 男子は中学卒業とともに入会 40歳で定年 その定年前でも、戸主となれば上部組織の「報徳会」入りし、「捕縄」を持つことが… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1958 大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日) 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 この頃、盛岡の大通で火事があったらしい。 それで焼け残り品を大セールということになったらしい。 ところでこの上田商店というのは、あの 〽ファッションシャトー ウエダ ファッションシャトー ウ・エ・ダ ・・・のあれ? … 続きを読む