a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 9月 1952 盛岡八幡宮秋祭りアルバム(昭和27年9月17日) 昭和27年9月17日の岩手日報より。 この当時、盛岡で最大のお祭りといえば、八幡宮の秋祭りであった。 その秋祭りの様子に関する写真記事。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 南部鉄瓶の名工が一家心中(昭和27年9月16日) 昭和27年9月16日の岩手日報より。 南部鉄瓶の名港で知られた男性の一家が無理心中したという。 おそらくは病気を苦にしてではないかという憶測。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日) 敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。 そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 八幡宮の祭典の見世物をタダ見していた女子小学生に熱湯ぶっかけのDQN返し(昭和27年9月16日) 昭和27年の秋の盛岡八幡宮の祭りも盛大に行われており、多くの人でにぎわっていた。 そんな9月16日のこと。 見世物の「女相撲」を、見物料も払わず外から覗き見していた城南小学校3年の女児に熱湯をぶっかけ、全治2週間の負傷を負わせ、25歳の従業員の男が逮捕された。 「一言注意すれば済むものを・・・」と周… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 馬力大会で「農村タクシー」続々 昭和27年9月16日の岩手日報より。 盛岡八幡宮の祭典が行われている時、近くの馬検場では県下馬力大会が開かれた。 農村からは「荷車タクシー」で押しかけたという。 各農家はもう収穫を待つだけの一休みの状態だった。 八幡宮の境内では、サーカス、女相撲、メリーゴーランド、民謡大会が開かれる盛況であったとい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1952 岩手日産自動車の広告「ダットサン特別販売!!」(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報の広告欄より。 岩手日産自動車は、この時期の盛岡の自動車販売店の例にもれず、菜園にあった。 そしてこの時期は、ダットサンの特別販売のキャンペーンを打っており、バイクモーターやタイヤチューブが当たり抽選付きであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1952 盛岡で祭りと言えば、八幡宮の祭典だった(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報では、八幡宮の祭典を「秋祭りの王者」として一面を写真に割いている。 山車や見世物小屋などが出て、八幡宮周辺はひときわ賑わったようである。 今でこそ「東北五大祭り」として盛岡からはさんさ踊りが出ているが、これは昭和53年からと比較的歴史が浅い。 盛岡では昔から、初夏のチャ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 9月 1952 盛岡・大通り中劇向かいに「飯塚テーラー」開店(S27.9.13岩手日報) 広告欄より。 それまで内丸に「飯塚洋服店」、肴町に「飯塚ラシャ店」があったようだが、これに引き続き大通りに「飯塚テーラー」が開店するという挨拶の広告。 〽️イイヅカでショッピング〜 イイヅカでショッピング〜 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 9月 1952 盛岡・松屋デパートでは紳士用品の大売り出し(昭和27年9月13日) 昭和27年9月13日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、帽子やネクタイなどの紳士用品の大売り出しを行っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 9月 1952 川徳デパートではお菓子が55円均一セール(昭和27年9月13日) 昭和27年9月13日の岩手日報より。 肴町の川床デパートでは、お菓子の55円均一セールを行うと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 9月 1952 (4コマ漫画)街に馬が当然のようにいた時代(昭和27年9月13日) 昭和27年9月13日の岩手日報より。 この当時、「ポッポちゃん」と言う4コマ漫画は連載されていたようであるが、まずは女子同士のファッションチェックである。 友達の「クジャクさん」は、パリスタイルで帽子をかぶっていると言う。 そしたら、向こうから馬がやってきた。 馬も帽子をかぶっているので「パリスタイ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1952 二百十日も無事平穏(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 立春から数えて210日目を「二百十日」と呼び、農家からは台風がよく来る日として恐れられていた。 それでも、この年は無事平穏に過ぎたようだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1952 聞け!映画「原爆の子」に寄せる巷の声(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 サンフランシスコ講和条約までは、日本に国家主権はなく「occupied Japan」だったため、アメリカを批判するようなことは報道できなかった。 それで、原爆被害も大っぴらに報道することはできなかったのだ。 しかし、講和で独立を勝ち取ると、それを大っぴらにする… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 9月 1952 秘境・国見温泉の秋(昭和27年9月10日) 昭和27年9月10日の岩手日報より。 この日は秘境の国見温泉を大々的に写真で報じている。 それまでは、雫石方面から仙岩峠〜国見峠と、秋田県境の尾根を歩いて行かなければいけなかったが、新たに橋場線の終点・橋場駅からのハイキングコースを開削したのである。 しかし、真ん中に女性の入浴シーンを持ってくるセン… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 9月 1952 岩手自動車商会「強力無比なGMCトラック!」(S27.9.8岩手日報) 岩手自動車販売の広告で、GMCトラックを売るという。 新築地とは確か開運橋の近く。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 9月 1952 東北・北海道中小企業工芸振興展 1952年9月8日の岩手日報より。 北海道・東北・新潟の産業工芸品を一堂に集めて東北・北海道中小企業工芸振興展が、10日~16日まで県立美術工芸学校と県商工館で開かれるという。 戦後に岩手県内で開催された展示会としては最大のものになるということで、5000点の出品数でにぎわうこととなった。 この時点… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 9月 1952 ヘルシンキオリンピックのメダリストが盛岡に来る!(S27.9.7岩手日報) ヘルシンキオリンピックのメダリストを、日本の各地に呼ぶと言うことで、何処に呼ぶかという話になっていたようだが、盛岡もそのうちの1つで決まったようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 9月 1952 国内航空路が再開し、岩手でも飛行機旅行をする人が増える(昭和27年9月7日) 敗戦による軍事技術の禁止により、日本の航空路も一切禁じられていたところ、昭和26年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便として羽田~伊丹~福岡が復活、その後11月1日に羽田~三沢~千歳が復活した。 盛岡市内では交通公社で飛行機の切符を買うことができたのだが、まったく売れなかった。 昭和27年に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1952 何も「人生敗者」とまで書かなくても・・・(昭和27年9月4日) 昭和27年9月4日の岩手日報より。 9月2日、盛岡地方裁判所で詐欺事件の裁判が開かれたが、その被告はなんと76歳。 沼宮内駅前の食堂で食い逃げをしたのである。 その犯罪申請を、かなり大きな扱いで書いているのだが、見出しの「人生敗者」を見るまでもなく、かなり惨めだったようである。 それに… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1952 盛岡市警察署員が岩手公園で訓練 昭和27年9月4日の岩手日報より。 秋晴れの空の下、岩手公園で盛岡市警察署員が点呼を行う。 記事には「十三万市民をまもる・・・」と書いている。 当時、盛岡の人口は13万人であったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1952 南部鉄瓶も「Made in Occupied Japan」(昭和27年9月3日) 昭和27年9月5日の岩手日報より。 後年「岩手県東京事務所」となる東京物産あっせん事務所に、アメリカはサンフランシスコの日系人から「南部鉄瓶50個」の依頼が舞い込んだ。 値段は東京渡しで700~2000円止まりという。 アメリカでは鉄瓶は日常使わず、飾り物にするのだという。 当時であれ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1952 胆沢川や猿ヶ石川に雨量計を設置 昭和27年9月3日の岩手日報より。 盛岡測候所では洪水予報の完璧を期すために、胆沢川と猿ヶ石川の流域に長期自記雨量計を設置するという。 これは、3年計画でどこに雨量計を設置すれば効果的な防災情報が出せるのかを調べるためのもの。 10か所への据え付けを予定しているという。 このことで平地や山岳部での降… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1952 あまりに雑すぎる広告地図(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市内の洋品店の広告のようだが、余りに地図が雑すぎて最初どこだか分からなかった。 特に盛岡駅との位置関係。 盛岡郵便局(現在のブラザおでっての位置)がなければ分からなかったのではないだろうか。 盛岡駅前の、開運橋の通りをまっすぐ行けば... まず七十七銀… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1952 杜陵の秋に響く歌声(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 「芸術の秋」に、盛岡市内の合唱サークルも練習に余念がなかった。 ちなみに「杜陵」とは盛岡の別名で「杜」(もり)「陵」(おか)。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1952 厨川中学校にモダンな講堂完成 昭和27年9月3日の岩手日報より。 盛岡市立厨川中学校に市内で最も大きな講堂が完成した。 これは屋内体育館も兼ねている。 総工費は604万円であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 7月 1952 岩手県出身BC級戦犯慰霊祭(S27.7.4岩手新報) フランキー堺主演「私は貝になりたい」でも話題となったB ・ C級戦犯であるが、日本が占領されている間は、戦争犯罪人として、その霊を慰めることも許されなかったが、講和によって独立を勝ち取り、初めて慰霊祭が開かれることになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1952 盛岡映画案内(S27.7.2岩手新報) 盛岡市内の映画上映は以下の通りとなっていた。 映画館名が読みにくいが、左から中央ホール、中劇、国民劇場、銀映座、東宝第一劇場、シネマミソノ、松竹内丸座。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1952 夏枯れに備え百円セール(昭和27年7月1日) 昭和27年7月1日の岩手新聞より。 盛岡市内の商店街は「夏枯れ」の時期が近づいていたが、あの手のこの手で誘客を図っていたようである。 盛岡市大通では「百円セール」を開催していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1952 岩手公園で戦没者追悼式典(S27.5.18岩手新聞) 日本は講和で独立を勝ち取り、岩手公園では戦没者追悼式典が行われた。 Occupied Japanでは戦没者を追悼する事由もなかったのだ。 ちなみに岩手県の戦没者は36,000名であったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 5月 1952 盛岡・四ツ家教会で和装のカトリック式結婚式(昭和27年5月16日) 昭和27年5月17日の岩手新聞より。 盛岡市日影門外小路(現在の盛岡中央郵便局の通り)の四ツ家教会で和装ながらカトリック式の結婚式。 記事では「牧師は厳かに式を進める」と書いているが、牧師とはプロテスタントの表現で、ここでは「神父」となるはず。 四ツ家教会は令和4年現在でもカトリック教会として現存す… 続きを読む