僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日)

昭和33年5月20日の岩手日報で報じられたニュース。

東磐井郡室根村の折壁診療所の55歳になる所長が、地位を利用して院内の麻薬を自分に打ち、業務上横領・麻薬取締法違反の疑いで一関区検察庁に書類送検されたという。

昭和30年~32年の間に、注射63本、粉末麻薬65グラムを無断で使用し、それがカルテに残っていないのだという。

これが明らかになったのはこの昭和33年になってからで、明らかに言動がおかしくなったことから村が東北大学精神科に診察させたところ5ヶ月の加療を要する状態であったという。

かつての僻地医療は、このような麻薬中毒者など「医師の左遷先」のように捉えられている節があったようで、北海道浜中町の医療に取り組んだ道下俊一について扱った「プロジェクトX」第125回「霧の岬 命の診療所」や、沢内村の「生命村長」深沢晟雄の伝記にも同様の事が書いてある。

こうしたことが、昭和47年の自治医科大学の設立につながっていく。

 

 


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