c久慈・九戸郡 5 11月 1949 岩手新報八戸支社・久慈支局開設を祝う広告(昭和24年11月5日) 昭和24年11月5日の岩手新報より。 岩手新報では、八戸や久慈に支社や支局を開設したようで、それを祝う広告が各界から寄せられた。 警察署までの公共機関からも報告が寄せられているが、このような時、広告料は税金から出たのだろうか。 … 続きを読む
l全県 10 7月 1949 NHK盛岡ラジオ番組案内(昭和24年7月10日) 昭和24年7月10日の岩手新報より。 まだNHKというよりは「JOQG」とよんでいた方が通りはよかったのだろうか。… 続きを読む
l全県 21 11月 1946 この日から現代仮名遣い(S21.11.21新岩手日報) 昭和21年11月21日、「けふ」が「きょう」になった日。 歴史の転換点は、意外なほど身近なところに現れます。 Screenshot 手元にある昭和21年11月21日付の『新岩手日報』。この1ページには、日本語の歴史における巨大な一歩が刻まれています。 ■ コラムの題字に起きた「大事件」 この日の紙面… 続きを読む
m県外・参考 1 7月 1946 人気の「こどもしんぶん」(S21.7.1新岩手日報) この時期、新岩手日報では「こどもしんぶん」を発行していたようだ。 食糧難にあえぐ時期でも、このようなエクストラな消費をできるところはしていた、ということのようだ。 … 続きを読む
l全県 21 4月 1945 本土決戦訓と新聞非常措置(S20.4.10新岩手日報) 昭和20年4月21日「新岩手日報」が語る、極限状態の岩手 終戦まであと4ヶ月と迫った昭和20年(1945年)4月21日。手元にある当時の「新岩手日報」を開くと、そこには岩手が置かれていた凄まじい緊迫感が刻まれています。 Screenshot 3月10日の東京大空襲、そして同日に起きた盛岡空襲の記憶も… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 3月 1945 盛岡空襲 昭和20年3月10日、東京大空襲と同じ日に盛岡でも空襲があった。 翌3月11日の岩手日報では、裏面のトップでそれほど大きい扱いではないが、「本県に醜翼をあらわし盲爆を落とし、あわてふためきながら海上に脱去した」と、あくまで敵を醜悪に表現することにこれ努めたている。 「それでも市民は戦った」と、被害状… 続きを読む
l全県 8 12月 1943 岩手興産無尽も「貯蓄必成」「米英撃滅」(S18.12.8岩手日報) 昭和16年に太平洋戦争が始まって3年目を迎えようとしていた。 それで岩手興産無尽(現:北日本銀行)も気合の入った手書き広告。 それに加えてラジオ番組欄も。… 続きを読む
l全県 20 1月 1942 日独伊軍事協定が成立し、岩手県下でも新たな感激(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 見出しは「日独伊軍事協定成立の快報 県下に新たな感激」と題し、「待望の日独伊軍事協定がベルリンに於いて調印された」とのことで、「我が方参謀部長ならびに軍令部長の名を以て代理者がこれを行った巡潜たる軍事協定で・・・」とのことであった。 これは、1月18日に調印され… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1940 新岩手日報から8人目の従軍記者(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報より。 この時期は日中戦争期であり、連日その戦況が新聞で報じられていた。 誰が情報を発信していたかと言えば、それは各部隊に従軍記者が随行していたからである。 この従軍記者により、郷土出身の将兵の武勲が県民に伝えられていたのである。 そしてここに8人目の従軍記者を送るこ… 続きを読む