盛岡空襲

昭和20年3月10日、東京大空襲と同じ日に盛岡でも空襲があった。

翌3月11日の岩手日報では、裏面のトップでそれほど大きい扱いではないが、「本県に醜翼をあらわし盲爆を落とし、あわてふためきながら海上に脱去した」と、あくまで敵を醜悪に表現することにこれ努めたている。

「それでも市民は戦った」と、被害状況以上に、国民の戦意を維持することにこれ努める書きぶりであった。

 


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