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盛岡中劇・国劇で「敵機空襲」、内丸座・第一で「エノケンの兵六夢物語」公開(昭和18年4月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡中劇・国劇で「敵機空襲」、内丸座・第一で「エノケンの兵六夢物語」公開(昭和18年4月8日)

昭和18年4月8日の岩手日報より。 盛岡の中央映画劇場と国民劇場では「敵機空襲」を公開する。 「敵機空襲」は松竹が昭和18年4月1日に初公開。田中絹代や上原謙が出演。 また、内丸座や第一映画劇場では「エノケンの兵六夢物語」を公開する。 こちらは東宝配給で昭和18年4月1日に初公開。主演は表題通り榎本…
電話供出に赤誠(S18.4.4新岩手日報) l全県

電話供出に赤誠(S18.4.4新岩手日報)

昭和18年3月28日に軍需都市である釜石市の電話網を、受話器を上げるだけで即座に繋がる最新の共電式へと切り替える一方で、仙台逓信局では同時期に一般向けの電話供出運動を強力に展開していました。 Screenshot 同年4月4日付の新岩手日報によれば、電力戦下の重要生産拡充という烈烈な要望に即して、こ…
大迫からは指人形を前線へ(昭和18年4月2日) f花巻・稗貫郡

大迫からは指人形を前線へ(昭和18年4月2日)

昭和18年4月4日の新岩手日報より。 稗貫郡大迫町では、北方前線で敵である米国の撃滅に戦闘をしている皇軍に指人形を送って慰問しようとしていた。 国民学校では指人形を作り、婦人会では衣装を作ったと言う。 そして4月2日に600個が出来上がり、町役場に持ち込まれたので、街では近日中に荷造りをして盛岡連隊…
釜石の電話が共電式に(S18.4.1新岩手日報) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の電話が共電式に(S18.4.1新岩手日報)

昭和18年4月1日付の新岩手日報によれば、岩手県内で2番目に市制を施行し重工業都市として発展を続けていた釜石市において、通信網の劇的な刷新が行われました。 Screenshot 当時は逓信省の管轄下で郵便と電話が一体となって運営されており、電話交換業務の拠点であった釜石郵便局には、仙台逓信局から石田…
岩手県公会堂で「資源動員展覧会」(S17.7.7新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県公会堂で「資源動員展覧会」(S17.7.7新岩手日報)

昭和17年7月7日の新岩手日報には、戦時下の日本社会が直面した「資源不足」と、それをいかに乗り越えようとしていたかが伝わってくる記事が載っています。当時は戦争が長期化し、金属・ゴム・繊維などあらゆる物資が軍需優先となり、民間生活では代用品の使用や徹底した資源回収が国民の義務とされていました。 Scr…
厳美村から銃後の便り(S17.7.5新岩手日報) i一関・西磐井郡

厳美村から銃後の便り(S17.7.5新岩手日報)

昭和17年7月5日の新岩手日報には、当時の西磐井郡厳美村(現在の一関市)の「銃後」の様子が記されている。記事の冒頭には「第一線に御奮戦の皇軍の皆様ご苦労様です」という文言が置かれ、戦地への敬意を示す決まり文句として当時の新聞にしばしば見られた表現である。 Screenshot 記事の中心は、6月21…
翼賛選挙で非国民は誰?(S17.5.7新岩手日報) l全県

翼賛選挙で非国民は誰?(S17.5.7新岩手日報)

【昭和の記憶】新聞が問う「非国民は誰か?」— 昭和17年の翼賛選挙と無効票 昭和17年(1942年)5月7日。当時の地元紙『新岩手日報』の紙面に、現代の私たちからすれば背筋が凍るような見出しが躍りました。 「非国民は誰か?」 これは、同年4月30日に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙…
翼賛選挙の選挙結果(S17.5.3新岩手日報) l全県

翼賛選挙の選挙結果(S17.5.3新岩手日報)

昭和17年5月3日 新岩手日報に見る「翼賛選挙」の深層 昭和17年(1942年)5月3日の「新岩手日報」の紙面は、まさに翼賛選挙(第21回衆議院議員総選挙)の開票速報と、「推薦候補圧勝」の文字で埋め尽くされています。 国家が「選別」した推薦候補の圧倒的優位 Screenshot この選挙の最大の特徴…
翼賛選挙「断然強い推薦候補!」(S17.5.3新岩手日報) l全県

翼賛選挙「断然強い推薦候補!」(S17.5.3新岩手日報)

【歴史を読み解く】昭和17年5月3日「新岩手日報」が伝える、翼賛選挙の熱狂と違和感 古い資料を整理していると、時折、教科書でしか見たことのない「歴史の分水嶺」が生々しい姿で現れることがあります。 今回ご紹介するのは、昭和17年(1942年)5月3日発行の「新岩手日報」。太平洋戦争開戦から半年、日本中…
映画配給社発足(S17.4.1新岩手日報) m県外・参考

映画配給社発足(S17.4.1新岩手日報)

紅系・白系じゃないの?昭和17年の新聞に見る映画配給「黄白」の謎 昭和17年(1942年)4月1日。この日は日本の映画史において、大きな転換点となった日です。 今回、当時の『新岩手日報』の紙面から、既存の映画史の記述とは異なる興味深い記述を見つけました。 1. 「映画配給社」の誕生と一元化 記事の見…